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飾らない、ありのままの物語... シュッツのクリスマス物語。 [before 2005]

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2017年、本当に、本当に酷い一年だった。いや、この暮れも押し迫る中、未だに酷いことが、ダメ押しのように続く... ニュースに映し出される、その酷さを目の当たりにし続けると、何だかもう、それら、現実として受け止められなくなって来る。フェイク・ニュース?この言葉を発する人々の気持ちが、何となく理解できる気がして来た。許容量オーバーの現実を前にして、それらを嘘だとしてしまうことは、ある種の自己防衛本能なのかもしれない。一方で、現在、我々は、人類史上、最も恵まれた時代を生きているらしい。いやいや、それこそフェイク・ニュース!となりそうなのだけれど、一度、冷静になって、歴史を振り返ってみよう。携帯の無い時代、インターネットが無い時代、電気が無い時代、法の下の平等が無かった時代、食糧事情が悪かった時代、自然災害になすすべも無かった時代、神に祈るしかなかった時代... 歴史を遡れば見えて来る、我々は、人類史上、最も恵まれた時代を生きているという事実。そして、今、我々を惑わし、煩わせる、様々な問題の根っこにあるのは、その事実を認識できないでいることなのでは?問題を嘆くことばかりに忙しく、改善されて来たことを認めることができない... だから、この先への改善の道程が示せない... だから、ひたすら怒りに終始する。これは、何の呪い?
そんな呪いから自由になるために、ポジティヴな心持ちを取り戻す音楽... シギスヴァルト・クイケン率いる、ラ・プティット・バンドの演奏と合唱、シュテファン・ゲンツ(バリトン)、エリザベート・ショル(ソプラノ)、ハリーファン・デル・カンプ(バス)の歌による、シュッツの『イエス・キリストの降誕の物語』(deutsche harmonia mundi/05472 77511 2)で、メリー・クリスマス!

