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新しい時代の芸術家、ベートーヴェン、我が道を行く、ハ長調ミサ。 [before 2005]

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ベートーヴェンの生涯を振り返って驚かされるのは、セレヴたちとの厚いコネクション... もちろん、人気のヴィルトゥオーゾ・ピアニストならば、そういうつながりは、当然、生まれてくるのだろうけれど、ベートーヴェンの凄いところは、そうなる以前から、セレヴたちと交友関係を結べているところ... いや、セレヴの友人たちに支えられてこそ、ウィーンの音楽シーンでの活躍の場を得ている。そうしたあたり、どこかシューベルトとも重なるのだけれど、シューベルトとの決定的な違いは、セレヴの友人たちの格の違い!何しろ、皇帝の弟(ルドルフ大公)が、忠実な弟子だったベートーヴェン。その関係性を見つめると、モーツァルトの時代では、思いも付かないものがある。もちろん、それに値するだけの才能、誰をも惹き付ける音楽があってこそ、なのだけれど、ベートーヴェンその人の魅力、そこから生まれる社交性も大きかったと思う。ベートーヴェン像のステレオタイプ、晩年のイカニモな芸術家風情、偏屈なイメージからは想像し難い、セレヴたちとの交友を育むベートーヴェンもまたベートーヴェン...
ということで、ハンガリー切ってのセレヴ、エステルハージ侯爵家とも縁のあったベートーヴェン。そして、侯爵夫人の命名日の祝祭のためのミサを、この人も書いていた!ジョン・エリオット・ガーディナー率いるオルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティークの演奏、モンテヴェルディ合唱団らの歌で、ベートーヴェンのハ長調のミサ(ARCHIV/435 391-2)を聴く。

