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フランス・クラヴサン楽派、黄金期、クープランと、その後で... [before 2005]

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フランス・バロックに欠かせないクラヴサン... そういう位置にクラヴサンを押し上げたのが、ルイ13世(在位 : 1610-43)、ルイ14世(在位 : 1643-1715)の2代の王に仕えた、誇り高きヴィルトゥオーゾ、シャンボニエール(ca.1601/02-72)。その弟子で、後継者、ダングルベール(1629-91)、もうひとりの弟子、ルイ・クープラン(ca.1626-61)らの活躍があって、大きな花を咲かせたフランス・クラヴサン楽派。やがて、フランソワ・クープラン(1668-1733)が登場し、フランス・クラヴサン楽派は黄金期を迎える。その流れを改めて辿ってみると、圧倒される... いや、これほどの鍵盤楽器の楽派、ちょっと他には探せない。クラヴサン―チェンバロは、イタリアで生み出された楽器だけれど、イタリアを遥かに越えた展開を見せたフランス... クラヴサンの響きは、フランス人の感性に、見事にはまったわけだ。そのはまりっぷりは、バロックを越えて、ピアノの時代を迎えようとする頃まで続く... でもって、黄金期を迎えたフランス・クラヴサン楽派の、その後は、どうなる?
というあたりに注目する、興味深いアルバム... 中野振一郎のクラヴサンで、クープランと、その後のフランス・クラヴサン楽派の展開を、丁寧に年代を追って取り上げる1枚、"Les portraits de Versailles"(DENON/COCO-78200)。18世紀、フランス、バロックから古典主義へ、時代の大きな流れの中に見出す、クラヴサンという楽器のドラマティックなストーリー。

始まりは、フランス・クラヴサン楽派の頂、クープラン(1668-1733)による5曲、「葦」、「小さな風車」、「優しい恋わずらい」、「神秘のバリケード」、「恋のうぐいす」... いや、頂だけに、その仕上がり具合に圧倒される。中野の明晰なタッチで捉えられると、本当に圧倒される。フランス音楽は、いつの時代も、お洒落。であるがゆえに、そのお洒落に頼りがちな雰囲気があるけれど、ばっさりとそういう雰囲気を断ち切って来る、日本を代表するクラヴサン―チェンバロのマエストロ。音符のひとつひとつを、しっかりと掴み、作曲家の本質に迫ろうとするそのパフォーマンスは、良い意味で現代日本的というのか、デシタルな感覚すらあって、クール。いや、クープランのクラヴサンのための音楽というのは、花咲けるヴェルサイユを彩っただけに、装飾的で、クラヴサンの響きの美麗さを前面に押し出し、まさに流麗... そうしたあたり、バッハの鍵盤楽器のための音楽と比べると、音楽との向き合い方の違いを思い知らされ、ある種の弱さを感じてしまう。が、中野のデシタルな感覚で迫れば、クープランならではの流麗な響きは、音の織物のように感じられ、スペクトル楽派(1977年に設立されたIRCAM、フランス国立音響音楽研究所のハイテク音響解析を用い、音の組成から新たな音楽を紡ぎ出そうとした作曲家たち... )に通じる感性を見出せた気がして、驚かされる。お洒落の下に隠された、そんなクープラン像に辿り着いてしまうと、構築的なバッハの音楽を越えた、次元の違う地平を見せられるよう... そして、その頂から、フランス・クラヴサン楽派が、どのように変節して行ったか?このアルバムの凄いところは、クープランが序章に過ぎないところ...
で、まずは、ヴェルサイユでのクープランの同僚、ヴィオールの名手、フォルクレ(1672-1745)。ヴィオールのための作品を、その息子、ジャン・バティストが、フォルクレの死後にクラヴサン用にアレンジした3曲を取り上げるのだけれど、その最初、「ボワソン」(track.6)のエモーショナルさは、クープランとは見事に対照的。3曲目の「ジュピター」(track.8)は、即興的で、「悪魔のようなフォルクレ」と呼ばれたヴィルトゥオーゾの姿を、巧みにクラヴサンに落し込み、インパクト生む。ロココのクープランに対し、バロックのフォルクレ。この2つ感性が同時に存在していたことが、フランス・バロックの一筋縄には行かない魅力だなと... そこから、ポスト・クープラン世代、ラモー(1683-1764)による3曲が続くのだけれど、それはクープランがまだ健在だった1720年代の作品。クープランの影響をひしと感じる美麗さに包まれて、魅惑的。が、一方で、クープランがいろいろ試行錯誤していた対位法を、事も無げに取り入れていて、そうしたあたりに、ポスト・クープラン世代の、現代っ子感覚のようなものが感じられて、おもしろい。また、「鳥のさえずり」(track.11)では、ヴィヴァルディを思わせる鋭さがあり、イタリアっぽい?そんな屈託の無さに、単にロココでもバロックでもない、新しい時代の気分を感じる。
そして、明白に新しい時代が響き出すのが、デュフリ(1715-89)の1746年の作品、「ヴィクトワール」(track.13)。それはまさにヴィクトリー(ルイ15世の王女、ヴィクトワールに因んでいるのだけれど... )な輝かしさに溢れていて、古典派の交響曲を予感させる。いや、クラヴサンで古典派風というのが、ちょっと意外というか、新鮮!そんなデュフリと同時代を生きた、アルマン・ルイ・クープラン(1727-89)の1751年の作品、「悲しみ」(track.15)には、思いの外、伯従父、大クープランの美麗さが充満していて、大時代的?いや、響きの厚みには、アルマン・ルイらしさがあって、ところどころ不協和音も滲み、ウルトラ・ロココなんて呼びたくなってしまう。そのアルマン・ルイと同い年のバルバートル(1727-99)もまた、ウルトラ・ロココなのかも... 1759年の作品、「デリクール」(track.17)のナイーヴさは、古き良き時代のクープランのそれ。けど、そのサウンドは、結構、ヘヴィーで、ズシリと来るのがおもしろい。そして、最後、ロワイエ(ca.1705-55)の「スキタイ人の行進」(track.18)は、ウルトラ・バロック?劇的な音楽がパワフルに繰り出されて... いや、これは疾風怒濤の前兆かも?という具合に、フランス・クラヴサン楽派も、様々に進化を遂げ、多彩さでも楽しませてくれる。
さて、クープランの後も、しっかりと音符を捉えて行く中野... おもしろいのは、時代が下るに従い、その響きが、じわりじわりと重さを増すような感覚があるところ。クープランがスペクトル楽派なら、後半はリヒャルト・シュトラウス?冒頭のデシタルなタッチは、次第に人間的な感情が取り憑いて、アルバムの後半では、フランス・クラヴサン楽派の行き詰りを炙り出しながら、マニエリスムに陥った先に、何とも言えない迫力を生み出すから、凄い!洗練を極めたクープランから、時代に抗うように荒ぶるロワイエまで、大きなストーリーを見事に描き出す。で、それは、凋落のストーリーでもあって、聴き進めれば、聴き進めるほどに、哀愁が漂い、ドラマティック... いや、クラヴサンで、ドラマティックとは、ただならない...

