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リュリが去って、解き放たれるフランス・オペラ、シャルパンティエ! [before 2005]

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フランスに初めてオペラが持ち込まれたのは、宰相、マザランの時代。イタリア出身の枢機卿、マザランは、1645年、フランスで初めてのオペラ、マラッツォーリの『美と感情を巡る理性の判断』を上演させている。以後、サクラーティ、ロッシ、カヴァッリらがパリに招聘され、様々なイタリア・オペラが上演されていた。という史実を知ると、フランス・オペラの黎明期は、またちょっと違って見えるように思う。リュリの『アルミード』を聴けば、イタリア・オペラとは違う、フランス・オペラの在り方を明確に意識させられるものの、"オペラ"である時点で、やっぱりイタリアの影響からは逃れられないのかも... そもそも、リュリがイタリア人であって、リュリが確立したトラジェディ・リリクが極めてフランス的であっても、その劇的な在り様は、イタリアが生んだ「バロック」、リュリがイタリア人だったからこそ確立できたトラジェディ・リリクだったようにも感じる。そして、よりイタリア的な感性を持ったフランスの作曲家がいた。リュリの年若いライヴァル、ローマに留学したシャルパンティエ...
ということで、リュリのトラジェディ・リリクに続いて、シャルパンティエ、唯一のトラジェディ・リリク... ウィリアム・クリスティ率いるレザール・フロリサン、ロレイン・ハント(ソプラノ)のタイトル・ロールで、シャルパンティエのオペラ『メデ』(ERATO/4509-96558-2)を聴く。

