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こどもの頃を手繰り寄せて、『くるみ割り人形』、ロシア・バレエの黄昏... [2010]

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バレエは、フランス語。だけれど、語源は、イタリア語の「踊り」を意味する"ballo"、バッロに遡る。で、ルネサンス期、イタリアの各地の宮廷で踊られていたというバロ(例えば、モンテヴェルディの『情け知らずの女たちのバロ』に、その言葉を見出せる... )の、小さいもの、あるいは、軽いものと捉えるべきか、"balletto"、バレットがフランスに持ち込まれ、"ballet"、バレとなる。バレは、すぐに宮廷バレエ、バレ・ド・クールとして発展し、ルネサンス末からバロックに掛けて王家に愛され、隆盛を極めたが、やがて、参加型のバレから、鑑賞型のバレエに進化し、現在にいたるバレエが形作られる。そうしたフランスにおけるバレエも、19世紀前半、ロマンティック・バレエの出現によって、頂点を極めると、間もなく陰りが見え始め... 一方で、そのフランスに倣い、着実に成長を遂げて来たロシア・バレエが、19世紀後半、黄金期を迎える。そして、そこから、芸術全般に大きな影響を与える、ロシア・バレエ団、バレエ・リュスが誕生。20世紀前半、本家、フランスへと乗り込み、ロシア革命(1917)もあって、パリを拠点とし、モダン・バレエの扉を開いた。という風に、ざっくりとバレエ史を見つめると、イタリアからフランスへ、フランスからロシアへ、ロシアからまたフランスへ、ボールが受け渡されて行く過程が、おもしろいなと... オペラとはまた違った道筋が窺えて興味深い。しかし、バレエもまた、イタリアに端を発するのだなと...
さて、12月となりました。ということで、クリスマス!サイモン・ラトル率いる、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、チャイコフスキーのバレエ『くるみ割り人形』(EMI/6463852)。ロシア・バレエの黄金期、チャイコフスキーの三大バレエの最後を飾るお馴染みの作品... だけれど、ラトル+ベルリン・フィルで聴くと、目が覚める思い!いや、これはバレエを越えている!

