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ぱぁっと花咲く太陽王の宮廷を彩った、リュリの無邪気さ! [before 2005]

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没後350年ということで、改めてクープランを聴いて、つくづく思う。フランス・バロックは、一筋縄には行かないなと... いわゆる「バロック」のイメージで捉えると、明らかに調子が狂う。そもそも、フランス・バロックに絶頂期をもたらしたリュリ(1632-87)が、フィレンツェの生まれであって、バロック期、フランスらしさを際立たせた巨匠が、イタリアからやって来たことは、興味深い... ま、リュリがフランスにやって来たのは、14歳の時で、本格的な音楽教育は、フランスに渡ってから。リュリの音楽は、フランス仕込みと言えるのだけれど... しかし、「バロック」を生んだ音楽先進地であるイタリア、それもオペラを生み出したフィレンツェに生まれながら、当時、音楽的にはローカルだったフランスで音楽教育を受けたことは、音楽史を振り返った時、何だか奇妙な印象も受ける。リュリの11歳年下で、ライヴァルだったシャルパンティエ(1643-1704)が、1660年代、ローマに留学していたことを考えると、何だかアベコベだなと... いや、この奇妙でアベコベであったことが、リュリの音楽を、そして、その音楽を以ってして絶頂期に至ったフランス・バロックを、際立ったものとしているように感じる。
ということで、前回のクープランの『リュリ賛』に続いて、そのクープランが讃えた、イタリアからやって来たフランス・バロックの巨匠、リュリ!エルヴェ・ニケ率いるル・コンセール・スピリチュエルの歌と演奏で、リュリのテ・デウム(NAXOS/8.554397)を聴く。

