SSブログ

ショスタコーヴィチ、雪融けの頃、病室にて、チェロ・コンチェルト。 [before 2005]

4458212.jpg
さて、10月となりました。2017年も、あと3ヶ月です。でもって、もう3ヶ月かァ。と、しみじみしてしまうのが、例年のこと... のはずが、今年は、まだ3ヶ月もあるのかよ。と、思ってしまう。いや、いろいろなことがあり過ぎる、2017年!「申年騒ぐ」とは、まさに... てか、騒ぎ過ぎ!正直、ついてけない... 呆れること甚だしい... とは言うものの、これは、過渡期なればこそ、なのだろうなとも思う。来年、明治維新150年を迎えるわけだけれど、その年が、平成の最後の一年となり、日本に再び上皇さまが帰って来る。このあたりに、ひとつの時代の終わりを見る思いがする。輝かしいばかりではなかった明治維新、文明開化の名の下に、多くの日本の伝統が破壊された史実、キリスト教に基づく西洋近代主義を盲目的に信奉して来た時代が、もうすぐ終わろうとしているのだなと... 終わるからこそ、騒ぐのだなと... そして、さようなら、夢見る近代、今こそ、現代のリアルと向き合う時。
って、話しが妙な方向に行ってしまったので、軌道修正。先月後半からチェロに注目しておりますが、さらに突き進みます。ということで、ミッシャ・マイスキーのチェロ、マイケル・ティルソン・トーマスが率いたロンドン交響楽団の演奏で、ショスタコーヴィチのチェロ協奏曲(Deutsche Grammophon/445 821-2)。前回のイギリスから、ソヴィエトのコンチェルトを聴く。

チェロ協奏曲の歴史をざっと振り返ると、時代が求めるサウンドの変遷が浮かび上がるようで、興味深い。チェロという楽器の形が定まる18世紀、様々な作曲家がチェロのためにコンチェルトを書いているが、19世紀になると、その数は減ってしまう。チェロという楽器は、その大きさもあって、より複雑な表情を生み、ロマン主義的な印象を受けるのだけれど、華麗なるヴィルトゥオーゾの時代には、地味な楽器として捉えられたのかかもしれない。が、20世紀に入ると、チェロの深い音色、その深さに表れる陰影が、輝かしいばかりでない近代主義の時代を生きる作曲家たちにインスピレーションを与えたか、再びチェロ協奏曲が多く作曲されるように... そして、その中心にいたチェリストが、ムスティスラフ・ロストロポーヴィチ(1927-2007)!閉ざされたソヴィエトに生まれながらも、その才能は西側でも知られるようになり、東側はもちろん、西側の作曲家たちをも刺激し、多くのチェロ協奏曲を生む。前回、聴いた、ブリテンのチェロ交響曲も、そうしたひとつであり、他に、ジョリヴェ、デュティユー、ルトスワフスキ、ペンデレツキといった、20世紀音楽を飾るビッグ・ネームに、プロコフィエフ、ハチャトゥリアン、カバレフスキーら、ソヴィエトを代表する作曲家たちも、ロストロポーヴィチのためにチェロ協奏曲を書いている。が、ロストロポーヴィチのために書かれたチェロ協奏曲といえば、何と言ってもショスタコーヴィチの2つのコンチェルト!
という、20世紀を代表するチェロ協奏曲の傑作を聴くのだけれど、まずは、1959年に作曲された1番(track.1-4)から... いやー、久々に聴くと、凄く、異様。ショスタコーヴィチらしい、ちょっとシュールでキャッチーな音楽が繰り出されるも、チェロが主役になることで、いつものショスタコーヴィチより、マッドに響いて、独特の迫力を生む。それでいて、どこか飄々としていながら、テンションが高く、その相反する表情に、何か不完全燃焼を思わせるもどかしさが見て取れて、音楽そのものから、まるでモクモクと黒い煙が立ち上るかのよう。で、聴く者を何とも言えない心地にさせる。1953年、スターリンが世を去り、1956年、フルシチョフのスターリン批判によって、雪融けが進んだソヴィエト、東西冷戦だったが、完全に雪が無くなることはなく、ショスタコーヴィチら、ソヴィエトの芸術家たちが置かれた状況は、以前よりは自由になるも、自由に振る舞うことは難しかった。まさに、過渡期の中、書かれた1番には、そのもどかしさが反映されているのかもしれない。というより、1楽章などは、ショスタコーヴィチのイライラがそのまま響き出すようで、悪夢を見るかのよう。そこが、また魅力だったり...
さて、ソヴィエトにおける一進一退の雪融けは、1963年、結局、引き締めの方向に向かう。社会主義という人工的に作り出された社会は、結局、国家による管理があってこそ成立するものであって、そもそも自由などあり得なかった。が、雪融けは、ショスタコーヴィチに旅する機会を与え、その旅により、ショスタコーヴィチの名声はより広まり、各地からのさらなる招聘へとつながり、多忙を極めることに... が、それが作曲家の健康を蝕み、心臓を患い、温暖なクリミアで療養生活を送ることになる。そこで書かれたのが、2番(track.5-7)のチェロ協奏曲。だからだろうか、1番から打って変わって、弱々しい... まるで病室の寒々しい情景を描き出すような1楽章(track.7)、夜、熱が出て、奇妙な夢に魘されるような2楽章(track.8)、そこから、ファンファーレが響き出し、いよいよ以って幻覚が派手に騒ぎ出すも、峠を越せば、あの世が見えて来る?やがて牧歌的な風景が広がる3楽章(track.9)。いや、凄くリアル!完全にショスタコーヴィチの病床日記... で、驚くほど繊細に展開されて、1番とは違って迫って来る。チェロという楽器の表現の幅をフルに使い、鬼気迫る繊細さを放ち、惹き込まれる。
同じ作曲家によるチェロ協奏曲ではあっても、まったく異なるテイストを見せる2つのコンチェルトを、見事に弾きこなすマイスキー!1番でのパワフルさ、2番での繊細さを、その鮮やかな音色と、豊かな表情で織り成し、魅了されずにいられない。特に、2番で聴かせる繊細さは、チェロにしてヴァイオリンのような鋭利さを聴かせ、シャープに音楽を捉えて、印象的。何より、ショスタコーヴィチ、ロストロポーヴィチらが苛まれたソヴィエトを、より苛烈に体験(1970年、強制労働収容所に収容!)しているマイスキーならではのリアリティーというか... 下手に劇的になるでもなく、かと言って生温い瞬間が一切無い、淡々と事実を捉えて、雄弁に語り出すような姿勢に、圧倒される。そんなマイスキーを好サポートする、MTTが率いたロンドン響の切れ味の鋭さ!近現代に長けたマエストロならではの明晰さと、ロンドン響のハイテク感が、マイスキーのリアリティーを見事に際立たせ、スリリングな音楽を形作って行く。ドスンと心に響きながらもクール!

SHOSTAKOVICH: CELLO CONCERTOS
MAISKY/LONDON SYMPHONY ORCHESTRA/TILSON THOMAS


ショスタコーヴィチ : チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調 Op.107
ショスタコーヴィチ : チェロ協奏曲 第2番 ト長調 Op.126

ミッシャ・マイスキー(チェロ)
マイケル・ティルソン・トーマス/ロンドン交響楽団

Deutsche Grammophon/445 821-2




nice!(2)  コメント(0) 

nice! 2

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。