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サイケデリック、キーボード・スタディーズ。 [before 2005]

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さて、ちょっと大掴みに20世紀の音楽を俯瞰してみます。で、20世紀の音楽は、近代以前と、「近代」、「現代」の3つに区分することができる。近代以前は、ウィーン世紀末に象徴される19世紀の延長。「近代」は、第1次大戦前夜、『春の祭典』のセンセーショナルな初演(1913)に端を発し、その「近代」の中で発明された12音技法を、より純化させたヴェーベルンが命を落とす第2次大戦終戦の年(1945)に「現代」は始まる。ヴェーベルンを起点に、総音列音楽を完成させるブーレーズ(となると、これもまた前の時代の延長か... )。音楽は、数値に基づく究極の抽象へと至る。が、そのシステマティックを極めた在り様に疑義を呈する偶然性の音楽の登場で、揺るぎようの無い総音列音楽が、呆気なく揺らぎ始める1950年代。揺らいでしまって、「現代」の音楽は、複雑怪奇(制御された偶然性とか、もう、苦し紛れ... )なものへと変容して行く。そうした中、1960年代、サイケデリックな文化が勃興するのに合わせて出現するのが、ミニマル・ミュージック。よりシンプルな形から、圧倒的な抽象へと至る音楽は、「現代」の音楽のみならず、様々な音楽に広く影響を与え、20世紀の音楽にカンフル剤となる。
ということで、前回、聴いた、グラスの『コヤニスカッツィ』(1982)に続いてのミニマル・ミュージック。いや、まさにミニマル・ミュージック!1960年代、サイケデリック全盛期のミニマル・ミュージック!異色のコンポーザー・ピアニスト、シュテッフェン・シュライエルマッハーの演奏とプログラミングで、テリー・ライリーのキーボード・スタディーズ(MDG/MDG 613 1135-2)を聴く。

近代音楽から、難解な"ゲンダイオンガク"へと至る、20世紀の音楽の流れを俯瞰した時、ミニマル・ミュージックの存在は浮いていて、ギミックに感じられるかもしれない。が、改めて20世紀の音楽の一部として捉えると、とても興味深く感じられる。そもそも、ミニマル・ミュージックはどこからやって来たのだろう?ワーグナーのトレモロ、ブルックナーのテーマの繰り返しなどを聴いていると、ふとミニマルっぽさを感じることがある。印象主義の音楽にも、そうした感覚を見出すことがある。あるいは、840回もひとつのテーマを繰り返し弾く、サティのヴェクサシオン(嫌がらせ、あるいは癪の種... )を、最初のミニマル・ミュージックだとすることもある。が、アメリカの実験音楽の巨匠、ラ・モンテ・ヤング(b.1935)は、ヴェーベルンの後期の作品(例えば、1930年に作曲された管弦楽のため変奏曲は、ヴェーベルン自身が、新しい形式による反復と説明している... )に、その源流を見出している。シェーンベルクが発明した12音技法を研ぎ澄ませた、つまり無駄が削ぎ落されたヴェーベルンの音楽を、ある種のミニマル・ミュージックだったとするのは、とても興味深い視点だと思う。ならば、ヴェーベルンの延長線上で総音列音楽を完成させるブーレーズもまたミニマル・ミュージック?いや、徹底してシステマティックに12の音階を並べる総音列音楽の在り様は、極めてミニマムだったと言えるわけで... 極めてミニマムだったからこそ、もはやその先への展開が困難となり... そこに、システムを超越するケージの偶然性の音楽が登場し、音列音楽が迷走を始める1950年代。そうした迷走を傍目に、真にミニマルなミュージックが覚醒する1960年代。その中心にいたのが、ライリー(b.1935)。そのミニマリズムは、迷走する西洋音楽を脱し、インドの音楽の影響下に始まる。
1960年、弦楽四重奏曲で、ミニマリズムの手法を用いたライリー。その4年後、1964年、"in C"により、一躍、ミニマル・ミュージックの旗手となる。その翌年の作品が、ここで聴く、キーボード・スタディーズ。それは、#1と#2からなるのだけれど、シュライエルマッハーは、#1(track.1)をエレクトリックなカラフルさで彩り、#2(track.2)をピアノの確固たる響きで紡ぎ出す。このサウンドのチョイスが、#1と#2、それぞれの個性を強調して、おもしろい。で、まずは、#1(track.1)... エレクトリックなサウンドが、まさにサイケデリック!でもって、織り成されるフレーズは、エレクトリックなればこそ、飄々と刻まれて、エキゾティック?ライリーの、インド古典音楽、ラーガからの影響をしっかりと味わうことになる。西洋音楽には無いトーン、めくるめくカラフルな世界が万華鏡のように広がり、ひたすらにポジティヴな音楽が繰り出される感覚は、ちょっとヤミツキ。一方の#2(track.2)は、ピアノの硬質な音色で、テンション高めに密度の濃い音楽を織り成し、威圧的ですらあって、ちょっと中てられる... しかし、それくらいの密度を以ってミニマル・ミュージックを織り成すと、残響がリズムを越えて共鳴して行くようで、何となくスペクトラル楽派を思わせる音響が広がり、はっとさせられる。徹底してミニマルでありながら、一音一音が共鳴し出すと、サウンドが増幅するというおもしろさ。シュライエルマッハーは、#1(track.1)で時代性を、#2(track.2)で実験性を際立たせ、ミニマル・ミュージックから、マキシマムな情報を引き出すかのよう。誕生から間もないミニマル・ミュージックでありながら、すでに結晶のような完成形、存在感を放つキーボード・スタディーズ。ミニマル・ミュージックの絶頂期を、眩しいぐらいに輝かしく聴かせてくれるのだけれど、そこに潜む思い掛けない複雑さ、一筋縄には行かない存在を、マニアックに解析するシュライエルマッハーの仕事っぷり、冴えている!
という、ミニマル・ミュージックの絶頂期の作品の後で、コンポーザー・ピアニスト、シュライエルマッハーが、ミニマリズムを懐古する2001年の作品、"Hommage à RILEY - REICHlich verGLASSt"(track.3)が取り上げられ、これが、おもしろい!まずタイトルが凝っている... ライリーへのオマージュ、そして、ドイツ語で「豊かにガラスで覆われた」と綴られているのだけれど、「豊か」にはライヒが、「ガラス」にはグラスの名前が隠されていて、ライヒのピアノ・フェーズを引用したりと、ライリーのみならず、ミニマル・ミュージック全体を網羅するかのような音楽を紡ぎ出す。で、タイトルの通り、後半、まさにグラスが覆いかぶされるような展開を見せる... サイケデリックな時代の、ミニマル・ミュージックの絶頂期を、折り目正しく再現して、始めながら、やがてメロディーを思わせるフレーズがそこに乗り、さらに低音のドローンがズーンと響き出し、ミニマリズムを拡大していった後のグラス風の音楽へとイメージを膨らませる。いや、シュライエルマッハーのマニアックっぷりが、見事にミニマル・ミュージックの歩みを捉える!さらには、自らのヴィジョンも加えて、ソフィストケイトされた21世紀のサイケデリックを響かせるよう... いや、これは、なかなかの佳曲かもしれない。

Riley ・ Keyboard Studies

テリー・ライリー : キーボード・スタディ #1
テリー・ライリー : キーボード・スタディ #2
シュテッフェン・シュライエルマッハー : Hommage à RILEY - REICHlich verGLASSt

シュテッフェン・シュライエルマッハー(キーボード)

MDG/MDG 613 1135-2




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