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ラヴェル、その人生の最後に歌い上げる、ドン・キホーテの鮮烈。 [before 2005]

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1928年、ラヴェルの代名詞とも言える作品、ボレロが作曲される。翌1929年には、ピアノ協奏曲と左手のためのピアノ協奏曲の作曲が始まり、1930年に左手が、1931年に両手が完成する。こうしてみると、名作は次々に生み出されていたことを知る。そして、1932年、連作歌曲『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』の作曲が始まり、翌1933年に完成する。これが、ラヴェル、最後の作品... とはいえ、ラヴェル自身は、まだまだ作曲を続けるつもりだった。が、それは困難になった。原因不明の脳の障害により、頭の中に湧き出でる音楽を、譜面に起こすことができなくなってしまう。作曲家として、恐ろしく残酷な事態に遭遇した晩年のラヴェル... 作曲を続けていたら、まだまだすばらしい作品が生まれただろう。しかし、最後がドン・キホーテというのは、何とも象徴的に思える。いや、カッコよくすら感じる。ままならない人生をドン・キホーテに重ねて、鮮やかに歌う!
ということで、リヒャルト・シュトラウスのドン・キホーテに続き、ラヴェルのドン・キホーテを... バスの巨匠、ジョゼ・ヴァン・ダムの歌、ケント・ナガノが率いたリヨン国立歌劇場管弦楽団の演奏で、ラヴェルの連作歌曲『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』に、イベール、プーランク、マルタンのオーケストラ伴奏歌曲を取り上げるアルバム(Virgin CLASSICS/7 59236 2)を聴く。

