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ロッシーニ・イヤー、開幕の序曲。 [before 2005]

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2018年はロッシーニ・イヤー!ということで、新年、最初の1枚は、ロッシーニの序曲かなと... いや、お正月というと、ウィンナー・ワルツが定番なのだけれど、軽快なロッシーニの序曲もまたぴったりな気がする。ロッシーニ・クレッシェンドで盛り上がり、ぱぁっとリズムが弾けるあたりは、シャンパンのよう。新年を祝うには、ロッシーニの方がいいようにすら思う。さて、みなさん、お正月は、どのように過ごされましたか?こちらは、緩みに緩んでしまって、日常を取り戻せるのかと心配になるほど... いや、大掃除だ、なんだで、思いの外、年末の疲れが出てしまったか、完膚なきまでに"お正月休み"状態。で、再起動のボタンが見つからない!そんな時には、ロッシーニ・クレッシェンド。新年のシャンパンは、エナジー・ドリンクでもあったことを思い出す。キャッチーなメロディーに、とにかく調子の良いリズム、テンションを上げてくれる要素でいっぱいの、ロッシーニの序曲!
ということで、没後150年のメモリアルを迎えたロッシーニの序曲で始める、2018年の音のタイル張り舗道。クラウディオ・アバドの指揮、ヨーロッパ室内管弦楽団の演奏で、ロッシーニの序曲集(Deutsche Grammophon/431 653-2)を聴いて、スタート。