そもそも、リュリはなぜフランスへ?フィレンツェの粉挽き職人の家に生まれたリュリ少年は、ギターやヴァイオリンを器用に弾き、フランス切っての有力貴族、ギーズ家のおぼっちゃま、ロジェ(名家出身者たちで組織される、マルタ騎士団の一員... )の目に留まる。そして、王の従姉、"ラ・グランド・マドモワゼル"こと、アンヌ・マリー・ルイーズ・ドルレアン(王族の筆頭、オルレアン公爵家の姫で、ギーズ家のおぼっちゃまの姪にあたる... )の小姓にスカウトされ、1646年、フランスに渡る。で、当時のフランスは、イタリア出身の枢機卿、マザランが宰相(1643-61)として実権を握っていたこともあり、オペラを含め、イタリアからの音楽が彩っていた。マザランの死によって幕を開ける、太陽王の時代(1661-1715)の国粋主義的な性格からすると、ちょっと意外な印象を受けるのだけれど、フランス・バロックが絶頂期を迎えるにあたり、音楽先進地、イタリアからの刺激は、やっぱり欠かせないものだったように感じる。そうした中で、本格的な音楽教育を受けたリュリは、フランスの伝統を学び、イタリアの流行に触れ、目敏く自らの音楽の素地を築いて行ったのだろう。そうして、運命の出会いがやって来る。
1648年、絶対王政、マザランに反発する貴族たちの反乱、フロンドの乱が起こると、リュリが仕えていた"ラ・グランド・マドモワゼル"は、貴族たちの側に付く。が、1653年に反乱は鎮圧され、"ラ・グランド・マドモワゼル"は宮廷を追われると、20歳となったリュリは、"ラ・グランド・マドモワゼル"の下から飛び出し、自らを、未だ14歳だったルイ14世(在位 : 1643-1715)に売り込む。そして、"太陽王"というタイトルを生み出した『夜のバレエ』、フロンドの乱の鎮圧を記念するバレ・ド・クールに踊り手として参加する機会を得ると、見事、王の歓心を買い、シャンブルの器楽作曲家に就任。さらに、ヴァイオリニストとして、バレ・ド・クールの音楽を担当して来た、王の24のヴィオロンに加わる。が、旧来の音楽家たちと反りが合わず、リュリのために新たなアンサンブル、プティ・ヴィオロンが組織されるという厚遇っぷり。1661年には、シャンブルの総監督に就任。1670年、王がバレエから引退すると、オペラに目を付け、フランス語詩と音楽によるオペラ・アカデミー(1669年、詩人、ペランによって設立され、1771年、カンベールの『ポモーヌ』で始動した、フランス初のオペラ団体... )の上演権を買い取り、1672年、パリ、オペラ座の前身、王立音楽アカデミーを創設。オペラ上演の独占権を獲得し、フランスでも人気に火が付き始めたオペラを、その手中に納める。そんなリュリの絶頂期とも言える1677年に作曲されたテ・デウムを聴く...
太鼓が心地良くビートを刻み、管楽器がカラフルに鳴り響く、始まりのサンフォニーの花やかさたるや!フランスらしいキャッチーなメロディーに乗って、バレ・ド・クール仕込みというのか、リズミカルに音楽が展開されるリュリのテ・デウム(track.1-6)。コーラスは弾けるように快活に歌い、ぱぁっと花々が咲き乱れるよう。この気分が、太陽王の宮廷の雰囲気だったのだろうなァ。一方で、ソロの歌いには、どこかオペラを思わせるところもあって、教会音楽ではあるものの、リュリのバレエとオペラでの経験が見事に反映されていて、おもしろい。何より、その音楽の解り易さ!教会音楽というと、ルネサンス・ポリフォニーを引き継いだ対位法を用い、重々しく、教会の権威を高めるようなところがあるけれど、リュリはそういう素振りは一切見せず、シンプル。すると、全体がポップに仕上がって、ちょっとナポリ楽派を予感するような感覚も生まれている?クープランの「ロココ」へと通じる朗らかさが間違いなく存在していて... いや、これこそがフランス・バロックなのだろう。このお洒落さは、魅惑的!
というテ・デウムの後で、時代を遡った1664年のミゼレーレと、1668年のグラン・モテ「手を打ち喜べガリア」が取り上げられるのだけれど... まず、興味深いのが、ミゼレーレ(track.7-11)。「バロック」が煮詰まる前の姿を見せるようで、テ・デウムに比べると、はっきりと古風。それでいて、対位法を織り込み、教会音楽っぽさを響かせる。となると、辛気臭くなる?いやいや、けしてそうはならないのがリュリの流儀... 全体がやわらかなトーンに包まれて、より古いルネサンス・ポリフォニーを思わせるヘヴンリーさが漂い、ふわっと明るく、穏やかなのが心地良い。一方のグラン・モテ「手を打ち喜べガリア」(track.12-14)は、テ・デウムを準備するような明快さがあって、キャッチー。フランスの古称、ガリア!と、繰り返し唱和すれば、太陽王の時代のプロパガンダなのだろうなと... いや、プロパガンダって、いつの時代も明快で、聴く者の耳をしっかり捉えて来る。リュリも、ショスタコーヴィチに負けない仕事ぶりを聴かせてくれます。さすがは、太陽王の作曲家。王の信任も厚いわけだ。
という、テ・デウム、ミゼレーレ、「手を打ち喜べガリア」、3つのグラン・モテを聴かせてくれた、ニケ+ル・コンセール・スピリチュエル。どこか無邪気なリュリの音楽を、そのまま歌い奏で、あっけらかんとポップに仕上げて来る。いや、このポップ感こそ、フランス・バロックであって、いわゆる「バロック」とは一線を画す独特な気分を強調してくるニケ。それは、思い掛けなく現代的であって、新鮮!ピリオドなればこその古雅を感じながらも、その古雅がポップに変容し、現代的でもあるというおもしろさ... リュリのシンプルな音楽を真っ直ぐに受け止めると、こうも楽しい音楽が響き出すのかと、ニケのセンスに感服させられる。そんなニケに応える、ル・コンセール・スピリチュエルのコーラスの、すっきりとした歌声がまた際立っていて... ひとりひとりの奏者が、活き活きとサウンドを繰り出すオーケストラも、何とも魅力的。このコーラスとオーケストラがあって、リュリの音楽は隅々まで明るく照らされるよう。すると、フランス・バロックは、匂い立つ!

LULLY: Grands Motets Vol.1

リュリ : テ・デウム
リュリ : ミゼレーレ
リュリ : グラン・モテ 「手を打ち喜べガリア」

エルヴェ・ニケ/ル・コンセール・スピリチュエル

NAXOS/8.554397




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