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テレマン、解き放たれるパリ!フランス流に踊れ、パリ四重奏曲集。 [before 2005]

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ゲオルク・フィリップ・テレマン(1681-1767)。
バッハ、ヘンデルが生まれる4年前、1681年、ドイツ中部の街、マクデブルクの牧師の家に生まれたテレマン。4歳の時に父を亡くすも、しっかりと母に育てられ、けして貧しくは無かったこども時代... そんなテレマンと音楽との関係は、10歳、地元の小学校に入り、マクデブルクのカントル(聖歌隊指揮者)の下、声楽や鍵盤楽器の基礎を学んだことに始まる。そして、瞬く間に才能の片鱗を見せ始めたテレマン少年は、12歳の時に、オペラまで作曲したのだとか... しかし、母は息子に手堅い職業に就いてもらいたかった!息子を音楽から遠ざけようと山奥の学校に転校させられるテレマン少年だったが、その町の教会のためにカンタータを作曲、したたかにプロとして活動。1697年、ヒルデスハイムのギムナジウムに進むと、そう離れていないブラウンシュヴァイクのオペラハウスに通い、フランス音楽が充実していたハノーファーにも赴き、幅広い音楽に触れ、独学で才能を伸ばして行った。1701年には、母の願い通り、ライプツィヒ大学に入学し、法学を学ぶも、学生にして音楽活動を本格化させ、翌年にはライプツィヒのオペラハウスのためのオペラを作曲するまでに... いや、音楽家の家系でもなく、誰かの弟子になるでもなく、聖歌隊に入って地道に音楽を学ぶでもなく、作曲家に成り得てしまったテレマンって、凄い!裏を返すと、そういうテレマンを生み出した豊かな音楽環境がバロック期のドイツにはあったわけで、イタリアやフランスとはまた違う音楽の在り様に感心させられてしまう。
さて、没後250年のメモリアルということで、テレマンが続きます。で、オペラに続いての室内楽... 有田正広のフラウト・トラヴェルソに、トウキョウ・バロック・トリオとして結集した、寺神戸亮のヴァイオリン、上村かおりのヴィオラ・ダ・ガンバ、クリストフ・ルセのチェンバロという豪華な面々による、テレマンのパリ四重奏曲集(DENON/COCO-75354)を聴く。

