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タリスからバッハへ、時代のうつろいと、時代を超越する輝き。 [before 2005]

クレーメル+クレメラータ・バルティカによるマーラーとショスタコーヴィチに始まって、スウェーデン放送合唱団のシュニトケメレディス・モンクハイナー・ゲッベルスアルヴォ・ペルトと、ECM NEW SERIESならではの近現代のアルバムをいろいろ聴いて来たのだけれど、ここで、時代を遡って、ECM NEW SERIESの古楽、バロックを聴いてみようと思う。で、時代を遡っても、ECM NEW SERIESならではのセンスは、活きているのだよね... 近現代へアプローチするよりも、いろいろ制約が大きいように感じられる古い音楽も、プロデューサー、アイヒャーの手に掛かれば、ECM NEW SERIESのトーンに落ち着いてしまう。裏を返せば、古楽だから、バロックだからと、特別視することなく、近現代の音楽と向き合うように、ニュートラルに、その音楽を捉えているのだろうなと... いや、ECM NEW SERIESのトーンというのは、このニュートラルさにあるのかなと...
ということで、ECM NEW SERIESの古い音楽担当(時々、現代音楽も... )、イギリスの男声ヴォーカル・アンサンブル、ヒリアード・アンサンブルによる、イギリス・ルネサンスの絶頂期、タリスのエレミア哀歌と4声のミサ(ECM NEW SERIES/833 308-2)に、ドイツ・バロックの爛熟期、バッハの6つのモテット(ECM NEW SERIES/476 5776)の2タイトルを聴く。


イギリス・ルネサンス、絶頂期、タリスから響き出す新しい時代...

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イギリス・ルネサンスの絶頂期に活躍したタリス(ca.1505-85)。それは、イギリス国教会が成立する頃で、イギリス国内が宗教的に大きく揺れた頃... そういう中で、イギリスにおける教会音楽が黄金期を迎えようとしていたというのは、なかなか興味深い。一方で、ローマ・カトリックに留まったタリスは、イギリス国教会が支配的になる中、作曲家として難しい局面を切り抜けなくてはならなくなる。が、当代随一の楽才があって、ローマ・カトリックの典礼にも、イギリス国教会の典礼にも柔軟に対応し、やがて王室礼拝堂のオルガニストとなったタリス。ヒリアード・アンサンブルは、この柔軟性をそこはかとなしに浮かび上がらせ、伝統の形(ローマ・カトリック)から、新たな形(イギリス国教会)へと、時代に応えて変容するタリスの音楽を美しく歌いつつ、絶頂期のルネサンスから次なる時代へとうつろい出す16世紀後半の音楽の繊細な変化を捉え、アルバムに流れを生み出す。
始まりのエレミア哀歌(track.1-2)は、受難節の山場、聖週間に歌われるだけあって、重々しい雰囲気に包まれるのだけれど、その重々しさが、歴史あるローマ・カトリックの重々しさとも重なり、展開されるポリフォニーは厳格に響き、中世の表情すら残すよう... そこから歌われる2つのモテット(track.3, 4)は、イギリスならではの、ふわっとやわらかなポリフォニーを編んで、タリスらしいヘヴンリーさに包まれる。まさにルネサンス・ポリフォニー!イギリス・ルネサンスの絶頂期が、芳しく広がる。その後で歌われる4声のミサ(track.5-9)は、イギリス国教会のためのミサ... だからなのか、ポリフォニーは整理され、ホモフォニーを思わせる音楽を展開。それは、反宗教改革に翻弄されたローマ楽派の巨匠、パレストリーナ(ca.1525-94)のスタイルに共通するものが感じられ、とても興味深い。カトリック、国教会云々に関わらず、新しい時代の予兆だったのだろう。
という音楽史の潮流を、丁寧に捉えるヒリアード・アンサンブル... なのだけれど、彼らの歌いのおもしろさは、伝統の形から新たな形へとうつろう中に、聴く者を浄化へと導くような、不思議な求心力を生み出すところ。いや、この感覚こそ、ヒリアード・アンサンブルかなと... まず、徹底した洗練があって、洗練の先に生まれる得も言えぬ澄んだハーモニーが作品をニュートラルに捉えて、時代から解放する。すると、単に古い音楽を聴くという以上の感覚を聴き手にもたらすのか... このアルバムも、聴けば聴くほどに、タリスであること、イギリス・ルサンスであるという意識は薄れ、音楽のピュアな姿が強調されよう。それは、より普遍的に響きながら、聴き手の方へと近付いて来るようでもあり、魅了されずにいられない。

THOMAS TALLIS/THE LAMENTATIONS OF JEREMIAH/THE HILLIARD ENSEMBLE

タリス : エレミア哀歌
タリス : モテット 「世の救い主よわれらを救いたまえ」
タリス : モテット 「おお聖なる饗宴」
タリス : 4声のミサ
タリス : モテット 「主よ、我が罪を消し去りたまえ」

タリス・スコラーズ
デイヴィッド・ジョーンズ(カウンターテナー)
ジョン・ポッター(テノール)
ロジャーズ・カヴィ・クランプ(テノール)
ポール・ヒリアー(バリトン)
マイケル・ジョー(バス)

ECM NEW SERIES/833 308-2




ドイツ・バロック、爛熟期、バッハからすくい上げられるポップ!

