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没後200年、メユール、革命が開花させたロマン主義の先駆者。 [before 2005]

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モーツァルトが初めて作曲したのは1761年、5歳の時...
父、レオポルトが、姉、ナンネルのために書いた練習帳を、姉に倣って弾き始めるモーツァルト少年だったが、間もなくそれに飽き足らなくなり、自ら即興で音楽を生み出し弾き出す。それに驚いたレオポルトは、練習帳の余白に、その音楽を書き留めて... そうして、モーツァルトの最初の作品は誕生する。それから30年、35歳で世を去るまでの作曲家人生をつぶさに見つめると、モーツァルトの成長とともに成熟して行く古典主義の音楽の歩みがとても興味深い。が、モーツァルトの歩みは1791年で止まってしまう。前回、聴いた、25番のピアノ協奏曲の、ベートーヴェンを思わせるスケール感を思い起こすと、1791年以後も音楽を書き続けていたら... と、つい考えてしまう。いや、書き続けていた!という流行りのオルタナティヴ・ファクト?みたいな感じで、モーツァルトの同世代で、モーツァルトよりも先を生きたフランスの作曲家を聴いてみる。
2017年、没後200年のメモリアルを迎えるメユール(1763-1817)の、19世紀に入って間もなくの作品... マルク・ミンコフスキ率いる、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの演奏で、メユールの1番と2番の交響曲(ERATO/2292-45026-2)を聴く。

エティエンヌ・ニコラ・メユール(1763-1817)。
1763年、7歳になったモーツァルト少年が、父に連れられて初めてパリを訪れる少し前、フランス北東部、アルデンヌ地方、ベルギーに突き出たちょっと変わった場所にある、小さな町、ジヴェに生まれたメユール。モーツァルト少年のように恵まれた環境にはなかったものの、地元のフランシスコ会レコレ派の修道院の盲目の老オルガニストについて音楽を学び始めると、才能を発揮。老師が亡くなると、10歳にして、その後を継ぎ、オルガニストになったというから、メユールもなかなかの神童っぷりを見せていたのだろう。その頃、ジヴェの南、モンテルメにあるラヴァル・デュー修道院に、ドイツ人のオルガニスト、ヴィルヘルム・ハンザーが音楽監督としてやって来る。そして、音楽学校を創設(1775)。メユールは、この学校に入学。間もなく頭角を現し、修道院の副オルガニストに抜擢されるまでに... そこから、さらなる研鑽を積むため、パリへ!モーツァルトの二度目のパリ滞在の翌年、1779年、気鋭の鍵盤楽器奏者、エデルマンに師事。1783年には、最初のソナタ集を発表するも、モーツァルトも苦戦した、巨匠たちが熾烈な競争を繰り広げる音楽の都、パリだけに、若手作曲家が割り込める隙はなかなか無かった。が、状況は一変する。1789年のフランス革命により、国際的な名声を博す巨匠たちがパリを去ってしまうと、メユールにも活躍の機会が巡って来る。モーツァルトが世を去る前年、1790年、『ウフロジーヌ』がオペラ・コミック座で上演され、大成功。一躍、注目の作曲家に... また革命政府と巧みに付き合い、コンセルヴァトワールの主要ポストに就き、アカデミー・フランセーズの会員にもなる。さらには、破竹の勢いの将軍、ナポレオンと目敏く親交を結び、1801年には、オペラ・コミック『リラート、あるいは短気な人』をナポレオンに献呈。新体制下のフランス楽壇に地歩を築くはずだったが、ナポレオンの保守的な音楽趣味が、アンシャン・レジームを彩ったナポリ楽派の巨匠たちを再びパリに呼び戻し、革命期の音楽を担ったメユールらは二番手に甘んじることになる。
そんなメユール、ナポリ楽派の巨匠たちが手を出さない交響曲で勝負を掛ける!ということで、1808年に作曲された1番(track.1-4)と、翌年に作曲された2番(track.5-8)を聴くのだけれど、まずは1番から... いや、1楽章、冒頭から、しっかりと19世紀を感じさせてくれる力強い音楽に惹き込まれる。1808年というと、ベートーヴェンの「運命」がちょうど作曲されていた頃だけれど、その仄暗く劇的な展開は、ベートーヴェンの先にある、ウェーバーや、メンデルスゾーンを思わせて、印象的。一転、2楽章、アンダンテ(track.2)の壮麗さ、3楽章、メヌエット(track.3)のダンスにしてヘヴィーなあたりは、ベートーヴェンを思わせる。が、終楽章(track.4)のリズミックにキャッチーなあたりは、シューベルトのよう... 古典主義の爛熟と、ロマン主義の黎明を行き来する、メユール。それは、現代の視点からすると、まさしく過渡期の音楽ではあるのだけれど、当時の視点に立つと、コンテンポラリー=ベートーヴェンと、アヴァン・ギャルド=ロマン主義の両方が並んで、相当に刺激的だったのかも... という1番に対し、2番(track.5-8)は、よりベートーヴェンを思わせる仕上がり。1番で、ベートーヴェンより先へと踏み込んだ分、ちょっと残念に思わなくもないものの、終楽章(track.8)ではハイドンがリヴァイヴァルされるような感覚もあって、時計が逆回転する感じが、かえっておもしろい。しかし、興味深いのは、メユールの音楽性のドイツ語圏との近さ... 1番は、後にメンデルスゾーンによって取り上げられ、シューマンが絶賛したとのこと、納得。かつてハンザーに学んだ影響だろうか?フランスにして、ドイツとの親和性を見せるメユールの音楽。
という、興味深い音楽を、活き活きと繰り出すミンコフスキ+レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル。あまり交響曲を演奏しているイメージの薄い彼らだけれど(最近は、ハイドンも、シューベルトも、堂々たる演奏を聴かせてくれるのだけれど... )、思いの外、丁寧に、きっちりと交響楽と向き合う。そんな姿が、ちょっと微笑ましくもあり... いや、いつもの歌モノとは一味違う真摯さを感じて、よりメユールの音楽の興味深さをフォーカスするよう。いや、鬼才、ミンコフスキにして、端々から律儀さが感じられ、そういう姿勢が、メユールのドイツとの親和性を強調するようでもある。またそれが、構築的な交響曲の魅力をしっかりと引き出し、メユールのロジカルな志向を浮かび上がらせ、なればこその交響曲のおもしろさを堪能させてくれる。一方で、1番で窺えるロマン主義的傾向、2番の終楽章(track.8)で聴こえて来る、ちょっとばかり田舎風な癖のある味付けは、ミンコフスキ+レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルならではの音楽性がより味のあるものとしていて、素敵。また、こういう味がメユールのフランスの部分をすくい上げて、絶妙。だからこそ、メユールの存在が輝く!

MÉHUL Symphonies Nos 1 & 2 MINKOWSKI

メユール : 交響曲 第1番 ト短調
メユール : 交響曲 第2番 ニ長調

マルク・ミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

ERATO/2292-45026-2




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