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ドヴォルザーク、コンチェルトを越えて行く、チェロ・コンチェルト。 [before 2005]

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何となく、チェロって秋っぽいかな... という思い付きで、バッハ(本来は、ヴィオラ・ダ・ガンバのための作品をチェロ・ピッコロで... )、ベートーヴェン、ブラームスのソナタを、ピリオド界のチェロの巨匠、ビルスマの演奏で聴いて来た今月後半。いや、ピリオドのチェロの響きに向き合うと、「何となく」なんて、安易に捉えることのできないチェロ像が浮かび上がり、感慨深くも、そんなチェロ像が新鮮で、それぞれ聴き入ってしまう。でもって、このあたりでモダンのチェロを聴いてみようと思い... チェロによる音楽を代表するような作品、ドヴォルザークのコンチェルト!当blogでは、古楽から現代まで、時にはジャズやワールド・ミュージックにも危なっかしく踏み込んで、節操無く、いろいろなアルバムを取り上げているのだけれど、そうなると、聴く機会を逸してしまうのが、いわゆる、名曲。けど、様々な音楽に触れて来て、久々に聴く名曲というのは、また、格別。何より、新たな発見があったり、久々なればこそ、刺激的に感じられて... ドヴォルザークの名曲にして、チェロの名曲もまた、そうだった!
ということで、ノルウェーのヴィルトゥオーゾ、トルルス・モルクのチェロと、ラトビアのマエストロ、マリス・ヤンソンスが率いたオスロ・フィルハーモニー管弦楽団という、北欧勢による、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(Virgin CLASSICS/7 59325 2)を聴く。

1992年の録音ということで、ソリストも、指揮者も、みんな若い!若いからか、音楽に対してより素直な印象を受ける。そして、その素直さから溢れ出す、北欧性... フィンランドのチェリスト、ラトビアの指揮者、ノルウェーのオーケストラによる国民楽派は、絶妙にユニヴァーサルな仕上がりを見せていて、おもしろい!北欧らしい透明感と、雄大さ、そうして放たれる、北欧ならではの鮮烈さ!いや、渋いイメージのあったドヴォルザークの名曲は、また一味違う音楽として響き出す。ニューヨーク・ナショナル音楽院の院長に招かれ、1892年、アメリカに渡ったドヴォルザーク。1895年まで、ニューヨークに留まることになるのだけれど、この3年間に生み出された作品は、どれもドヴォルザークの代表作ばかり... まず、何と言っても、9番の交響曲、「新世界にて」があり、さらに12番の弦楽四重奏曲、「アメリカ」、そして、ここで聴く、チェロ協奏曲(最終的に完成されたのは、チェコへ帰国して間もなく... )。国民楽派の作曲家でありながら、故郷から、あまりに遠く離れてしまったがために際立った郷愁が、代表作を生み出す原動力となったのだろう。一方で、アメリカのフォークロワにも関心を寄せ、インディアンや、黒人の音楽からもインスパイアされたアメリカ時代のドヴォルザーク... 国民楽派とはいえ、必ずしも、故国、チェコ一辺倒では無いところが興味深い。そう言う点で、ドヴォルザークは、民俗楽派だったのかもしれない。その集大成として生み出されたチェロ協奏曲をよくよく聴いてみると、ひとつではないフォークロワが絶妙に共鳴し、ある種のインターナショナル・スタイルに至っているように感じる。またそれを強調するかのような北欧の面々であって...
ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、コンチェルトではあるけれど、オーケストラの存在は大きく、19世紀の他のコンチェルトに比べるとシンフォニックに感じられる。そうした中、堂々たる存在感を見せるソロは、ワーグナーの楽劇の英雄のようにも感じられ、ソリストのヴィルトゥオージティが前面に立ち、華麗な音楽が繰り広げられる19世紀的なコンチェルトとは一味違う、スケールの大きさに魅了される。そもそもドヴォルザークは、チェロという楽器のためのコンチェルトに限界を感じていたらしい。チェロの渋めのサウンドは、オーケストラの響きに呑み込まれてしまうのでは?それでも挑んだドヴォルザーク... かえってオーケストラをシンフォニックに響かせて、巧みにソロと結び付けた手腕は見事。コンチェルトのイメージを越えて、より大きな音楽を志向することで、成立しているのがこの名曲のように感じる。特に、終楽章(track.3)の終わり方などは、交響詩のようなドラマティックさがあって、圧倒される。のだけれど、この作品を依頼したチェリスト、ヴィハーン(ドヴォルザークと同じチェコ出身で、ドヴォルザークと親交を結び、その室内楽作品や、チェロのための作品の数々を初演... )は、カデンツァを入れるよう作曲家に要望。もちろんドヴォルザークはそれを突っぱねている(ということもあって、初演はイギリスのチェリスト、スターンによる... )。そうしたあたりに、この名曲が、一般的なコンチェルトとは違う性格を持つことを物語っているように感じる。改めて聴いてみると、チェロ独奏付きの交響詩... そんな印象を受け、さらに魅了される。
というドヴォルザークの後で、モルクはチャイコフスキーのロココの主題による変奏曲(track.4-12)を取り上げるのだけれど、これがまた見事にドヴォルザークの対極にあって、おもしろい!チャイコフスキーは、親友でもあったチェリスト、フィッツェンハーゲン(ドイツ出身で、モスクワ音楽院の教授を務めるなどロシアで活躍... )の意見をしっかりと取り入れ、作曲。さらには、よりソロの演奏が映えるようにとフィッツェンハーゲンにより改変され、初演。現在でも、このフィッツェンハーゲンによる版が一般的に取り上げられる。となると、まさにヴィルトゥオーゾ・コンチェルトのような音楽が響き出す。ロココと謳っているように、18世紀の音楽をリヴァイヴァルするような性格を持ったこの作品は、オーケストラの規模はかつてのように小さく、それによってソロの存在はより引き立てられ、また、変奏曲であることが、ソリストのヴィルトゥオージティを高め、かえってコンチェルトであるよりも、華麗さが際立つという、おもしろさ。ドヴォルザークの真逆を行く音楽は、ソロとしてのチェロを堪能させてくれる。
そして、真逆を行く2つの作品を卒なく弾きこなすモルク。いや、モルクならではの竹を割ったように明確な演奏は、とにかく圧巻で、その堂々たる存在感は、チェロのイメージを覆すよう。チェロならではの渋い雰囲気を吹き飛ばし、何か清々しさを放って、ドヴォルザークの壮大さも、チャイコフスキーのヴィルトゥオージティも、鮮やかに響かせる。。そんなモルクを支えるヤンソンスの指揮、オスロ・フィルの演奏がまた魅力的!ヤンソンスならではの、鳴りの良いオーケストラ・サウンドは、作品を芯から息衝かせ、それに応えるオスロ・フィルのサウンドは、北欧ならではのヴィヴィットさを放ち、ドヴォルザークの音楽に新しい輝きをもたらすかのよう。すると、ドヴォルザークがワーグナーのように聴こえるからおもしろい。一転、チャイコフスキーは、優雅で、ドヴォルザークとは好対照。19世紀の音楽の幅を解り易く聴かせてくれる。

Dvořák Cello Concerto
Mørk & Jansons

ドヴォルザーク : チェロ協奏曲 ロ短調 Op.104
チャイコフスキー : ロココの主題による変奏曲 Op.33

トルルス・モルク(チェロ)
マリス・ヤンソンス/オスロ・フィルハーモニー管弦楽団

Virgin CLASSICS/7 59325 2




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