4765776
イギリス・ルネサンスの絶頂期から、ドイツ・バロックの爛熟期へ... タリスを聴いてからのバッハは、その音楽の花やかさが、殊更、強調されるようで、何だかワクワクしてしまう。が、ヒリアード・アンサンブルによるバッハの6つのモテットは、普段、聴く、オーケストラ伴奏で、コーラスが歌うものとは一線を画して、OVPP(One Voice per Part)、1声部に付き、ひとりの歌手が担当し、ア・カペラで歌う(6つ目のモテットはオルガンの伴奏が付く... )。となると、普段、聴き慣れていたサウンドは刈り込まれ、すっきりと整理されて、何とも新鮮!各声部はより克明となり、バッハの対位法が、スケルトンになって展開されるようで、おもしろい。で、対位法が露わとなって感じるのは、バッハの音楽のオールド・ファッションなあたり... バロックの爛熟の中に在って、それはルネサンス・ポリフォニーとそう変わらないのでは?とすら思えてしまうところも多々あり。けれど、フラットなタリスには無かった、メローさ、弾むようなリズムが、1世紀を隔てる両者の時間的距離(タリスが世を去って、ちょうど100年後に誕生するバッハ... )を決定的に浮かび上がらせもして... 新しいの?古いの?いや、バッハの音楽史からは外れるような独特な在り方が際立ち、時代感覚が狂わされるようで、不思議な雰囲気に包まれる6つのモテット...
ポール・ヒリアー(シアター・オブ・ヴォイセズを率い、合唱指揮者としても活躍... )、ジョン・ポッター(ジャズとの大胆なコラヴォレーション、ダウランド・プロジェクトに参加... )、結成時の主要メンバーが歌っていたタリス(1986年の録音... )の頃とはメンバーの顔触れも変わり、さらにソプラノを2人加えての特別編成で織り成されるOVPP、ア・カペラによるバッハ(2003年の録音... )は、色彩感を増して、より軽やかなハーモニーを織り成す。いや、いい具合に飛躍していて、20世紀のヒリアード・アンサンブルの深さも魅力的だが、21世紀のヒリアード・アンサンブルのカラフルさはまた魅惑的。1曲目、「主に向かって歌え、新しい歌を」(track.1-3)の冒頭、ぱっと花々が咲き始めるようなブルーミンな表情は、対位法の大家、バッハの厳めしさを忘れさせるものがあり、音楽そのものの喜びに充ち満ちている。で、このあたりに、変わらぬヒリアード・アンサンブルのニュートラルさを見出すようで、興味深い。そして、21世紀のヒリアード・アンサンブルのニュートラルさは、バッハの中にポップな表情をすくい上げ、キラキラと輝かせる。これが、ECM NEW SERIESのバッハ像かなと... 音楽の父が綴った音符を、声だけで、シンプルに追って生まれる微笑ましさに魅了される。

J.S.BACH MOTETTEN
THE HILLIARD ENSEMBLE


バッハ : モテット 「主に向かって歌え、新しい歌を」 BWV225
バッハ : モテット 「霊はわれらが弱きを助けたもう」 BWV226
バッハ : モテット 「イエス、わが喜び」 BWV227
バッハ : モテット 「恐るることなかれ、われ汝とともにあり」 BWV228
バッハ : モテット 「来たれ、イエスよ、来たれ」 BWV229
バッハ : モテット 「すべての異邦人よ、主を頌めまつれ」 BWV230
バッハ : モテット 「われを祝福したまわずは、われ汝を離さじ」 BWV anh.159

ヒリアード・アンサンブル
ジョアンヌ・ルン(ソプラノ)
レベッカ・アウトラム(ソプラノ)
デイヴィッド・ジェイムズ(カウンターテナー)
デイヴィッド・ゴールド(カウンターテナー)
ロジャーズ・カヴィ・クランプ(テノール/オルガン)
スティーヴン・ハロルド(テノール)
ゴードン・ジョーンズ(バリトン)
ロバート・マクドナルド(バス)

ECM NEW SERIES/476 5776




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