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ローカルが、インターナショナルへの扉?若きラモーの自由... [before 2005]

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大器晩成の作曲家、ラモー(1683-1764)。パリで活動を本格化させるのは、1722年、39歳の時。で、パリで活躍する前はというと... ブルゴーニュ地方の中心都市、ディジョンで生まれたラモー。ディジョンのサンテティエンヌ教会でオルガニストをしていた父から音楽を学び始めるも、その父は、ラモーに法学の道へ進むことを望んでいたらしい。が、音楽と決めたラモー、1701年、18歳の時にミラノへと修行。翌、1702年、帰国すると、アヴィニョンの大聖堂の臨時オルガニストを務めた後、クレルモン・フェランの大聖堂のオルガニストに... 1706年には、一度、パリへと出て、クラヴサン曲集、第1巻を出版するも、1709年、ディジョンへと帰り、ノートルダム教会のオルガニストに就任。1713年には、リヨンのドミニコ会の教会のオルガニストとなり、パリに拠点を移すまで、ローカルな場所で活動した。宮廷、そして、パリが圧倒的に中心だった時代に、ラモーという逸材を育んだフランスの地方... ラモーのみならず、トゥールーズの大聖堂の楽長を務めていたカンプラ(1660-1744)、その後任となったジル(1668-1705)らの存在を見つめると、地方も侮れないのがフランス・バロックかなと...
ということで、パリにやって来る前、ディジョンやリヨンにいた頃のラモーを見つめる。ウィリアム・クリスティ率いる、レザール・フロリサンの演奏とコーラス、ソフィー・ダヌマン(ソプラノ)、ノエミ・リム(ソプラノ)、ポール・アグニュー(テノール)、ニコラス・リヴェンク(バリトン)、ニミコラス・カヴァリエ(バス)のソロで、ラモーの3つのグラン・モテ(ERATO/4509-96967-2)を聴く。