学生でありながら、ライプツィヒの音楽シーンを沸かせる若手作曲家となっていたテレマンは、1705年、ラウジッツとシュレジエン(ともに、現在はポーランド領... )に領地を持つプロムニッツ伯爵の楽長に就任。伯爵のフランス趣味と、東方のフォークロワに刺激を受け、実り多い経験を得るも、北欧の雄、スウェーデンと、新興のロシアがぶつかった大北方戦争(1700-21)の影響で、東欧は混乱、テレマンは楽長職から離れることに... それからしばらくして、1708年、アイゼナハの宮廷に仕え、かの地に縁のあるバッハと親交を結ぶ(ちなみに、ヘンデルとは、ライプツィヒ大学に入るために立ち寄った、ヘンデルの故郷、ハレの街で知り合い、親交を結んでいる... )。1712年には、フランクフルトの音楽監督に就任。1721年には、北ドイツ最大の音楽都市、ハンブルクの音楽監督に就任。翌年には、ドイツ・オペラの拠点のひとつ、ゲンゼマルクト劇場の楽長にもなり、オペラ作家としても活躍するのだったが、人気を集めたハンブルクのオペラも、やがて勢いを失ってしまう。1730年代、ヘンデルも悩まされていた劇場経営の難しさに、テレマンも直面... さらには、テレマン夫人がスウェーデンの将校と駆け落ち!このスキャンダルは、ハンブルクの街に格好のタブロイド・ネタを提供し、テレマンは渦中の人になってしまう。そうした中、舞い込んだ、音楽の都、パリからの招待!1737年の秋、テレマンは、パリに向けて出発。パリには8ヶ月もの間、滞在し、ひと時の自由を味わう。そうした中で発表されたのが、ここで聴く、パリ四重奏曲集。
テレマンの名声は、ハンブルクの音楽監督に就任する頃までに、随分と高まっていた。ハンブルク着任の翌年には、かつて活躍したライプツィヒからカントル就任のオファーがあり(結局、バッハがそのポストに納まる... )、ロシアの宮廷からも招請の声が掛かるほどで、その名声は音楽の都、パリにも届き、1730年にハンブルクで出版されていたフルート四重奏曲集、「クァドリ」が、1736年にパリでも出版されると、ブラヴェ(18世紀前半に活躍したフルートの名手... )ら、パリのヴィルトゥオーゾたちが取り上げ、絶賛。翌年、彼らにより、パリに招かれたテレマンは、巨匠として歓待を受け、8ヶ月に及ぶ滞在は、輝かしいものとなった。そんなパリの音楽シーンに応えて作曲されたのが、新たなフルート四重奏曲集。それは、さらなる評判を呼ぶことに... いや、わかる!「クァドリ」は、コンチェルトやソナタといった形式(それぞれ2曲ずつで、最後の2曲は組曲... )を用い作曲されているせいか、よりドイツ的?きちんとした印象があるのだけれど、パリ四重奏曲集は、全てフランス流の組曲(得意の舞踏組曲!)として書かれ、より自由な音楽が展開される。その自由さには、フランスの聴衆を意識したのか、パリの花やぎに刺激を受けてか、フランスならではの明朗さが溢れ出し、最高に魅惑的!もう、1番の始まりから、フルートの花々しいこと!かと思うと、続く2楽章、タンドルマン(disc.1, track.2)は、メランコリックで、ロココを思わせるナイーヴさを見せ... フランスの優美さに、バロックを脱するやわらかな表情を引き出し、新しさも響かせる。
一方で、短調の2番(disc.1, track.7-12)は、翳を帯び重々しく展開し、バロックよりも古い時代の雰囲気を醸し出すようで、1番からの切り替えしがおもしろい。また、3番の5楽章、モデレ(disc.1, track.17)では、巧みに楽器の響きを重ねて、ハーディガーディのような響きを生み出し、テレマン得意のフォークロワなテイストを聴かせてアクセントに... 4番の前奏曲(disc.2, track.1)では、イタリアっぽいドラマティックさと、イタリア式序曲を思わせる形が興味深く、必ずしもフランス風ばかりでないのも魅力のひとつ... この、様々なテイストを寄せ集めるスタイル、当時のパリの流行りでもあったようだけれど、盛りだくさんに応えられる幅広い音楽性を培って来たテレマンであって、一見、お上品なフルート四重奏曲集から、思いの外、豊かなイメージを次々に繰り出せるあたりは、見事!そこには、ハンブルクでのゴタゴタから解放されて、のびのびと音楽を紡ぎ出すテレマンの姿が窺えて、微笑ましく... いや、これこそがテレマンの音楽の本質なのだろう。アカデミックな音楽教育を受けて来なかったからこその、より感覚的な音楽... その感覚的なあたりに触れると、バッハが如何に堅苦しいかを思い知らされる。そして、その感覚的なあたりに、新しい時代の到来をはっきりと聴き取ることができる。
という、パリ四重奏曲集を有田のフラウト・トラヴェルソを中心に、トウキョウ・バロック・トリオ、寺神戸のヴァイオリン、上村のヴィオラ・ダ・ガンバ、ルセのチェンバロで聴くのだけれど... まず、トウキョウ・バロック・トリオというアンサンブルに、びっくり。いや、凄い3人!このアルバムが録音された1992年には、こんなトリオが存在していたのだと感慨... しかし、今でこそのすっかり大家になってしまった3人だけれど、若い!どのフルート四重奏曲もサクサクと演奏されて、後腐れない感じが、素敵!それくらいの演奏なればこそ、有田のちょっと儚げで優美なフラウト・トラヴェルソの音色に巧い具合に染まり、パリのテレマンのお洒落さをふんわりと引き立たせる。いや、このふんわりとした響きに、魅惑される!変に雰囲気に流されることなく、小気味良く展開されながら、匂い立つようにファンタジック!それでいて、改めてテレマンのおもしろさを子細に詳らかにするようでもあり、一曲一曲のおもしろさに感じ入り、ただならず惹き込まれる。

テレマン : パリ四重奏曲集●有田正広/寺神戸亮/ルセ/上村かおり

テレマン : フルート四重奏曲 第1番 ニ長調 TWV 43:D3 〔パリ四重奏曲集〕
テレマン : フルート四重奏曲 第2番 イ短調 TWV 43:a2 〔パリ四重奏曲集〕
テレマン : フルート四重奏曲 第3番 ト長調 TWV 43:G4 〔パリ四重奏曲集〕
テレマン : フルート四重奏曲 第4番 ロ短調 TWV 43:h2 〔パリ四重奏曲集〕
テレマン : フルート四重奏曲 第5番 イ長調 TWV 43:A3 〔パリ四重奏曲集〕
テレマン : フルート四重奏曲 第6番 ホ短調 TWV 43:e4 〔パリ四重奏曲集〕

有田正広(フラウト・トラヴェルソ)
トウキョウ・バロック・トリオ
寺神戸亮(バロック・ヴァイオリン)
上村かおり(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
クリストフ・ルセ(チェンバロ)

DENON/COCO-75354




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