この上なくロマンティックにドゥルシネアに愛を語る「ロマネスクな歌」に始まり、その愛が叶うように聖ミゲルに祈る「叙事的な歌」(track.2)を挿んで、叶わぬ恋を酒で陽気に歌い上げて人生讃歌としてしまう「乾杯の歌」(track.3)で締め括る『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』。それはまるで、劇的カンタータ!3曲合わせて10分に満たない小品ながら、見事にドン・キホーテの心情や風景が盛り込まれて、スケールの大きな音楽を展開して来る。いや、珠玉の3曲!ボレロ、2つのピアノ協奏曲に負けない魅力があり、また、その後に続いただろう、新たな方向性も窺わせて、興味深い。印象主義から脱するように、明確にメロディーを綴り、よりパワフルに、鮮やかにドン・キホーテを描き出す。かつてのナイーヴなラヴェルとは違う、吹っ切れた音楽に、ラヴェルの到達した音楽世界が広がるよう。出色なのが、最後の「乾杯の歌」(track.3)。その後腐れのない豪快さに、何とも言えない清々しさを覚える。魅惑的なスペイン調のリズムを刻みながら、人生を謳い、音楽に別れを告げるようでもあり... ラヴェルの最後の作品として聴くからかもしれないけれど、そのリズムが、メロディーが、鮮やかであればあるほど、愛おしく感じられて仕方がない。ラヴェルにとってのスペインは、母の面影... ママっ子、モーリス、最後は母の許へと還ったか?そして、ドン・キホーテに自身を重ねるのか?如何にもフランス的な、お洒落で、気取った音楽を書いていたラヴェルが行き着いた先にドン・キホーテがいたことに、感慨を覚えずにいられない。
というラヴェルの後で、もうひとつドン・キホーテが歌われる。イベールのドン・キホーテの4つの歌(track.4-7)。実は、『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』は、伝説的なロシアのバス、シャリアピンが出演する映画『ドン・キホーテ』(1933)のために作曲された作品で、製作サイドは、ラヴェルのみならず、イベール、ファリャ、ミヨーといった作曲家にも委嘱しており、作曲家たちに伏される形で、コンペが行われていた。当然、それは後に大騒動となるのだけれど、結果、シャリアピンが歌ったのは、イベールのものだった... いや、わかる。作品の優劣はともかく、イベールの音楽は、映画音楽により近い。何より、ドン・キホーテのうらぶれたイメージを丁寧に描いて、ステレオタイプを裏切らない。音楽人生を総括するような作品を書いた芸術家、ラヴェルに対して、映像を意識した音楽を書いて、きっちりと仕事をこなす職人的なイベール。これは、なかなかおもしろい対比だと思う。じゃあ、芸術作品として、イベールが二流かというと、けしてそうではなく、ラヴェルが過去を振り返り、郷愁を際立たせるのに対し、イベールは映像的なリアリズムを追求し、瑞々しい音楽を響かせて、新たな世代を意識させる。そういう点で、より『ドン・キホーテ』に寄り添えているのは、イベール。だが、ドン・キホーテというキャラクターを体現しているのは、ラヴェル。そんな風に、この2つの歌曲を見つめると、興味深く、それぞれに魅力が引き立つよう。
さて、2つのドン・キホーテの後には、イベールと同世代、フランス6人組、プーランクの1932年に作曲されたカンタータ『仮面舞踏会』(track.8-13)が歌われるのだけれど、プーランクらしい軽妙洒脱な音楽は、2つのドン・キホーテを聴いた後だと、何だか拍子抜けしてしまうほどの能天気さ... すでに不穏な空気が覆い始めた1930年代のはずだけれど... となると、これはある種の逃避なのか?という視点を持つと、幻想に捉われたドン・キホーテに通じる厭世を見出せるようで、興味深い。そこから、一転、沈鬱な、マルタンの『イェーダーマン』からの6つのモノローグ(track.14-19)が取り上げられるのだけれど、ホフマンスタールの道徳劇の台詞(ドイツ語)を用いた歌曲は、1943年、第2次大戦、真っ只中の作品。マルタンはイベールと同い年で、フランス語圏のスイス人なのだけれど、その音楽は、やはりスイス出身のオネゲルに似て、ドイツ的... 『イェーダーマン』からの6つのモノローグも、12音技法を用いるなど、パリを彩った作曲家たちとは、まったく異なるトーンを放つ。そして、この曖昧模糊と暗いトーンが、当時のヨーロッパのリアル... ドン・キホーテの幻想が雲散した1940年代の厳しい風景なのだろう。1930年代のドン・キホーテたちを聴いた後だと、闇の深さ、先の見えなさが際立つ。
という、1930年代から1940年代へ、ラヴェルから6人組世代へ、20世紀前半の音楽の流れ、時代の空気感のうつろいを、見事に歌い上げたヴァン・ダム。バリトンが歌うオーケストラ伴奏歌曲という、普段、あまり馴染みのないあたりから斬り込むおもしろさ!そして、どの作品もまた魅力的で... 何より、ヴァン・ダムのさすがの歌いっぷり!揺ぎ無く、堂々と、それでいて瑞々しい歌声には、低音のイメージを裏切る澄み切った感覚があり、なればこそ4人の作曲家の音楽性がクリアにされ、ラヴェルではより色彩的に、イベールでは落ち着いて、プーランクでは弾けて、マルタンでは深く歌い綴られ、それぞれの表情が際立つ。そんなヴァン・ダムを、見事にサポートする、ケント・ナガノ、リヨン国立歌劇場管もすばらしい!オペラハウスのオーケストラならではの、ドラマ性が活きた音楽に、単にオーケストラ伴奏歌曲を聴くばかりでないドラマティシズム、音楽の流れが感じられ、さらには、それぞれの作品の個性を越えて、アルバム全体がひとつにまとめるようで、聴き入ってしまう。いやー、20世紀の歌曲もおもしろい!そして、時代に惹き込まれる。

RAVEL . IBERT . POULENC . MARTIN . VAN DAM

ラヴェル : 連作歌曲 『ドゥルシネア姫に心を寄せるドン・キホーテ』
イベール : ドン・キホーテの4つの歌
プーランク : カンタータ 『仮面舞踏会』
マルタン : 『イェーダーマン』からの6つのモノローグ

ジョゼ・ヴァン・ダム(バリトン)
ケント・ナガノ/リヨン国立歌劇場管弦楽団

Virgin CLASSICS/7 59236 2



しかし、カタルーニャの州首相の猪突猛進からの優柔不断には面喰います。何だかカタルーニャが中二病に思えて来た。てか、本気で独立する気あるのだろうか?で、イベリア半島の歴史を振り返った時、なぜポルトガルは独立できて、カタルーニャは独立できないのか?おのずと見えて来るものがあるように思います。は、さて置き、スペインって、一筋縄には行かない国だなと、改めて興味を覚える。ということで、今月後半は、音楽でスペインを巡ってみようかなと思い立つ。つづく...




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