オペラの序曲集、と言って、すぐに思い付くのは、モーツァルト、ワーグナー、そして、ロッシーニかなと... で、もうちょっと思いを巡らすと、ウェーバー、ヴェルディあたりが浮かんで来る。オペラ作家と言える作曲家は、数多くいるけれど、序曲集ということでクローズ・アップされる存在は、意外と少ないのかもしれない。オペラにとって"序曲"は、扉であって、そう力を入れる場所ではないのだろう。それでも印象的な序曲を書いた、序曲集の定番の面々... 例えば、モーツァルトにとっての序曲は、ある種、本編から切り離された、独立した管弦楽曲とも言えるのかもしれない。なればこそ、ひとつの作品としての完成度は高く、モーツァルトらしく、キラキラと輝く。で、そこには、シンフォニストでもあるモーツァルトの、そのシンフォニーの揺り籠であったバロック・オペラの序曲、イタリア式序曲=シンフォニアの記憶を揺り起こすようであり... バロックから地続きの古典派ならではの在り様が、モーツァルトの序曲の魅力のベースにあるのかなと... 一方、ワーグナーの場合、作品全体への徹底的なこだわりが、序曲、前奏曲からして漲っていて、ロマン主義の時代を象徴する壮大なドラマの一部として、しっかり機能させ、その存在感は、物語の扉を越えたものとなり、他のオペラ作家たちからは抜きん出た音楽を生み出している。物語との一体感がありながら、それだけでも十分に雄弁であるワーグナーの序曲、前奏曲... それは、明らかに交響詩を予感させるものであって、序曲というスケールを逸脱してしまっていると言えるのかもしれない。
そして、ロッシーニなのだけれど... この人の序曲との向き合い方は、何とも言い難いものがあって、それぞれのオペラの序曲の成立を丁寧に見つめると、ギョっとさせられることすらある。というのが、1816年、ローマ、アルジェンティーナ劇場で初演された『セヴィーリャの理髪師』の序曲。お馴染みの楽しい序曲は、実は、1815年、ナポリ、サン・カルロ劇場で初演された『イングランド女王、エリザベッタ』からの使い回しで、元々は、さらに2年を遡った1813年、ミラノ、スカラ座で初演された『パルミラのアウレリアーノ』の序曲だった!いや、3回も使い回すって、作曲家として、どーなのよ?もちろん、1810年代、一気にブレイクを果たした時期だけに、多忙を極め、序曲を書く暇も無かったのかもしれないけれど... しかし、裏を返せば、『パルミラのアウレリアーノ』のために書いた序曲に、相当、自信があったとも言えるわけで... 3回目の使用となる『セヴィーリャの理髪師』では、パイジェッロの人気作のリメイク(『セヴィーリャの理髪師』というと、今でこそロッシーニだが、当時はパイジェッロこそスタンダードだった... )とあって、ライジング・スター、ロッシーニとっても、相当にハードルの高い演目。そこに、『パルミラのアウレリアーノ』のために書いた序曲を持って来るということは、使い回すというより、お守りのような序曲だったのではないだろうか?そして、実際、ドンピシャで『セヴィーリャの理髪師』の物語にはまり、今となっては、『パルミラのアウレリアーノ』のために書かれたことが、すっかり忘れ去られてしまっているからおもしろい。
序曲に対して、気の無いような素振りを見せつつ、しれーっと、しっかり書いているロッシーニ。『セヴィーリャの理髪師』(track.1)序曲の表情の豊かさは、片手間のものではないし、なればこそ、みんなに愛されるわけで... オリエンタルな鳴りモノでアクセントを付ける、『アルジェのイタリア女』序曲(track.3)の程好いスパイシーさ。『チェネレントラ』序曲(track.5)の、本編、1幕の幕切れを巧みに織り込んで、楽しく盛り上げるあたり(いや、これも『新聞』序曲の使い回しなのだけれど... )。『どろぼうかささぎ』序曲(track.7)の、華やかな行進曲と、ロッシーニならではの軽妙でキャッチーな音楽で彩る2部構成。そして、晩年(とはいえ、37歳で引退するロッシーニだけに、年齢的にはまだ若いのだけれど... )の大作、『セミラーミデ』序曲(track.2)の堂々たる音楽は、ドイツ・ロマン主義にも通じるセンスも見受けられ、なかなか興味深く... そうした歩みを辿って聴く、最後のオペラにして、ロッシーニの最も有名な序曲、『ギヨーム・テル』序曲(track.4)の、実に豊かな音楽!チェロの瑞々しい演奏で始まる冒頭から、得意の嵐の音楽を経て、再び静寂が訪れたところに、スイス軍がゆく!このパノラマ的展開は、他のロッシーニの序曲と比べれば、実に際立っている。いや、最後で殻を破って来るロッシーニの凄さたるや... という、最も有名な序曲も含め、実に多彩な序曲の数々!序曲だけでも十分にイケてしまう...
そんなロッシーニを、アバドの指揮、ヨーロッパ室内管で聴くのだけれど、いやー、魅力的な序曲が、より鮮烈に響き出して、驚かされる!アバドならではの精緻さが、ロッシーニの音楽をシャープに捉え、ただ楽しいだけじゃない、音楽としてのすばらしさを、見事に引き出す。そんなアバドに応えるヨーロッパ室内管は、どこかピリオド・アプローチを思わせて、ヴィブラートを抑えるようなところがあり、切れ味の鋭い演奏を繰り広げる。それでいて、「室内」の規模を覆すような鳴りの良さで、圧巻のサウンドも響かせるから、凄い。もちろん、「室内」なればこその無駄の無さ、しっかりとコントロールの利いたアンサンブルが、ロッシーニの軽快さをスリリングな段階へと押し上げ、聴き馴染んだロッシーニの序曲に、いつもとは異なる聴き応えもある。いや、久々に聴くと、こんなにもおもしろかった?!と、目から鱗。何より、ロッシーニの序曲が刺激的に感じられ、惹き込まれる。でもって、こういう音楽に触れると、何か、身体の内側から元気になれる感じ!

ROSSINI: OVERTURES
THE CHAMBER ORCHESTRA OF EUROPE / CLAUDIO ABBADO


ロッシーニ : オペラ 『セヴィーリャの理髪師』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『セミラーミデ』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『アルジェのイタリア女』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『ギヨーム・テル』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『チェネレントラ』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『絹のはしご』 序曲
ロッシーニ : オペラ 『どろぼうかささぎ』 序曲

クラウディオ・アバド/ヨーロッパ室内管弦楽団

Deutsche Grammophon/431 653-2




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