1890年、サンクト・ペテルブルク、マリインスキー劇場で初演された『眠れる森の美女』は、大成功!帝室劇場監督、フセヴォロシスキーは、早速、『眠れる森の美女』を作曲したチャイコフスキー、振り付けたプティパを再結集し、翌シーズンのための新作の準備をスタートさせる。そうして選ばれた題材が、E.T.A.ホフマンの童話、『くるみ割り人形とねずみの王様』(1816)。前作に引き続き、メルヘン路線で... ということだったのだが、台本を担当したプティパは、原作を随分と翻案、フランス革命を舞台とし、まるで革命劇のようなものを生み出してしまう。というのも、一向に保守的な体制から抜け出せない帝政ロシアの閉塞感はかなりのものとなっており、皇帝も犠牲となった爆弾テロ(1881)が発生したりと、ロシア革命(1817)は刻々と迫っていた... いやだからこそ、フセヴォロシスキーは慌てて台本を書き直させる。そうして、現在の『くるみ割り人形』の物語が生み出されるのだけれど、革命劇の『くるみ割り人形』というのも、興味を覚えてしまう。てか、現在の『くるみ割り人形』を思えば、まったく想像が付かないのだけれど... 初稿の台本が残されていて、ロシア革命後に、ショスタコーヴィチなんかが作曲したら、結構、おもしろかったかもしれない。というゴタゴタがあって、台本の完成は遅れ、チャイコフスキーに台本が渡ったのは、初演が予定されていた1891年になってから... でもって、すっかり世界的な作曲家となっていたチャイコフスキーも多忙(ちょうど、ニューヨーク、カーネギーホールの柿落としのため、アメリカに渡ることになっていた... )で、なかなか作曲に取り組む時間が持てなかった。そもそもチャイコフスキーは、こども向けのような物語に、あまり乗り気ではなく、そこに来て、『眠れる森の美女』同様、プティパの詳細な指示もわずらわしく感じられ、筆はあまり進まなかったよう。だったが、自らのこども時代、仲の良かった妹との記憶を重ね、書きたいように書こう!と切り替え、1892年に完成。結果、チャイコフスキーの三大バレエの最後を飾るに相応しい名作が生まれた。
という『くるみ割り人形』を、ラトル+ベルリン・フィルで聴くのだけれど... さすがはベルリン・フィル!圧倒的にして、徹底的なオーケストラ・サウンドで繰り出される『くるみ割り人形』は、バレエを越えていて、踊らずとも物語が動き出してしまいそうなほど、音そのものが躍動的!で、濃密。だから、まるで映像を見ているような感覚が生まれて、驚かされ、惹き込まれてしまう。1幕、1場、最後のくるみ割り人形とねずみの王様の戦い(disc.1, track.8)なんて、ホルストの『惑星』を思わせるほどのスケールが感じられ、そこからのバトルは、とても人形とネズミの戦いには思えないド迫力!そして、戦い終えての2場、冬の松林で(disc.1, track.9)は、マーラーを思わせるロマンティシズムが香り出し、一気に聴かせる!いや、そうなり得る音楽を書き上げていたチャイコフスキーの作曲家としての力量も、今さらながらに凄いなと... いや、もはやこれは交響曲なのかも... 若さが迸った『白鳥の湖』(1877)があって、作曲家としての技量を詰め込んだ『眠れる森の美女』(1890)があって、至った『くるみ割り人形』(1892)には、酸いも甘いも知った人生そのものが反映されているようで、もはやバレエ音楽であることを見切ってしまったようなスケール感と、バレエ音楽を越えたより音楽的な懐の深さを感じる。で、そのあたりを巧みに引き出して来るラトル+ベルリン・フィル... ラトルの、ある種の老成(クラシック界のアンファン・テリヴルも今や巨匠!)なのだろうか、素直な音楽を紡ぎ出しながら、味わい深さを引き出す指揮ぶりが印象的。『くるみ割り人形』の楽しい物語の中に、巨匠となったチャイコフスキーのこども時代の幸せな記憶を慈しむようなやさしさを溢れさせるようで、ちょっと切なくなってしまうところも... そういう部分も含め、バレエ音楽としては、身も蓋も無いのだけれど、サウンド・バレエとでも言ってしまおうか、音そのものが躍る、バレエ音楽への新しい視座を見出せる。
さて、『くるみ割り人形』の初演は、プティパが病気を口実に振り付けの仕事から下りてしまう。台本を書き直させられて、臍を曲げてしまったのだろう... で、ピンチ・ヒッターに選ばれたのが、マリインスキー劇場の次席コレオグラファー、イワノフ。で、この人が最も苦労した人と言えるのかも... 仕事を降りながら、バレエ監督、プティパからは、いろいろ注文が出され、一方で、チャイコフスキーの音楽は、台本と整合性が無いようなところもあって、どうバレエとして形にするか、苦闘。それがそのまま、表れてしまったか、1892年のバレエの初演は、そこそこ好評だった程度に終わり、帝室劇場監督、フセヴォロシスキーの当初の目論みは外れてしまう。一方で、チャイコフスキーの音楽は、バレエの初演前に組曲として演奏されており、人気を博したのだとか... いや、わかる!で、そんな音楽があったからこそ、今こそ定番のバレエとして人気を博しているのだろう。しかし、『眠れる森の美女』から続けて『くるみ割り人形』を聴いて、チャイコフスキーの音楽の神髄は、バレエだなと、つくづく感じる。それでいて、全曲盤!その音楽の雄弁さは、組曲では味わえないもの。

BERLINER PHILHARMONIKER ・ RATTLE/LIBERA
TCHAIKOVSKY: THE NUTCRACKER


チャイコフスキー : バレエ 『くるみ割り人形』 Op.71

サイモン・ラトル/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
リベラ(コーラス)

EMI/6463852




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