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フリードリヒ大王と向き合う大バッハ、新旧の対峙... [before 2005]

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1740年、フルートの名手で、作曲もこなし、後に「大王」と呼ばれるフリードリヒ2世(在位 : 1740-86)がプロイセン王に即位。それは、軍国主義を布いた先王、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世(在位 : 1713-40)によって抹消されたベルリンの宮廷音楽の復興を意味していた。そして、フリードリヒ大王による復興事業の目玉が、オペラハウス(現在のベルリン・シュターツオーパー)の建設。即位と同時に動き出したプロジェクトは、2年後の1742年、宮廷楽長、グラウンの『クレオパトラとチェーザレ』で、早くも柿落としに漕ぎ付ける(とはいえ、工事はまだ終わっていなかった!)。そうして本格始動する大王の宮廷音楽... 大王のフランス趣味と、楽長、グラウンのニュートラルな音楽性が結ばれ、ベルリン独自のギャラント様式が育まれて行く。
その大王の宮廷を訪れた大バッハ、大王から賜った主題に基づき、やがて"捧げもの"をする... ピリオド界の雄、クイケン兄弟、バルトルドのフラウト・トラヴェルソ、シギスヴァルトのヴァイオリン、ヴィーラントのヴィオラ・ダ・ガンバ、そして、ロベール・コーネンのチェンバロによる、バッハの『音楽の捧げもの』(deutsche harmonia mundi/05472 77307 2)を聴く。

ベルリンの王立歌劇場の柿落としの5年後、1747年、ライプツィヒの巨匠、大バッハは、次男、カール・フィリップ・エマヌエルが仕えるフリードリヒ大王の宮廷、ポツダムの宮殿を訪れる。到着早々、大王は、大バッハに主題を提示し、3声のフーガとして即興することをリクエストする。"王の主題"は、何とも料理し難いものだったが、きっちりと応えた大バッハ。大王は、その見事な演奏に触れ、今度は倍の6声のフーガをリクエストするも、さすがの大バッハも、それには応え切れず、即興ではなく、後日、きちんと作曲したものを提出することを申し出る。そうして、誕生したのが、ここで聴く『音楽の捧げもの』... 作曲された6声のフーガのみならず、最初の即興による3声のフーガ、さらに"王の主題"を基に新たに紡ぎ出された様々なヴァリエイションを含み、晩年のバッハを象徴する対位法が駆使され、まるでその経典のようにして、今、存在感を示している曲集なわけだが...
グラウンの『クレオパトラとチェーザレ』を聴いて、ポスト・バロックへと踏み出したフリードリヒ大王の宮廷の様子を思い浮かべながら、『音楽の捧げもの』を聴くと、ギョっとさせられる。グラウンのオペラのナポリ楽派に通じる流麗さの一方で、大バッハのバロックが煮詰まったような音楽... 改めて聴いてみると、それはバロックよりも遡って、ウルトラ・ルネサンス... マッド・ルネサンスとすら言いたくなってしまうような、異様にも思えるほどの対位法がとぐろを巻いていて、大王の趣味への当て擦りに感じられなくもない... それ以前に、ギャラントな宮廷と、そこに招かれた旧時代の巨匠のギャップ!さらには、大王の無理難題を吹っ掛ける意地の悪さも感じられて、"王の主題"にそれは如実に表れているよう。けして美しいとは言えない晦渋なテーマは、扱い難いようにわざと作曲されたとも言われており、20世紀に入って、新ウィーン楽派がこぞってアレンジに取り組んでいるあたりからも、"王の主題"の異質さは際立っているのかもしれない。何より、聴いていて、何とも言えない心地になる。
ということで、まずは、『音楽の捧げもの』の端緒、最初の即興に基づく、3声のリチェルカーレ... チェンバロが静々と弾き始める"王の主題"の張り詰めた緊張感は、ちょっと猟奇的ですらあって、久々に聴くと戦慄させられる。が、次第に声部が重ねられて行くと、まるで呪文でも唱えるようなミステリアスさが漂い、眩惑されるも、終わりに近付くにつれ、チェンバロは感傷的な表情を見せ、ギャラントな雰囲気が漂い、この音楽が最初に響いた場所を思い起こさせる。いや、大バッハもなかなかの器用さを見せており、大王に負けていない。続く、王の主題による無限カノン(track.2)では、フルートが加わり、ふわっとした柔らかさをもたらすも、王の主題による各種のカノン(track.3-7)では、律儀な対位法が繰り出され、音楽を聴くというより、瞑想を促されているような心地に... そうして、件の6声のリチェルカーレ(track.9)を聴くのだけれど、今、改めて聴いてみると、精巧な機械仕掛けの時計の中に閉じ込められたような感覚に陥り、美しくも恐さを感じる。そもそも、『音楽の捧げもの』には、何か得体のしれない恐怖が潜んでいる気がする。実は、この作品、密やかなる悪意のやり取りなのでは?
クイケン兄弟とコーネンによるアンサンブルは、ひとつひとつの楽曲をじっくりと奏で、曲集全体に重みを持たせて、印象的。単にクリアに対位法を繰り出すばかりでなく、重ねられて行く声部のひとつひとつに、この曲集が生まれた切っ掛け、その背景にあっただろう様々な感情を織り込むようで、静かな迫力がある。だからこそ、対位法が冷たくならず、どこかスリリングで、優雅だけれど人間臭い宮廷の緊張感も聴こえて来るよう。一方、後半に置かれたトリオ・ソナタ(track.12-15)では、バルトルドのフラウト・トラヴェルソの豊かな響きが、フルートの名手である大王の佇まいを窺わせ、緊張を解いて華やいだ雰囲気を響かせる。すると、"王の主題"の晦渋さが、最後、優雅さに昇華され、そこはかとなしにドラマティックな展開に... どこか取っ付き難さを感じていた『音楽の捧げもの』が、確かなアンサンブルと、ひとりひとりの音楽性の深みによって、より濃密な音楽に変わるのか、これまでとは一味違う向き合い方ができる演奏に、惹き込まれる。それにしても、バッハ、タダモノじゃない!単なるオールド・ファッションに終わらず、新しい世代に、真っ向、勝負を掛けて来る大胆さ!クイケン兄弟とコーネンによる『音楽の捧げもの』を聴いて、ちょっと、見直してしまう。

J.S.BACH : MUSIKALISCHES OPFER
BARTHOLD, SIGISWALD&WIELAND KUIJKEN ・ ROBERT KOHNEN

バッハ : 『音楽の捧げもの』 BWV 1079

バルトルド・クイケン(フラウト・トラヴェルソ)
シギスヴァルト・クイケン(ヴァイオリン)
ヴィーラント・クイケン(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
ロベール・コーネン(チェンバロ)

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