1802年、ハイドンが、エステルハージ侯爵夫人の命名日の祝祭のために書いた最後のミサ、ハイドン自身にとっても最後の大規模作品となったハルモニー・ミサには、19世紀的なダイナミックさが表れており、ウィーン古典派の巨匠の、弛まぬ前進に驚かされる。が、それから5年を経た、1807年、同じくエステルハージ侯爵夫人の命名日の祝祭のためにベートーヴェンが書いたハ長調ミサ(track.3-7)を聴くと、確信的な飛躍に、圧倒される。その間、わずか5年、けれど、18世紀の人、ハイドンと、19世紀の人、ベートーヴェンの音楽には、根本的なスケールの違いがあることを思い知らされる。冒頭、コーラスが歌い出すキリエ(track.3)の荘重さ... そこからソプラノが歌いつなぐ穏やかなメロディーの美しさ... 晩年の傑作、ミサ・ソレニムス(1823)に通じる、滔々と流れる大河のような佇まいが、心に響く!キリエというと、どこか黙示録的な仄暗さを漂わせるのが常だけれど、ベートーヴェンはヘヴンリー... そんな音楽に包まれると、心の奥のいろいろなわだかまりや不安が氷解するようで、癒される。そこから、圧倒的に輝かしいグローリア(track.4)!その輝かしさ、眩し過ぎるくらい。かと思うと、その最後では、律儀に対位法を織り成し、バッハを思わせる堅固さも見せ、骨太の音楽を繰り出す。一転、クレド(track.5)は、オペラっぽくもあって、劇的... いや、クレドに限らず、劇的で、何よりパワフルなハ長調ミサ。それまでの教会音楽とは一線を画す、典礼よりも表現が重視される様に、新しい世紀の到来を強く意識させられる。
1807年、ハ長調ミサが作曲された年というのは、ちょうど「運命」が作曲された年で、「田園」の作曲にも取り組み始める年。となれば、ベートーヴェンの筆が最も乗っていた頃で... また、ハ長調ミサは、ベートーヴェンにとって最初のミサであり、並々ならぬ思いで挑んでいたのだろう。そういう、溢れんばかりの創意、意気込みが、そのまま音楽となって響き出し、そのあまりのテンションの高さに、中てられるところも... だからだろうか、エステルハージ侯爵家での初演は、大した不評だったらしい。侯爵夫人のための楽しいパーティーに、こうもガチなベートーヴェンをぶつけられては、台無し?ハイドンが楽長をしていた18世紀が懐かしいエステルハージ侯爵夫妻にとって、ハ長調ミサは、相当にブっ飛んだ未来のミサに聴こえたはず... そこには、晩年のミサ・ソレニムスの独特な壮麗さがすでに見受けられるし、第九にも通じるエキセントリックさを感じるところも... 改めてハ長調ミサを聴いてみると、その当時のベートーヴェンの勢いに圧倒され、今を以ってしても中てられるのかもしれない。いや、そのヤリ過ぎなくらいがベートーヴェンであって、向こう見ずなればこそ生まれるヴィヴット、整理され切らないからこそのアグレッシヴがたまらない。それは、「運命」や「田園」よりも、ただならなさが漂っている気がする。
というハ長調ミサの前に、シェーナとアリア「おお、不実な者よ」(track.1)が取り上げられるのだけど、これがまた凄い!もう、そのままオペラに発展させてほしいくらいにドラマティック!この作品は、サリエリについて学ぶ前、1795年から96年に作曲されたらしいのだけれど、学ぶものなど無いのでは?と思わせるくらいの充実っぷり。見事にグルックの改革オペラの伝統を受け継いでいて、聴き入ってしまう。いや、そのシェーナの迫力は、ヴェルディすら予感させるのか... ベートーヴェンは、結局、『フィデリオ』しかオペラを残さなかったわけだけれど、このシェーナとアリアを聴くと、そのことがとても残念に感じられる。さて、もうひとつ、ウィーン会議(1814-15)のために書かれたカンタータ「海の凪と成功した航海」(track.2)も取り上げられる。静=凪から動=航海へ、劇的に展開する合唱曲は、あざといくらいのコントラストを描き出し、やっぱりベートーヴェンらしい... いや、ベートーヴェンは、ドラマティックだなと、このアルバムで再認識。場合によっては芝居掛かってさえいる。裏を返すと、それが時代の気分だったのだろう... そうした中を生きて、傑作は生み出されたのだなと...
そんなベートーヴェンを強調する、ガーディナー。とにかく、元気いっぱい!いや、ただ元気なのではなくて、このマエストロならではの、ベートーヴェンの綴った音符、全てを活性化して、一気に輝き出すような元気の良さ!そもそもベートーヴェンは元気がいいわけだけれど、それをそのままに形にする気持ちの良さ!というガーディナーに、しっかりと応えるオルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティーク。エッジを効かせつつ、よく鳴らして、ピリオド・オーケストラのスケールを越える輝かしさを生む見事さ!そして、モンテヴェルディ合唱団も、元気の良さで勝負するところがあって、おもしろい。それくらいだから、時に疲れてしまい、中てられるようなところも無きにしも非ずなのだけれど、それも含めてベートーヴェン... 慣れてしまうと癖になる!一方、ソリストでは、「おお、不実な者よ」(track.1)を歌ったマリョーノがすばらしく、その迫真に聴き入ってしまう。しかし、ガーディナーのベートーヴェンは、その時代に迫って、凄い!

BEETHOVEN: MASS IN C MAJOR, OP.86/ETC
JOHN ELIOT GARDINER


ベートーヴェン : シェーナとアリア 「おお、不実な者よ」 Op.65 *
ベートーヴェン : カンタータ 「海の凪と成功した航海」 Op.112 *
ベートーヴェン : ミサ ハ長調 Op.86

シャルロット・マリョーノ(ソプラノ) *
キャサリン・ロビン(メッゾ・ソプラノ)
ウィリアム・ケルドン(テノール)
アラステア・マイルズ(バス)
モンテヴェルディ合唱団 *
ジョン・エリオット・ガーディナー/オルケストル・レヴォリュショネル・エ・ロマンティーク

ARCHIV/435 391-2




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