マルカントワーヌ・シャルパンティエ(1643-1704)。
14歳のリュリ(1632-87)が、フランスへと渡る3年前、パリで生まれたシャルパンティエ。で、リュリをフランスに連れて来たギーズ公爵家(ヨーロッパ切っての名門、ロレーヌ公爵家の分家で、フランスの有力貴族... )のおぼっちゃま、ロジェの姉、後のギーズ女公、マリー(1615-88)の書記官をしていたのがシャルパンティエの父という、縁というか、距離の近さが興味深い2人の作曲家なのだけれど、イタリアから来たリュリに対して、イタリアへと留学したシャルパンティエ、対照的な2人でもあるのが、またおもしろいところ... というシャルパンティエは、1662年頃、ローマへと留学、オラトリオを確立した、カリッシミ(1605-74)に師事したと考えられている。まさに、「バロック」が成長を遂げようという時期に、音楽先進地、イタリアの最新の音楽に直接触れたことは、シャルパンティエの音楽をより力強いものとしているように感じる。さて、1667年頃、帰国したシャルパンティエは、ギーズ公爵家でオート・コントル(ハイ・テノール)の歌手として、音楽教師として活動を始める。すでに宮廷で幅を利かせていたリュリからすると、地味な印象なのだけれど、それでも、地道にキャリアを積んで行ったのがシャルパンティエで、1672年、コメディ・バレ(バレエと喜劇を融合した舞台芸術、『町人貴族』に代表される... )で一世を風靡したリュリとモリエールの関係が破綻すると、モリエールのために音楽を提供。さらに、1680年代になると、王太子の楽長を務め、さらにパリのサン・ルイ教会の楽長にも就任。1683年には、宮廷のシャペルのオルガニストを決めるコンクールにエントリーするも、当日、体調を崩し、宮廷でのポストを得るチャンスを逃してしまう。何とも、リュリとは正反対な音楽人生... だったが、1687年、リュリが世を去ると、リュリが独占して来たオペラの作曲への道が開ける!そうして作曲されたのが、1693年、王立音楽アカデミー=パリ、オペラ座で初演された『メデ』。
ギリシア悲劇の定番、エウリピデスの『王女メディア』を、かのコルネイユ(フランス古典文学に燦然と輝く、17世紀、フランスの三大劇作家のひとり... )の弟、トマ・コルネイユが台本化し、作曲された『メデ』。リュリの集大成とも言えるトラジェディ・リリク、『アルミード』から、7年を経た音楽は、思いの外、進化を感じさせ、"モダン"に感じられるからおもしろい。もちろん、ギリシア悲劇を原作としていて、まさに、リュリが確立したトラジェディ・リリクではあるのだけれど、シャルパンティエの音楽には、間違いなくイタリア仕込みの明快さがあって、音楽がより整理されて聴こえて来る。このあたりが、"モダン"に感じられる所以... エール(アリア)と、レシタティフ(レチタティーヴォ)の佇まいには、よりコントラストが付けられていて、エールの音楽性はより際立ち、「歌う」という感覚が活き、リュリよりも花やかさがある。一方のレシタティフは、イタリア・オペラのレチタティーヴォ・セッコ(チェンバロ伴奏によるレチタティーヴォ)を思わせ、エールとエールの"つなぎ"という印象を受けるのか... 全てが混然一体となっているリュリからすると、一歩後退?いや、まさにイタリア風なのだろう。そして、そうあることが、ポスト・リュリの時代の"モダン"だったのだと思う。明らかに、リュリよりも解り易いというか、音楽を掴み易い印象がある。掴み易い分、音楽としてはより輝いて見えて、キャッチー。リュリとは一味違うベクトルで、聴き手を引き込んで行く。
しかし、リュリが確立したトラジェディ・リリクの密度の濃いドラマは、しっかりと受け継がれていて、要所要所で、ドラマはリュリ以上に白熱することも... 『アルミード』に似た、愛した男、ジャゾンに尽くすも裏切られるという物語だけれど、アルミードよりも、怨みの感情は深いメデであって、全てを呪い、自らの幸せを邪魔した者たちを徹底して殺し(ジャゾンが恋してしまったクレユズの殺し方が、またスタイル入ってます... )、最後は、ジャゾンとの間に生まれたこどもたちを殺すという、バッド・エンドの中のバッド・エンド!そうした物語を音楽にすれば、白熱するしかないか... 特に最終幕(disc.3, track.13-22)、バッド・エンドへとジリジリと向かって行くあたり、ジャゾンの慟哭が凄い。で、おもしろいのは、抑制的だったリュリに対して、感情をぶつけて来るシャルパンティエの在り方。ここにも、イタリア仕込みが活きているように感じる。それにしても、ギリシア悲劇のカタストロフ、ここにあり!『王女メディア』の物語の迫力を、鮮やかに描き出し、コーラスを存分に配して、迫って来る。
そんな『メデ』を、クリスティ+レザール・フロリサンで聴くのだけれど、いやー、見事。クリスティならではのサクっとした展開、レザール・フロリサンならではの花やかさがありつつの、見事にテンションが高く切れ味の鋭い音楽を響かせる!で、この感覚は、ちょっと不思議... フランスらしい芳しさを感じながら、ズサっと切り裂いて行くような、アンビバレントなサウンドを繰り出して来る。それが、また痺れる。何だろう?この感覚... バロック版『キル・ビル』?ポップでスタイリッシュなんだけど、猟奇的な仕上がり。なかなか難しい角度で、フランス・バロックに斬り込んで来るクリスティ+レザール・フロリサンに脱帽。でもって、怨念の持つ比重の重さを音に反映させるハント(ソプラノ)が歌うメデの見事さ... そのメデを前に、正気を失って行くようなパドモア(テノール)が歌うジャゾンの軽さ!この2人のやり取り、鬼気迫るものがあって、聴いていると、ヒリヒリして来る。いや、これがたまらない!シャルパンティエ流のトラジェディ・リリクの魅力をしっかりと聴かせる。

CHARPENTIER médée
Les Arts Florissants WILLIAM CHRISTIE


シャルパンティエ : オペラ 『メデ』

メデ : ロレイン・ハント(ソプラノ)
ジャゾン : マーク・パドモア(テノール)
クレオン : ベルナール・デレトレ(バス)
クレユズ : モニク・ザネッティ(ソプラノ)
オロンテ : ジャン・マルク・サルツマン(バリトン)

ウィリアム・クリスティ/レザール・フロリサン

ERATO/4509-96558-2




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