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イザベッラ・コルブラン、ロッシーニのミューズ、そして... [2009]

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2018年は、ロッシーニ・イヤー!室内楽曲や、ピアノ曲宗教音楽に、機会音楽と、ベルカント・オペラの巨匠を、いつもとは違う視点から見つめて来たのだけれど、ウーン、ロッシーニの全体像は、オペラだけでは語れないなと... 何しろ、ロッシーニ、76年という長い人生において、オペラを作曲していたのは、たった19年。オペラを作曲していなかった方が、ずっと長いわけで... それでいて、密度に差こそあれ、それぞれの時代に、オペラとは一味違う作品を、様々に残していて、とても興味深い。のだけれど、そろそろ、オペラを聴きたくなる!ということで、ロッシーニのアリア集... それも、後にロッシーニ夫人となる、プリマ・ドンナ、イザベッラ・コルブランをフィーチャーした、なかなか興味深いアルバム!そして、コルブランからロッシーニを見つめれば?
ということで、エドアルド・ミュラー指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、同合唱団の演奏とコーラスで、ジョイス・ディドナート(メッゾ・ソプラノ)が歌う、ロッシーニのアリア集、"Colbran, the Muse"(Virgin CLASSICS/6945790)を聴く。

イザベッラ・コルブラン(1785-1845)。
スペインの王室礼拝堂のヴァイオリン奏者を父に、マドリードで生まれたコルブラン。その父に、早くから音楽教育を施され、やがてナポリに渡り、ナポリ楽派の作曲家、マリネッリから声楽を学び、さらに、人気を博していたカストラート、クレシェンティーニにも師事。ベル・カント歌手として、しっかりと鍛えられた後、1806年、マドリードでオペラ・デビューを果たすと、イタリアへと渡り、クレシェンティーニの弟子として、ミラノ、スカラ座、ヴェネツィア、フェニーチェ劇場と、名立たるオペラハウスの舞台に立ち、人気を博す。そして、1811年、ナポリのオペラ界を一手に引き受けるプロデューサー、バルバイアに招かれ、ナポリへ... ナポリでは、サン・カルロ劇場の充実したオーケストラ、コーラスを活かした、オペラ・セリアが多く上演されていて、コルブランは、スポンティーニ(イタリア出身ながら、フランスのトラジェディ・リリクの伝統を受け継ぎ、ナポレオン体制下、ケルビーニらとともにパリで活躍... )の『ヴェスタの巫女』(スポンティーニの代表作で、1807年、パリのオペラ座で初演... )といったドラマティックな作品に出演、華麗に歌うばかりでない、悲劇女優としての圧倒的な存在感を示し、ナポリのプリマとして、時代を代表する大スターの地位を確立。そこに、若き巨匠、ロッシーニがやって来る。1815年、『イングランド女王、エリザベッタ』を皮切りに、大スターと若き巨匠のコラヴォレーションが、ナポリにて始まった...
ということで、"Colbran, the Muse"は、そのコラヴォレーションを追うのだけれど、ロッシーニ定番のオペラ・ブッファ、『アルジェのイタリア女』(1813)とか、『セヴィーリャの理髪師』(1816)とか、『チェネレントラ』(1817)からのアリアは、そこに含まれない。というあたり、ロッシーニのアリア集としては、ちょっと寂しい気もする?いやいやいや、オペラ・ブッファでブレイクした、馴染みあるロッシーニ像とは違う、オペラ・セリアへと軸足を移した、巨匠然としたロッシーニ像が、とても印象的で、はっきりと作曲家としての成熟が、そこからは聴き取れて、唸ってしまう。で、その始まり、『アルミーダ』の2幕のフィナーレから、ただならぬ緊張感に充ちていて、何より、コルブランが歌ったアルミーダが登場すると、その威厳に溢れる存在感に圧倒される。もう、のっけから、コルブランがどういう歌手だったのかを思い知らされるよう。一方、『イングランド女王、エリザベッタ』(1815)のカヴァティーナ「この心には、なんと喜ばしいことが」(track.6)では、『セヴィーリャの理髪師』(1816)のロジーナのアリア「今の歌声は」、『チェネレントラ』(1817)のアリア・フィナーレへと発展するメロディーが表れていて、使い回しの大本が露わになるからおもしろい。裏を返すと、ロッシーニの代表作とも言えるオペラ・ブッファの聴かせ所が、コルブランのためのひとつのアリアに籠められていたわけで、そのあたり、ロッシーニのプリマへの思いが滲み出ているのか... そればかりでなく、"Colbran, the Muse"からは、ただならずロッシーニのコルブランへの愛が感じられる。如何にして、愛する人を美しく際立たせるか... 若き巨匠の本気度が、全てのナンバーから窺える。
