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無邪気さの後で、『アルミード』の切なさ、リュリの顛末。 [before 2005]

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1670年、太陽王がバレエを引退すると、次なる活躍の場所として、オペラに目を付けたリュリ... ペランによって設立(1669)されて間もない、フランス初のオペラ団体、フランス語詩と音楽によるオペラ・アカデミーが、カンベールの『ポモーヌ』(1671)で大成功すると、リュリは寵臣としての政治力に物を言わせて、ペランからオペラの上演権を強引に買い取る。1672年、そうして創設された、王立音楽アカデミー(現在に至る、パリ、オペラ座の始まり... )。さらにリュリは、巧みに規制を掛けて、王立音楽アカデミーによるオペラの上演の独占体制を確立。フランスでは、リュリ以外の作曲家がオペラに携われなくなる。『ポモーヌ』で大成功したカンベールは、活躍の場所を失い、1673年、失意の内にイギリスへと去る。またその年は、かつてのリュリの盟友、モリエールが世を去るのだけれど、そこに付け込むように、モリエールの劇団が使っていたパレ・ロワイアルの劇場(ここが、18世紀のパリ、オペラ座になる... )の使用権を獲得。てか、横取り?オペラを我が物とするため、そのオペラをフランス芸術の中心に据えるため、見事なクソ野郎っぷりを発揮するリュリだった。が、フランス・オペラの黎明期を、リュリ唯一人が担ったことで、フランスにおけるオペラは、より際立った方向性を示すことができたように思う。
というリュリが確立したフランス・オペラ、叙情悲劇=トラジェディ・リリク... リュリの死の前年に初演された、集大成とも言える作品... フィリップ・ヘレヴェッヘ率いるコレギウム・ヴォカーレとラ・シャペル・ロワイアルの演奏とコーラス、ギユメット・ロランス(ソプラノ)のタイトルロールで、リュリのオペラ『アルミード』(harmonia mundi FRANCE/HMC 901456)を聴く。

