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2017年、今年の音楽、『サロメ』。 [before 2005]

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さて、"今年の漢字"が「北」とのことだけれど、ちょっとピンと来ない。まあ、かの国のことなのだろうけれど、"今年の漢字"というほどのものなのか?と、インパクトに欠けるように感じる「北」。そこで、昨年に続き、"今年の音楽"を選んでみようかなと... 音のタイル張り舗道。が選ぶ、2017年の音楽、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『サロメ』!いや、改めて、このオペラに触れてみると、まさに今を映し出すようで、恐くさえなる。もちろん、旧約聖書を題材とした作品であって、現代からは遠い話しなのだけれど、自らの欲望にのみ忠実な登場人物たちの有り様とか、その欲望のぶつかり合いが生む騒々しさとか、その先に待っている悲劇とすら言い得ない結末とか、象徴的なのが、律法学者たちの論を戦わせることに終始する不毛、さらには猟奇的で、倒錯的で、身も蓋も無いストーリー... そこには、原作である戯曲を書いたオスカー・ワイルドの時代、19世紀末の気分が濃厚に反映されているわけだけれど、それが、2017年のリアルに、あまりに重なるという、おもしろさ... いや、耽美的な世界で眩惑して来る人気作ではあるけれど、よくよく見つめれば、そう甘い作品ではないように思う。2017年の我々が見つめれば、何かヒリヒリするような、チクチクするような感覚があって、何とも言えない心地にさせられる。
ということで、クリストフ・フォン・ドホナーニの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏、ブリン・ターフェル(バリトン)のヨカナーン、キャサリン・マルフィターノ(ソプラノ)のサロメで、リヒャルト・シュトラウスの楽劇『サロメ』(DECCA/444 178-2)を聴く。