優しい恋わずらい ● 中野振一郎

フランソワ・クープラン : 葦 〔クラヴサン曲集 第3巻 第13組曲 より〕
フランソワ・クープラン : 小さな風車 〔クラヴサン曲集 第3巻 第17組曲 より〕
フランソワ・クープラン : 優しい恋わずらい 〔クラヴサン曲集 第2巻 第6組曲 より〕
フランソワ・クープラン : 神秘のバリケード 〔クラヴサン曲集 第2巻 第6組曲 より〕
フランソワ・クープラン : 恋のうぐいす 〔クラヴサン曲集 第3巻 第14組曲 より〕
フォルクレ : ボワゾン 〔クラヴサン曲集 第5組曲 より〕
フォルクレ : シルヴァ 〔クラヴサン曲集 第5組曲 より〕
フォルクレ : ジュピター 〔クラヴサン曲集 第5組曲 より〕
ラモー : 恋の嘆き 〔クラヴサン曲集 より〕
ラモー : メヌエット 〔新クラヴサン曲集 より〕
ラモー : 鳥のさえずり 〔クラヴサン曲集 より〕
ボワモルティエ : のみ 〔クラヴサン曲集 Op.59 より〕
デュフリ : ヴィクトワール 〔クラヴサン曲集 第2巻 より〕
デュフリ : アルマンド 〔クラヴサン曲集 第1巻 より〕
アルマン・ルイ・クープラン : 悲しみ 〔クラヴサン曲集 より〕
バルバートル : リュジャック 〔クラヴサン曲集 第1巻 より〕
バルバートル : デリクール 〔クラヴサン曲集 第1巻 より〕
ロワイエ : スキタイ人の行進 〔クラヴサン曲集 より〕

中野 振一郎(クラヴサン)

DENON/COCO-78200




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