リュリの死の前年、1686年、パレ・ロワイアルの劇場で初演された『アルミード』は、リュリにとって13作品目のトラジェディ・リリクで、生前に上演された最後のトラジェディ・リリク。だからだろうか、より板に付いた音楽が響き出すようで、程好い花やかさに包まれながらも、トラジェディ・リリクならではの落ち着いたドラマ運びに惹き込まれる。で、その始まりは、太陽王を讃えるプロローグ(disc.1, track.1-8)。ブルボン王家のコマーシャルみたいな感覚だろうか?本編からすると、いい具合にユルめで、ふんだんにバレエが盛り込まれていて、改めて聴いてみると、ちょっと現代的なのかも、そのコマーシャルっぽさ... そうして幕が上がる、ロマン派以前のオペラの定番、タッソによる『解放されたイェルサレム』からの、十字軍騎士、ルノーと、イスラムの女王、アルミードの禁断の恋の物語!ちなみに、この物語を初めてオペラ化したのが、このリュリの『アルミード』。つまり、それだけ後のオペラに影響を与えた作品と言えるわけで... いや、納得。フランス語の台詞に無駄無く音楽を付け、コロラトゥーラで捲くし立てるようなことは一切せず、キャラクターの感情を丁寧に引き出し、ドラマにこそしっかりと焦点を絞って来る。2幕、5場、アルミードが歌う「とうとう彼は私の手に落ちた」(disc.1, track.21)の、長い科白... 眠る敵を前に恋に落ちてしまうアルミードの感情の揺れを、見事に音に乗せ、聴く者に迫る。華麗な音楽を繰り出すよりも、如何にドラマへと聴き手を引き込むか... 『アルミード』の聴き所は、歌=エールよりも、叙唱=レシタティフといっても過言ではない。まさに、フランス・オペラ、ドビュッシーの『ペレアスとメリザンド』へとつながる道が示されている。
という『アルミード』を、ヘレヴェッヘの指揮で聴くのだけれど、ヘレヴェッヘのオペラというのが、今を以ってしても珍しいというか、新鮮!で、オペラ慣れしていない実直さというのか、スコアに真っ直ぐ向き合うヘレヴェッヘらしい態度が、思いの外、落ち着いて、瑞々しいサウンドを紡ぎ出していて、美しい!それは、フランス・オペラに、どこかドイツ的なひたむきさを籠めて、リュリの音楽の可能性を静かに掘り下げて行くような、独特な感覚がある。すると、トラジェディ・リリクのリアリズムは活きて、よりドラマに惹き込まれてしまう。そんなドラマを支える、コレギウム・ヴォカーレとラ・シャペル・ロワイアルの、叙情に溢れ、悲劇の荘重さを丁寧に織り成す演奏!そして、ソロに負けじと豊かな表情を歌声に乗せるコーラス!もちろんソロも、それぞれ見事に演じ、『アルミード』のままならない恋の行方をジリジリと歌いつなぎ、物語を盛り上げて行く。が、タイトルロールを歌うロランス(ソプラノ)が、幾分、不安定で、弱い印象を受けてしまうのは残念。それでも惹き込まれる『アルミード』... いや、リュリの音楽というのは、聴く者を射抜くような純真さがあるのかなと... そのあたりを淡々と詳らかにして行く、ヘレヴェッヘによる『アルミード』を聴いてしまうと、リュリのクソ野郎っぷりも、思わず忘れて、『アルミード』の世界に惹き込まれる。
いや、おべっかクソ野郎も、とうとう運が尽きる時がやって来る。リュリのトラジェディ・リリクのほとんどが、宮廷で初演されてからパリで上演されるのが常。でない時は、その逆。宮廷では欠かさず上演されていたのだけれど、この『アルミード』は、宮廷では上演されなかった。というのは、リュリが、太陽王の小姓に手を出すというスキャンダルを起こし... いや、これまでもいろいろあって、とうとう愛想を尽かされたか?信仰に篤いマントノン夫人が太陽王の新たな寵姫となり(1684年、王妃が世を去ると、2人は秘密裏に結婚している... )、宮廷の雰囲気(まるで修道院のようだったとか... )は変わってしまい、もはやリュリの不行状を許容できなくなったのだろう。そうして、『アルミード』は、宮廷から拒絶された。嗚呼、リュリ、あなたがクソ野郎だということは知っていながらも、あなたの置かれた立場がアルミードに重なってしまうと、やたら切なく聴こえてしまう、『アルミード』...
リュリが太陽王に出会ったのは20歳の時、太陽王は14歳。そもそも、この2人の関係にロマンスを感じてしまう。もちろん、プラトニックではあっただろうけれど... 振り返ってみれば、リュリの音楽は、太陽王への愛そのものだった。太陽王を美しく踊らせるためのバレ・ド・クール、太陽王を楽しませるためのコメディ・バレ、太陽王を讃えるためのトラジェディ・リリク。しかし、太陽王は、作曲家を厚遇しても、寵姫にすることはなかった。なればこそ、貪るように寵臣としてやりたい放題に振る舞ったか?太陽王の小姓に手を出したのも、ある意味、初めて出会った太陽王の姿を求めてのことだったかもしれない... 多くの人物の人生を狂わせたリュリではあるけれど、リュリもまた狂わせられた側の人物だったのかもしれない。そう、アルミードを捨てたルノーは、太陽王その人!なんて考えると、ただならぬオペラに思えて来る。

LULLY ・ ARMIDE
COLLEGIUM VOCALE
LA CHAPELLE ROYALE
PHILIPPE HERREWEGHE


リュリ : オペラ 『アルミード』

アルミード : ギユメット・ロランス(ソプラノ)
ルノー : ハワード・クルック(テノール)
栄光/フェニス/メリッス/羊飼い : ヴェロニク・ジャンス(ソプラノ)
英知/シドニー/リュサンド/ナイアーデ : ノエミ・リム(ソプラノ)
イドラオ/ウバルド : ベルナール・デレトレ(バス)
騎士ダノワ/裕福な恋人 : ジル・ラゴン(テノール)
アルテモドール/憎悪 : ジョン・ハンコック(バリトン)
アロンテ : リュック・コードゥ(バス)

フィリップ・ヘレヴェッヘ/コレギウム・ヴォカーレ、ラ・シャベル・ロワイアル

harmonia mundi FRANCE/HMC 901456




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