はぁー、クリスマスだァ。という、朗らかさに包まれる導入曲!けして派手な音楽ではないのだけれど、これからクリスマスの物語が始まりますよ!という冒頭のコーラスのハッピーな表情に触れると、何だかワクワクしてしまう。そして、イエス様がどんな風に生まれたかを、やさしく語り掛けて来る福音史家のレチタティーヴォ... 温もりをいっぱい含んだポジティフ・オルガンを伴奏に、思いの外、メロディアスに、ふんわりと歌われ、あかちゃんが生まれたよ!という喜ばしさを、絶妙に描き出す。この感覚、まさにドイツ・バロック!そして、素朴で温もりに充ちたトーンは、まさにクリスマスだなと... 続く、天使が歌い出す、インテルメディウムI(track.2)では、生まれた赤ちゃんは、救世主ですよ!と、何だか町内放送を思わせる感覚で、同じフレーズを繰り返し歌われる微笑ましさ!そのシンプルさには、初期バロックの音楽を意識させられる。のだけれど、その天使に導かれ、天からやって来た、み使いたちが歌う、神を賛美するインテルメディウムII(track.3)でのコーラスは、ポリフォニックに歌われ、ルネサンスへと回帰するよう。しかし、ルネサンス・ポリフォニーなればこそ生まれるヘブンリーさが、天のみ使いたちの音楽にぴったり。いや、改めて『イエス・キリストの降誕の物語』を聴いてみて、おもしろいなと思うのが、バロック(新)、ルネサンス(旧)を巧みに行き来するシュッツの器用さと、新旧のスタイルをひっくり返して用いるようなあたり... 劇的に描かれる場面、オペラの黎明期を意識する場面で、かえって、かつての時代のポリフォニーを用い、そうした場面をつなぐ語りでは、オペラを思わせるドラマティックさが表れ... 思いの外、表情に富む、福音史家のレチタティーヴォと、複数で歌われる、ポリフォニックなそれ以外の場面の対比が興味深く、何より、惹き込まれる。
"ドイツ音楽の父"とも言われるシュッツ、なぜに父と成り得たかというと、音楽先進地域、イタリアで最新の音楽を学び、誰よりも早く、その最新の音楽を、ドイツで繰り広げることができたから... というシュッツ(1585-1672)は、ドイツ中部、テューリンゲン地方で生まれ育ち、やがてヘッセン・カッセル方伯にその才能を見出され、奨学金を得て、1609年、ヴェネツィアへと渡る。かの地では、ヴェネツィア楽派の巨匠、ジョヴァンニ・ガブリエリ(ca.1554/57-1612)に師事し、ヴェネツィア楽派が生み出した分割合唱=コーリ・スペッツァーティを体得。師、ガブリエリの死を機に帰国し、ヘッセン・カッセル方伯のオルガニストになるも、ザクセン選帝侯の宮廷に移り、その後、楽長にまで上り詰めた... が、シュッツの凄いところは、学ぶことを止めなかったこと!1628年、再びヴェネツィアへと渡り、今度は、サン・マルコ大聖堂の楽長となっていたモンテヴェルディ(1567-1643)に師事。ポリフォニーに取って代わるモノディ、モンテヴェルディの言うところの第二作法を体得し、バロックの作曲家へと進化する。そうして作曲されたのが、ここで聴く、『イエス・キリストの降誕の物語』(track.1-10)。シュッツ、晩年にあたる、1660年頃、ドレスデンで初演されたこの作品は、2度のイタリア留学で体得した新旧のスタイルを丁寧に用い、見事に総合し、まさに集大成。一方で、1660年代となってなお、新旧のスタイルが混在するあたり、ドイツの独自路線を感じられ、バッハっぽさも表れている?いや、ドイツ・バロックの起点を見出し、感慨を覚える。
というシュッツの音楽を、得も言えぬ温もりを以って響かせるシギスヴァルト・クイケン+ラ・プティット・バンド。集大成でありながら、起点であり、バロックも深まりつつある1660年代にして、ルネサンスの性格を残すという、どこか煙に巻くような音楽を、真摯に向き合って、その煙にほのぼのとしたファンタジーを見せてくれる、素敵な歌であり、演奏... けして派手ではない音楽を、楚々と響かせることで、その良さを十二分に引き出す。そして、印象深いのが、ゲンツ(バリトン)が歌う福音史家... クリスマスを語るだけに、瑞々しく、明朗で、何とも耳に心地良い。そんな歌声があって、クリスマスのハッピーがそこはかとなしにこぼれ出し、幸せな気分にしてくれる。また、『イエス・キリストの降誕の物語』(track.1-10)の後で、クリスマスに因んだシュッツの作品が取り上げられるのも、絶妙。しかし、ルネサンス期のど真ん中で活躍した、イザークの音楽の後に聴くシュッツというのが、なかなか感慨深かった。シュッツが楽長を務めたドレスデンの宮廷でも仕事をしたイザークだけに、受け継がれるものもあったはず... 何より、時代を越えて共通する2人の音楽が持つ素朴さと温もりは印象的で、やがてバッハへと至るドイツの音楽のおおきな潮流がそこに見出せた気がする。

HEINRICH SCHÜTZ ・ CHRISTNAS WORKS
LA PETITE BANDE ・ SIGISWALD KUIJKEN

シュッツ : 『イエス・キリスト降誕の物語』 SWV 435
シュッツ : 「主のみ使いが、夢でヨセフに現れていった」 SWV 403 〔『シンフォニア・サクレ』 第3集 より〕
シュッツ : ドイツ語によるマニフィカト 「私の魂は、主をあがめ奉ります」 SWV 494
シュッツ : 「主よ、いまこそあなたはあなたの僕を」 SWV 352 〔『シンフォニア・サクレ』 第2集 より〕
シュッツ : モテット 「山上で叫びがきこえた」 SWV 396 〔『ガイストリッヒ・コーアムジーク』 より〕
シュッツ : ラテン語によるマニフィカト 「主の魂は、主をあがめ奉ります」 SWV 468

福音史家 : シュテファン・ゲンツ(バリトン)
天使 : エリザベート・ショル(ソプラノ)
ヘロデ : ハリー・ファン・デル・カンプ(バス)
シギスヴァルト・クイケン/ラ・プティット・バンド

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