そう、コルブランは、やがてロッシーニ夫人になるのだけれど、そこに至るまでは、オペラに負けないドラマティックな展開があった!そもそもコルブランは、ナポリ王のお気に入りで、その寵愛を受けながら、プロデューサー、バルバイアの愛人でもあった。そして、そこにロッシーニが加わり、状況は複雑に... そういう複雑さから、コルブランのためのアリアが生まれていたと思うと、感慨深い。障壁があってこそ、その芸術性で全てを捧げる若き作曲家... まるで、『椿姫』のよう。が、間もなくナポリ王は心変わりをし、1821年、バルバイアがウィーンのケルントナートーア劇場の劇場支配人となり、ウィーンに進出すると、ナポリのプリマと、若き巨匠をウィーンへ呼ぶ。その旅の途中、バルバイアがいない所で、コルブランとロッシーニは結婚。新婦37歳、新郎30歳というカップルは、『ばらの騎士』を思わせる?で、そんな結末を迎える。コルブランの声には、目に見えて衰えが表れ、ウィーンでの公演は成功したものの、イタリアの聴衆はそう甘くなく、ロッシーニ夫妻はパリへ、ロンドンへと活動場所を模索するが、そこでもコルブランの衰えは明白であって、1824年、引退。一方、ロッシーニの名声は、さらに高まり、2人の立場は逆転。それは嫉妬だったか?コルブランは夫を困らせる存在となり、夫には年若い愛人(後に2人目のロッシーニ夫人となるオランプ・ペリシエ... )ができた。そして、1837年、2人は離婚する。
そんな2人の結末を見つめながら聴く、"Colbran, the Muse"は、独特な迫力がある。希代のプリマの一生を綴るように、ドラマティックなナンバー、シーンが並び、アリア集でありながら、まるでひとつのオペラを見るかのよう。特に、夫に殺められようとしている妻を描く『オテロ』の3幕(track.9-13)から、恋人に捨てられ復讐を誓う『アルミーダ』のフィナーレ(track.14-16)を取り上げる後半のヴォルテージの高まりは、圧巻!愛憎半ばする感情が、悲しみ、悶え、表情に富むを音楽を紡ぎ出すあたりは、若さの勢いで繰り出していたロッシーニのオペラ・ブッファとは一線を画し、深い。それをまた際立たせるディドナートの見事な歌いがあって... じっくりと丁寧に歌い紡ぎ、ナポリのプリマの、女王然とした居住いを、21世紀の今に、活き活きと蘇らせる。ドラマティックでありながら、極めてクラッシーであり、なればこそのロッシーニの音楽の瑞々しさが際立ち、その瑞々しさから、コルブランの存在そのものが、リアルに感じられるようで、凄い。そんなディドナートを支える、ミュラー指揮、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管の演奏がまた瑞々しく、それでいて、思いの外、繊細で、感情の機微を見事にすくい上げており、ロッシーニのオペラ・セリアのすばらしさを、背景からしっかりと描き上げる。しかし、ロッシーニのオペラ・セリアも魅力的!強く惹き込まれるドラマがある。

Rossini: Colbran, the Muse ・ JOYCE DIDONATO

ロッシーニ : オペラ 『アルミーダ』 から 第2幕 フィナーレの変奏付き主題 「愛の神の甘き支配に」
ロッシーニ : オペラ 『湖上の美人』 から
   導入部 「夜明けの最初の光よ!」
   フィナーレのロンド 「このような瞬間に、あまりにも多くの思いが」「父と愛する人の間で」
ロッシーニ : オペラ 『マホメット2世』 から 祈り 「正義なる天よ、これほどの危険の中では」
ロッシーニ : オペラ 『イングランド女王、エリザベッタ』 から カヴァティーナ 「この心には、なんと喜ばしいことか」
ロッシーニ : オペラ 『セミラーミデ』 から
   女たちの合唱 「その美しいお目を晴れやかに輝かせ」
   カヴァティーナ 「喜ばしくも麗しい、一筋の光」
ロッシーニ : オペラ 『オテロ』 から 第3幕
ロッシーニ : オペラ 『アルミーダ』 から 第3幕 フィナーレ

ジョイス・ディドナート(メッゾ・ソプラノ)
エドアルド・ミュラー/サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団、同合唱団

Virgin CLASSICS/6945790




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