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古風であることがフランスらしさ... ドラランドの瑞々しい厳粛... [before 2005]

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オリンピックが終わりました。いやはや、凄いオリンピックでした。ちょっと引いてしまうほどの政治色の強さ、あざとさがあって、そういう場外のトリッキーさを忘れさせる小平選手とイ・サンファ選手の互いをリスペクトする姿勢に深く感じ入って、さらには、あらゆるものを超越してしまった羽生選手の姿があって、本命ではあっただろうけれど、再びの頂へと至る道は、苦行のように過酷だったのだろうなと、金メダル後に発せられた言葉の数々に、尊さすら感じて... ウーン、4年に一度の重みの凄味、スケートに限らず、全ての競技から感じられ、圧倒される2週間でした。一方で、宇野選手の天然極まる伸びやかさ!そだねージャパン(J.D.含め、ラヴリーだった、みんな... )の朗らかさ、ポジティヴさ!オリンピックを目指した努力はただならないものがあっただろうけれど、その努力を飄々と形にしてしまう彼らの姿勢に、何だか未来が明るく感じられた気さえした。それは、新しい時代の感覚?というより、新しい時代の覚醒?2020年は、すぐそこまで、やって来ているのだなと...
しかし、テレビ越しとはいえ、何だか応援疲れ。少しクール・ダウンするために、静かな教会音楽を聴いてみようかなと... ヴァンサン・デュメストル率いるル・ポエム・アルモニークの演奏、クレール・ルフィリアトルのソプラノで、ドラランドのミゼレーレと3つのルソン・ド・テネブル(Alpha/Alpha 030)。四旬節も始まっているということで、四旬節のために書かれた音楽を聴く。

前回、ラモー(1683-1764)がパリで活躍する前、1710年代、ローカルな場所(ディジョンやリヨン... )で作曲されたモテ(ミサ曲に代わる、フランス独自の典礼のための音楽... )を聴いたので、今度は、同じ頃、フランス・バロックの中心で作曲されたモテを聴く。で、中心も中心、太陽王の宮廷楽長、ドラランド(1657-1726)!リュリが世を去った後、太陽王(在位 : 1643-1715)の宮廷音楽を取り仕切ったドラランドは、教会音楽を担当するシャペルの副楽長(実質上のトップ!)と、王の日常を彩った聖俗音楽を担当するシャンブルの楽長、両方を占め、リュリを越えた存在(リュリは、シャンブルの楽長だったが、シャペルの副楽長にはならなかった... )。何より、太陽王の信任が厚く、太陽王の晩年の宮廷の厳粛さ(太陽王、最後の寵姫、マントノン夫人の敬虔さが、宮廷の雰囲気を厳粛なものに変える... )に見合った音楽を提供できたドラランドであって、ポスト・リュリの時代のフランス・バロックのトーンを決める重要な人物のひとり... そして、ここで聴く、ミゼレーレ(track.1)と、ルソン・ド・テネブル(track.2-4)は、四旬節のために書かれた音楽だけあって、その厳粛さがより際立つのか...
ミゼレーレ... 憐れみたまえ... ソプラノが切々と歌い出すその姿は、何とも人間的で、表情に溢れ、イエスの受難に思いを寄せる四旬節ならではの悲しみを纏った鮮烈さが、聴く者に迫って来る。で、シンプルな編成ながら、なればこその、よりダイレクトな表現に至っていて、初期バロックのイタリア・オペラにも似た緊張感を生み、惹き込まれる。また、ところどころメリスマに飾られたソプラノの歌いにも、初期バロックのイタリア・オペラを思わせるところがあるのか... そのあたり、ラモーのグラン・モテを思い返すと、古臭い?フランス・バロックを主導した宮廷も、次第にガラパゴスと化したか?かえってローカルな場所に在ったラモーの音楽の方が、フランスの外の最新の音楽を取り込んで、宮廷の一歩先を行く。この逆転が、実に興味深い!しかし、古臭さは、厳粛さにつながり、グレゴリオ聖歌のような男声コーラスによるア・カペラの歌いが挿まれれば、より際立って... 悲しげなソプラノと、静謐なア・カペラで織り成される音楽は、独特なエモーショナルさを生み、おもしろい。で、このあたりに、フランス・バロックのモテの魅力を見出す。儀式的なミサ曲とは違う、カンタータやオラトリオに通じるドラマティックさ!スタイルこそ古臭くとも、辛気臭くはなく、何より、その音楽、そこはかとなしに息衝いているのが印象的。
というミゼレーレの後に、3つのルソン・ド・テネブル、聖水曜日のためのルソン(track.2)、聖木曜日のためのルソン(track.3)、聖金曜日のためのルソン(track.4)が、順を追って取り上げられるのだけれど、ラテン語で歌われたミゼレーレの後で、フランス語で歌われるルソン・ド・テネブルは、フランス語の語感のやわらかさが絶妙に効いていて、ミゼレーレとはまた違ったセンスに魅了される!何より、ソプラノのみで歌われるたおやかさとでも言おうか、聖水曜日のためのルソン(track.2)の始まりの、あまやかなヴォカリーズ、まるで夜が明けて行く様子を見守るような穏やかさを湛えて、ただならず美しい... そんな、フランスらしいメローさに彩られながら、時にトラジェディ・リリクのようなレシタティフ(=レチタティーヴォ)があり、軽やかにアリア風にも歌い、たおやかでありながら、表情に富む音楽が展開される、聖水曜日のためのルソン(track.2)。聖木曜日のためのルソン(track.3)、聖金曜日のためのルソン(track.4)もまた、たおやかで美しく、厳粛さがありながらも、どこかポップなのが、フランスらしい... で、ポップであることが、かえって浮世離れした雰囲気を創り出していて、絶妙。
という、ドラランドを、デュメストル+ル・ポエム・アルモニーク、そして、ルフィリアトルのソプラノで聴くのだけれど... まず、耳を捉えるのが、ルフィリアトルのアルカイックな歌声!それは、ヴェルサイユの礼拝堂というより、時空を越えた、遠い過去から聴こえて来るようで、不思議な佇まいがあって、何だか懐かしいような気分に包まれる。いや、彼女らしい、古楽よりの歌声が、そうさせるのだろうけれど、それが、絶妙にフランス・バロックのメローさを捉えて、魅了されずにいられない。そんな、ルフィリアトルに、そっと寄り添う、デュメストル+ル・ポエム・アルモニーク... やはり、彼ららしい、ナチュラルな音楽を繰り広げていて、フランス・バロックの厳粛さを、やわらいだものにし、独特な気の置け無さを醸し出して来る。それが、浮世離れしたルフィリアトルの歌声と重なると、得も言えずやさしい光を放ち始め、聴く者の心をじんわりとさせてしまう。これって、何だろう?春待つ四旬節の、暖炉の火?その前に佇むと、何とも心地良く、癒される歌と演奏。

DE LALANDE Tenebrae
Le Poème Harmonique ・ Vincent Dumestre


ドラランド : ミゼレーレ
ドラランド : 聖水曜日のためのルソン
ドラランド : 聖木曜日のためのルソン
ドラランド : 聖金曜日のためのルソン

クレール・ルフィリアトル(ソプラノ)
ヴァンサン・デュメストル/ル・ポエム・アルモニーク

Alpha/Alpha 030




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