久々に聴くからか、もの凄く興味深く感じてしまう、リヒャルト・シュトラウスの『サロメ』。まず、唐突に歌い始められる第1場に驚かされる。序曲はもちろん、序奏らしい序奏すらないという、拙速さというのか、余韻を生まないドライさとでも言おうか、オペラ的な情緒をあっさり切り捨てる、その後のリヒャルト・シュトラウスのオペラでは考えられない潔さが、凄く現代的に感じられて、おもしろい。そうして、流れ出す音楽も、王女、サロメに思いを寄せる親衛隊長、ナラボートは、世紀末の気分を多分に含んでロマンティックなメロディーを歌うのだけれど、これから起こる不吉を予感する小姓の叙唱は、仄暗く、無調っぽく、2人の短い会話は、何だか噛み合わない... そこに、不協和音で響く兵士たちの驚きの声!捕えられた、預言者、ヨカナーンの登場。で、ヨカナーンは、まるでワーグナーの楽劇の英雄のように歌い出す(disc.1, track.2)。いや、『サロメ』の音楽は実に盛りだくさん!キャラクターの性格に合わせて、ワーグナーから、当世風の世紀末的なロマン主義、さらには、シェーンベルクを予感させる表現主義(無調に、シュプレッヒ・ゲザングを思わせるところも... )までを巧みに用い、ドラマを立体的に描き出そうとするのか... 今、改めて、そのあたりを意識的に聴いてみると、それは多様式主義と言えそうなほど、統一感は無く、キャラクターの個性の強さと、ぶつかり合う欲望が生む緊張感が見事に表現されていて、感服するばかり。で、音楽的語法に統一感は無くとも、全体の音楽的印象は強烈にひとつのものとして紡ぎ出されるという凄技!リヒャルト・シュトラウスのオペラは、次作、『エレクトラ』で、無調に至り、ひとつの頂点を迎えるわけだけれど、いやいや、ある種、音楽語法のカオスを生み出した『サロメ』こそ、より尖がっていて、挑戦的に思えて来る。
という『サロメ』の物語は、当時、カウンター・カルチャーのシンボルで、かなり危険なものでもあった。フランスの伝説的な女優、サラ・ベルナール(演劇のみならず広く芸術界に影響を与えミューズで、ドビュッシーは彼女のために『聖セヴァスティアンの殉教』を書いている... )のためにフランス語で書かれたオスカー・ワイルドの戯曲『サロメ』は、1892年にロンドンで初演される予定だったものの、聖書を用いながら退廃的なストーリーが問題視され、検閲で弾かれ上演禁止となってしまう。が、戯曲そのものは、1893年にパリで出版され、評判を呼び、ワイルドの恋人、アルフレッド・ダグラスによって英訳(ワイルド自身の修正もあって... )され、1894年には、ロンドンでも出版。ピアズリーの挿絵とともに、当時のサブ・カルチャーに強烈なインパクトを放った。そんな『サロメ』が初めて舞台に掛かったのは、1896年、パリ。舞台は評判となり、それから6年後、1902年には、ドイツ語訳され、ドイツを代表する演出家、マックス・ラインハルト(後に『ばらの騎士』の初演の演出を手掛ける... )によってベルリンで舞台に掛けられ、大成功する。その舞台を見たリヒャルト・シュトラウスは、すでに楽劇『サロメ』を作曲していると語っていたらしい... で、それが具体的に形となったのが1904年。おもしろいのは、同時期に、自らの充実した家庭を題材とした家庭交響曲も書いていたこと... 一方では幸せなリヒャルト・シュトラウス家を交響曲にしながら、もう一方では破綻したヘロデ王家をオペラにするという、リヒャルト・シュトラウスの音楽に対する醒めた態度が、凄い。そうして、ドレスデンで初演(1905)を迎えた『サロメ』は、じわじわと人々を熱狂させ、『サロメ』を見るための特別列車が走るほどの一大ブームに!いや、みんな、危険なものを求めていたわけだ。
その『サロメ』を、ドホナーニの指揮、ウィーン・フィルの演奏で聴くのだけれど... いやー、まさに刺激的!ドホナーニのアプローチは解析的で、定番のオペラも一味違って聴こえ、より複雑なテイストが浮かび上がる。そうして露わになる、前衛作曲家としてのリヒャルト・シュトラウス像... ウルトラ・ロマンティシズムの耽美な世界に、近代音楽が随所に組み込まれていることが明確となり、それをまたしっかりと機能させ、ドラマをより精緻に繰り出す。デカダンスの魅惑に流されるのではなく、リヒャルト・シュトラウスの、どこか醒めた視点を掘り起こし、よりモダニスティックな音楽として響かせる妙!そのシャープさが、かえって物語のグロテスクを炙り出し、惹き込まれる。そんなドホナーニの音楽性に、思いの外、従順なウィーン・フィルがまた印象的... この名門ならではの芳しさは、ドホナーニのシャープさを前に、悶えるような表情を見せて、それがまたテイストとなり、『サロメ』の物語を引き立てる。そして、主役、マルフィターノ(ソプラノ)のサロメ!純真なお姫様であり、お姫様らしく筋金入りの我がままであり、何と言ってもフェティシスト!一筋縄には行かない役を、コロコロと表情を変えて歌い切る見事さ... さらに、雄弁なターフェル(バリトン)のヨカナーンに、まるでシュプレッヒ・ゲザンクのような叙唱を繰り出すリーゲル(テノール)のヘロデ王など、際立ったキャラクターが少しギミックに絡み合い、息衝くドラマを紡ぎ出す。この感覚、オペラというより、芝居に近いのか?この切っ先の鋭さが、最高!

RICHARD STRAUSS
SALOME
MALFITANO ・ TERFEL ・ SCHWARZ ・ BEGLEY
WIENAR PHILHARMONIKAER ・ DOHNANYI


リヒャルト・シュトラウス : 楽劇 『サロメ』

ヘロデ : ケネス・リーゲル(テノール)
ヘロディアス : ハンナ・シュヴァルツ(メッゾ・ソプラノ)
サロメ : キャサリン・マルフィターノ(ソプラノ)
ヨカナーン : ブリン・ターフェル(バリトン)
ナラボート : キム・ベグリー(テノール)
小姓 : ランディ・シュテーネ(メッゾ・ソプラノ)
奴隷 : ランファイグ・ブラガ(ソプラノ)
第1のユダヤ人 : ウーヴ・ペパー(テノール)
第2のユダヤ人 : ロビン・レガーテ(テノール)
第3のユダヤ人 : ウーヴェ・シェーンベック(テノール)
第4のユダヤ人 : フェルディナンド・ザイラー(テノール)
第5のユダヤ人 : アンドレアス・コーン(テノール)
第1のナザレ人 : ペーター・ローゼ(バリトン)
第2のナザレ人 : マルティン・ガントナー(バス)
第1の兵士 : フローデ・オルセン(バス)
第2の兵士 : ゲオルク・バウカー(バス)
カッパドキア人 : ヴァルター・ツェー(バス)

クリストフ・フォン・ドホナーニ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

DECCA/444 178-2




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