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ケクラン、抒情を極めて生まれるアンビエント... [before 2005]

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さて、2017年は、ケクランの生誕150年のメモリアル!なのだけれど、今一、インパクトに欠ける?という前に、ケクランって、誰?なんてことにもなりそうなのだけれど... フォーレの『ペレアスとメリザンド』や、ドビュッシーの『カンマ』のオーケストレーションで知られるケクランは、ドビュッシーの5つ年下で、ラヴェルの8つ年上という、もうひとりのフランス印象主義の作曲家。で、普段、漠然と捉えている「印象主義」という言葉だけれど、改めて、その由来であるモネらによる革新的だった印象主義の絵画へと立ち返って、その音楽を見つめれば、ドビュッシーよりも、ラヴェルよりも、印象主義をクリアに響かせることができたのが、ケクランだったように思う。そういう点で、とても興味深い存在ではあるものの、印象主義の二枚看板に挟まれて、スポットが当たり難い... なればこそのメモリアル!ケクランにスポットが当たることを願って、ケクランを聴いてみる。
ということで、エキゾティックな小説で名を馳せたフランスの小説家、ピエール・ロティのイランへの旅を綴った『イスファハンへ』(1904)にインスパイアされ作曲した、ケクランの『ペルシアの時』(CHANDOS/CHAN 9974)を、キャサリン・ストットのピアノで聴く。

リュリの『町人貴族』(1670)のトルコ人の儀式や、ラモーの『優雅なインドの国々』(1735)など、伝統的にエキゾティックなものに強い感心を示して来た国、フランス。19世紀に入って、植民地進出の本格化と、世界中から様々な文物を集めた万博開催で、エキゾティシズムはさらに熱気を帯び、当然、音楽シーンにも波及... ビゼーの『真珠採り』(1863)や、サン・サーンスの『サムソンとデリラ』(1877)、ドリーブの『ラクメ』(1883)など、エキゾティックを売りにする魅惑的な作品が大成功する。そうした時代に活躍した小説家、ピエール・ロティ(1850-1923)。海軍士官として世界中(日本にも明治時代に、二度、訪れている... )を旅しながら、異国を舞台に様々な作品を発表。そうした作品のひとつ、イランを旅して綴られた旅行記、『イスファハンへ』(1904)にインスパイアされ、16の小品からなる『ペルシアの時』を作曲したケクラン(1867-1950)。となると、コテコテにエキゾティックな音楽を聴かせる?いやいやいや、けしてそうはならないのがケクラン... それは、エキゾティックというより、まさに印象主義であって、瑞々しく、美しく、淡い色調で、抒情を極めつつ、鋭敏な感性で情景を描き出す。
という1曲目、「午睡、旅立ちの前」、訥々と音が並べられ、ペルシアのイメージはそこにまったく無く、アブストラクトですらあるのだけれど、まどろみの中、イメージが次第に埋まって行くような感覚があり、そのあたり、印象主義の画家たちの筆触分割を思わせて、おもしろい。そうして、像を結ぶ2曲目、「キャラバン(午睡中の夢)」(track.2)... 形を成さなかった音の並びが、ぼんやりとエキゾティシズムに彩られて、おぼろげにイランの景色を映し出し、幻想的な旅に誘われる。が、旅の始まりは、「暗がりの山登り」(track.3)。足元だけを見つめ、淡々と登って行くような音楽が続いた後で、「すがすがしい朝、高い山間にて」(track.4)、日の出間近の白み出した空の下、開けた風景が眼前に広がる。繊細なグラデーションを描き出す朝の空を、少ない音で捉えて、朝の山の静けさを絶妙に描き出す。そこから「街を望む」(track.5)と、家々の屋根が朝日に照らされてキラキラと輝き出し、息を呑む。町に下りて「街道を横切る」(track.6)と、喧騒に包まれ、空気が変わる。より色彩に充ちたサウンドが行き交い、町の人々の表情が感じられ、鮮やか... という具合に、繊細に旅の風景を活写して行くケクラン。その音楽は、抒情を極めながら、まるで写真のように瑞々しく、印象主義を極めたスーラの画面を思わせる。ひとつひとつの音は、どこかアブストラクトに佇むものの、その音群が像を結ぶと、はっきりと風景が見えて来る、おもしろさ!そんなケクランの音楽に触れると、ドビュッシーはあまりに曖昧模糊としているし、ラヴェルは酷くマッドに感じられてしまう。裏を返せば、印象主義の二枚看板は、ケクランほどの印象主義には至れていないと言えるのかも...
そして、『ペルシアの時』の最大の魅力は、抒情を極めて生まれるアンビエントさ!この感覚は、突き抜けていて、吸い込まれるように瑞々しい。で、そういう瑞々しさに触れていると、今、何を聴いているのかがわからなくなる。「石造の泉の近くの日陰で」(track.11)のような、ドビュッシーを思わせる古雅なメロディーを聴かせるものもあるのだけれど、全体から漂うトーンは、完全にクラシックの枠からはみ出していて、古典という古めかしさがまったく感じられない。「テラスから見る月の光」(track.8)なんて、ちょっとフュージョンっぽい。いや、全体がそうなのかも... そういう作品が、1世紀も前に書かれたとは、ちょっと想像が付かない。一方で、その突き抜けた在り様に、厭世的なものを感じなくもなく... 1913年、『春の祭典』がセンセーショナルを巻き起こした頃に作曲が始まった『ペルシアの時』。第1次大戦(1914-18)を経て、1919年に完成するのだけれど、そういう厳しい現実を微塵も感じさせない音楽は、逃避的でもあったのかもしれない。となると、また違った感慨も湧く。
という『ペルシアの時』を、ストットのピアノで聴くのだけれど、いやー、彼女のピアノが、見事にケクランの音楽性と共鳴して、その抒情はさらにさらに極まる!クラシックのピアニストではあるけれど、型枠にはまらないようなところがあるストットの指向が、よりニュートラルにケクランの印象主義を捉えて、その独特さを際立たせるのか... フランス印象主義というと、漠然とお洒落なイメージがあって、ややもすると、安易な雰囲気に流されがちだけれど、そういう流れとは一線を画し、一音一音を丁寧に、それでいてリリカルに響かせるストットのタッチは、ケクランの美しさをヴィヴィットに引き出して、魅了されずにいられない。そうして深まる、ケクランのアンビエントさ... アンビエントだけれど、ロティが旅したペルシアの風景の解像度はどんどん上がって、リアリティをも創り出してしまうストットの巧さ。シンプルに美しさに惹き込まれたかと思うと、その美しさの中に、瑞々しい風景が浮かび上がって来る魔法!これこそ印象主義の魅力だと思う。

KOECHLIN: LES HEURES PERSANES – Kathryn Stott

ケクラン : 『ペルシアの時』 Op.65

キャサリン・ストット(ピアノ)

CHANDOS/CHAN 9974




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