フランス・バロックが、宮廷、そしてパリへの一極集中により、周辺国に影響を与える個性を築いた一方で、イタリア・バロックは、フィレンツェでのオペラ誕生に始まり、ルネサンス期以来の音楽センター、ヴェネツィア、器楽曲の開発を牽引したボローニャ、そうしたイタリアの全てを呑み込んだ聖都、ローマなど、いくつかの拠点が競い合い、どの国よりも先んじることで、圧倒的な影響力を持った。そして、ドイツ・バロックは、無数に存在した領邦国家が、それぞれに音楽家たちを抱えたことで、より多くの音楽家に仕事を与え、後の時代の底堅さへとつながったと思う。こうして俯瞰してみると、それぞれに、それぞれの在り方があって、興味深い。で、一極集中のフランス・バロックなのだけれど、その在り方を丁寧に見つめると、一極集中の頂を支える裾野の存在にも気付かされる。トゥールーズの大聖堂の楽長から、パリ、ノートルダム大聖堂の楽長のポストを獲得したカンプラは、オペラ・バレでパリの音楽シーンを沸かせ、やがて宮廷のシャペルの副楽長のポストを得て、ヴェルサイユで活躍する。そんなカンプラと同い年にして、同門の、南仏で活躍していたジルは、ローカルな作曲家のまま、この世を去るも、代表作、レクイエムは、やがてパリでも取り上げられ、評判を呼び、国王の葬儀でも歌われるまでに... フランス・バロックは、地方においても充実していたことを知ることになる。で、それを如実に物語るのが、ここで聴く、ラモーの3つのグラン・モテ!ラモーがパリへとやって来る前、リヨン、あるいはディジョンで書かれた音楽...
まず、宮廷やパリを彩った音楽に引けを取らない充実した響きに魅了される。最初に取り上げられる『主が連れ帰られると聞いて』(track.1-7)の第1曲、「主がシオンの捕らわれ人を連れ帰られると聞いて」の、テノールがしっとりと歌うあたりは、リュリのトラジェディ・リリクのエールを思わせて、まさにフランス!けど、これって教会音楽だよな?なんても思う。が、第2曲、「そのときには、わたしたちの口に笑いが」(track.2)のコーラスでは、対位法を用い、教会音楽らしい教会音楽。で、どこかヘンデルのオラトリオも思わせるのか... カトリックでありながら、ローマ教皇庁からの自立を目指すガリカニスムに根差したフランスの典礼音楽は、ミサ曲の形を採らず、バッハのカンタータのように聖書の一節を歌う、グラン・モテの形を採る。それは、儀式的なミサ曲からすると、オラトリオやカンタータの雰囲気があって、より表情に富み、砕けた印象を与えるのか... でもって、パリ以前のラモーによるグラン・モテは、フランスらしさに頓着せず、より幅のある音楽を乗せていて、第7曲、「種の袋を背負い、泣きながら出て行った人は」(track.7)などは、まるでバッハとヘンデルのハイブリット!こうしたあたり、間違いなく宮廷やパリとは違うテイストがある。パリ以前のラモーの音楽には、フランス・バロックにありがちな、フランスらしさへのプレッシャー、その反動としてのイタリアのトリオ・ソナタへの過度な信奉のようなことも無く、モードから距離のあるローカルなればこその捉われない姿勢が、思い掛けなく自由の音楽を展開するようで、おもしろい。
ミラノに修行に行って得たイタリア的なセンスなのか?ラモーの音楽の素地を作ったブルゴーニュのドイツに近い地域性だろうか?フランス、ドイツ、イタリアが、ナチュラルに融合されて、思い掛けなくインターナショナルなサウンドが広がる、パリ以前のラモーによるグラン・モテ。そのインターナショナルさは、ヘンデルに通じるようで、なかなか興味深い。例えば、『どれほど愛されていることか』(track.8-14)の第3曲、テノールが歌う「鳥は住みかを作り」(track.10)は、ヘンデルのオペラのアリアのよう。第5曲、バリトンとコーラスによる「いかに幸せなことでしょう」(track.12)は、ヘンデルのオラトリオのワン・シーンのよう。で、よりヘンデルとの距離の近さを感じるのが、『神はわたしたちの避けどころ』(track.15-24)。フランスの色彩感と、イタリアの明快さ、ドイツの構築感が、バランス良く配合されて生まれる、ヘンデルっぽさ... またそのヘンデルっぽさに、より充実した音楽を見出し、作曲家、ラモーの力量を、今さらながらに再確認させられる。それは、ある意味、フランスというパッケージを取り去った素のラモーと言えるのかもしれない。パリでブレイクしてからのラモーの音楽には無い無垢な表情があって、惹き込まれる。いや、ローカルなフランス・バロックの底力を見せられる思いがする。
そんなラモーのパリ以前を瑞々しく捉える、クリスティ+レザール・フロリサン。彼らならではの朗らかな演奏と歌声が、素のラモーを、一層、引き立てて、ラモーのイメージを広げるのか... ヘンデルっぽさも、より増しているのかもしれない。そして、ヴェルサイユやパリとは違うトーンの興味深さを巧みに引き出し、ローカルなればこその素朴さも響かせて、ラヴリー!そこに、表情に富むソロを聴かせてくれる歌手たちの存在が光っていて... 特にアグニューのやわらかなテノール、ダヌマンの上品なソプラノは、聴き入るばかり。で、そんなソロたちによる重唱がおもしろく... 男声4人で歌われる、『神はわたしたちの避けどころ』の第6曲、「すべての民は騒ぎ、国々は揺らぐ」(track.20)は、オペラのユーモラスなシーンのよう。いや、教会音楽にして、いろいろな表情を見せてくれる、パリ以前のラモーが、ぱぁっと輝き出す。そんな1枚。

RAMEAU Les Grands Motets
Les Arts Florissants WILLIAM CHRISTIE

ラモー : グラン・モテ 『主が連れ帰られると聞いて』
ラモー : グラン・モテ 『どれほど愛されていることか』
ラモー : グラン・モテ 『神はわたしたちの避けどころ』

ソフィー・ダヌマン(ソプラノ)
ノエミ・リム(ソプラノ)
ポール・アグニュー(テノール)
ニコラス・リヴェンク(バリトン)
ニコラス・カヴァリエ(バス)
ウィリアム・クリスティ/レザール・フロリサン

ERATO/4509-96967-2




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