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23番から25番へ... モーツァルト、19世紀の扉を開けるコンチェルト... [2012]

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アマデウス、神に愛されし者... なればこその天才性を、遺憾なく発揮し、誰もが知る名曲を次々に生み出した、わずか35年という短い人生は、もはや伝説である。というのが、モーツァルトの一般的なイメージかなと... が、丁寧に見つめるモーツァルト像は、そうカッコいいばかりではない。父の英才教育によって築かれる音楽的素地。やがてヨーロッパ中を旅し、最新の音楽を貪欲に吸収して形成される音楽性。もちろん、抜き出た才能があったことは間違いないのだけれど、モーツァルトの音楽は、モーツァルト自身の努力の賜物だと感じる。そして、今でこそ無敵なモーツァルトも、その当時は様々な外的要因に翻弄され、そういうままならなさから紡ぎ出された音楽というのは、思いの外、人間味に溢れるものなのかなと... それはまた、古典美が尊ばれる古典主義の時代に在って、一味違うものなのかなと... で、そこが、この作曲家の魅力であり、次なる時代の予兆?
ということで、3月はモーツァルト!ルドルフ・ブッフビンダーのフォルテピアノ、ニコラウス・アーノンクールが率いたウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの演奏で、モーツァルトの23番と25番のピアノ協奏曲(SONY CLASSICAL/88765409042)を聴く。

ブッフビンダーがピリオドのピアノ(1792年製、アントン・ヴァルターのレプリカ)でモーツァルトのコンチェルトを弾く?!それもアーノンクール+ウィーン・コンツェントゥス・ムジクスの伴奏で!と、リリースされた時は、びっくりし、恐る恐る聴いてみた記憶があるのだけれど、演奏の印象は、何となくぼやけてしまっていて、どんなだったか、あまり思い出せない。というところから、今、改めて聴いてみる、ブッフビンダーのモーツァルト、23番(track.1-3)と、25番(track.4-6)のピアノ協奏曲... まず、25番が先に取り上げられるのだけれど、いやー、アーノンクールならではの灰汁の強い演奏というか、アグレッシヴかつヘヴィーな序奏に、これは本当にモーツァルトですか?!となる。てか、完全にベートーヴェンを聴いている感覚... で、そのベートーヴェンを思わせる力強さにグイっと惹き込まれてしまう。こういう強引さ、アーノンクールのズルいところ... なのだけれど、ベートーヴェンで鳴らしたマエストロ、ブッフビンダーのピアノを導くには、これ以上無い序奏でもあって... そうして響き出す、ブッフビンダーのフォルテピアノ!これがまた、マイペースを極めていて... ピリオドで活躍する鍵盤楽器奏者とは違い、楽器に対して遠慮が無い?まるでモダンのピアノを弾くような、いい意味での強引さがある。だからこそ、力強い音楽が繰り出され、普段のモーツァルトのスケール感を越えた、堂々たるコンチェルトが響き出す。
という25番が作曲されたのが、1786年。ベートーヴェンは、まだ15歳。モーツァルトに弟子入りしたいとウィーンを訪れるのは、翌、1787年。となると、ベートーヴェンにとってのピアノ協奏曲の原風景は、この25番あたりになるのかもしれない。裏を返せば、このコンチェルトを作曲した頃のモーツァルトは、20年後に訪れるベートーヴェンの時代の扉を開いていたと言えるのかもしれない。1786年、それは、傑作、『フィガロの結婚』が作曲された年であり、モーツァルトにとって、最もノっていた年... 『フィガロの結婚』は、面倒臭い政治的理由で、芳しい結果を得られるまでには至らなかったが、その音楽に関しては、同時代のオペラ・ブッファから間違いなく飛躍しており、かなりチャレンジングだったと思う。何より、水際立っている!そして、その勢いのままに作曲されたのが、25番だったか... より充実したオーケストラ・サウンドに彩られ、モーツァルトらしい花々しさは抑え気味に、19世紀を予感させる質実剛健さが聴く者を圧倒さえする。堂々たる1楽章などは、特に!そんな25番の後に、モーツァルトらしさを残す23番(track.4-6)に触れると、25番の先進性を意識せずにはいられない。
という23番は、実は25番と同じ、1786年の作品。12月に入って完成した25番の9ヶ月前、3月の初めに完成している。で、3月の末には、早くも24番が作曲されるのだけれど、この24番には、25番へとつながる、19世紀的な感性がすでに見受けられる。となると、1786年の3月が、モーツァルトの音楽のターニング・ポイントだったか?普段、あまり意識しないで聴いているものの、23番から24番へ、24番から25番への飛躍は、なかなか興味深い。となると、飛躍前夜にあたる23番はつまらない?けしてそんなことはなくて、それどころかモーツァルトらしさが炸裂!特に、有名な2楽章(track.5)は、白眉... 多感主義を受け継ぐ、たっぷりと憂いを含んだ音楽は、これぞモーツァルト... 眩惑されてしまう。しかし、モーツァルトらしい23番(track.4-6)と、ベートーヴェンを思わせる25番(track.1-3)を並べて、新旧を意識しながら改めて聴いてみると、モーツァルトの飛躍の瞬間に立ち会えたようで、興味深い。それでいて、それぞれに魅力的で、惹き込まれる。
というモーツァルトを聴かせてくれたブッフビンダー、アーノンクール。彼らだったからこそ、1786年のモーツァルトの飛躍は炙り出されるか... 2人の巨匠の、巨匠ならではの、それぞれのマイペースさが、モーツァルトのイメージを突き離して、その美しい音楽を過保護に扱わないのが功を奏する。ピリオドの世界で活躍する音楽家の繊細さとは違う、ピリオドの楽器を用いても、我が道を貫き通す強引さが、モーツァルトのイメージを容赦なく崩し、その真の姿を洗い出すかのよう。ピリオドのモーツァルトに慣れてしまうと、何だかモーツァルトが粗雑な扱いを受けているように感じなくもないのだけれど、それくらい揉まれて、モーツァルトもまた一皮剥けるのかもしれない。一皮剥けて、新たな発見を促してくれる。

BUCHBINDER – HARNONCOURT – CONCENTUS MUSICS WIEN
MOZART: PIANO CONCERTOS NOS. 25 & 23


モーツァルト : ピアノ協奏曲 第25番 ハ長調 K.503
モーツァルト : ピアノ協奏曲 第23番 イ長調 K.488

ルドルフ・ブッフビンダー(フォルテピアノ)
ニコラウス・アーノンクール/ウィーン・コンツェントゥス・ムジクス

SONY CLASSICAL/88765409042




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