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対位法の歩みを辿る、ルネサンスから、モーツァルトへ... [2014]

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やはり、短慮はいけませんね。一夜で、215兆円、吹っ飛ぶなんてこともあるわけです(えーっと、請求書はイギリスに回せばいいのかしら?)。で、短慮の源を見つめる動きがあるわけだけれど、浮かび上がるのは、政治家たちの権力闘争の浅はかさ... 自らの責任を、EUに押しつけた無責任さ... グレイトどころか、やがてリトルとなるだろうブリテン、いや、イングランドの首相を、誰が務めるのか、見モノ。しかし、良い勉強になりました。どれだけ広い視野を持てるか、世界は複雑だという現実を前に、冷静に対応できるかが、21世紀を生き抜く鍵... 一方で、政治家たちの無責任の付けが、21世紀をますます混沌としたものにしている。Brexitのみならず、トランプ現象も、オリンピックを控えるブラジルの惨憺たる状況も、旧来の政治家たちの無責任に端を発しているわけで... いや、だからこそ、我々は、真剣に政治家を選ばねばならないのだと思う。明日は我が身ですよ!
ということで、短慮の正反対?深慮極まる音楽を聴いてみようかなと... ヨーロッパの音楽の晦渋な一面とも言える対位法について、ルネサンスに遡り、モーツァルトに至るまでを、弦楽四重奏で辿る1枚。エンリコ・ガッティ率いるアンサンブル・アウロラの演奏で、"ON THE SHOULDERS OF GIANTS"(ARCANA/A 373)。いや、何と言う深さ!伝統の厚みたるや!

カエルの歌を、こどもたちが輪唱できるのは、対位法が働いているから。メロディーを重ねても、それらが絶妙に響き合い、引き立て合い、音楽をより楽しいものにしてくれる。つまり、異なるメロディー(カエルの歌の場合は、ずらされたメロディー... )を重ねることで生まれる、ぶつかり合う感覚を、如何にナチュラルなものとして処理するか、さらには、重ねることで、より効果的なものを生み出すか、というのが対位法。ウーン、音楽とは、聴き手が思う以上に、メカニカルなものなのかも。そんな対位法について考えるアルバム、"ON THE SHOULDERS OF GIANTS"、巨人の肩の上、凄いタイトル。そして、タイトルそのままに、ジャケットには、地球を背負うアトラスの姿... 何とも重そうな姿... サブタイトルには、"TRACING THE ROOTS OF COUNTERPOINT"とあり、文字通り、対位法のルーツを遡るわけだ。いや、もうこの時点で、かなり晦渋な印象なのだけれど、対位法というものに、こうして、改めて迫ることで、西洋音楽の重みを、ひしひしと感じることができる。まさに、アトラスのように... いや、対位法こそ、西洋音楽を支えるアトラスと言うべきか?とにもかくにも、これまでになく、重々しく、深く、西洋音楽と向き合う1枚。そして、それは、対位法のルーツ、ルネサンス期へと遡るところから始まる。
最初は、パレストリーナのミサ「見よ、この偉大なる祭司を」から、キリエ... で、それを弦楽四重奏で演奏してしまうアンサンブル・アウロラ。弦楽四重奏という、クラシックにおける極めてベーシックな、それでいて研ぎ澄まされた編成で対位法のルーツを遡るのは、的を射てる。しかし、弦楽四重奏という、音楽史においては、比較的、歴史の新しい編成で、ルネサンス期の音楽までを取り上げると、どんなことになってしまうのだろう?ルネサンス期に花開いたコンソート・ミュージックに通じるものを感じる弦楽四重奏ではあるけれど、パレストリーナのミサを弦楽器で鳴らすと、何だか、凄く、朴訥に感じられて... 本来、声によって織り成されるポリフォニーを、楽器で捉えると、各声部がくっきりと彫り出されるような感覚があり、やわらかさは失われるのか... そうしたあたりに、声が持つ幅やしなやかさを、改めて思い知らされる。また、声あってこそ発展したルネサンス・ポリフォニーというものを認識させられるよう。その声に置き換えられる形で始まる器楽曲の歴史... 楽器の直截な響きを如何にポリフォニーに吸収するか、そういうところから対位法は形作られて来たのだろう。で、6曲目にして、初めて器楽曲として作曲された作品が取り上げられるのだけれど、そのカステッロ(ヴェネツィア楽派の一員で、17世紀前半、器楽曲の黎明期に活躍... )の第15ソナタ(track.6)の、よりスムーズな展開に、声によって発展したルネサンス・ポリフォニーから、器楽のための対位法への進化が見て取れて、なかなか感慨深い。それが、ローゼンミューラー(track.7)、コレッリ(track.8)へとつながり、音楽としてより深まりを見せ、対位法がますます機能して行く様が印象的。何より、フーガが心地良く響く。のだが、その先に出現する、バッハ(track.9)の驚くべき古風さ!
バッハの異質さが克明となる、『フーガの技法』から、コントラプンクトゥス4(track.10)。対位法の教科書とも言えるその音楽からは、パレストリーナの昔に帰るような朴訥としたフーガが繰り出され、コレッリの明朗さの後だと、ギョっとさせられる。が、その厳格なフーガに、弦楽器の深みや艶やかさからロマンティックなトーンが浮かび、19世紀を予感させるところも... オールド・ファッションであることが、これほどまでに強調されながら、ずっと先を見せてしまうバッハの超越感に、目を見張る。続く、モーツァルトのアダージョとフーガ(track.10, 11)。これは、古典主義の時代のある種の擬古典主義なのかもしれない。オールド・ファッションであることを、クールに繰り出すモーツァルトの姿は、20世紀前半のモダニストたちの感性に重なる気がする。という長い道程と様々な展開を経て、モーツァルトの14番の弦楽四重奏曲、「春」(track.12-15)が流れ出す!それは、まさに春... 特に、終楽章のフーガ(track.15)の華麗さ!対位法が古典主義に辿り着いて響かせる花々しさに、魅了されずにいられない。そして、そこへと至った対位法そのものに唸ってしまう。うん、真髄だわ...
そんな"ON THE SHOULDERS OF GIANTS"を聴かせてくれた、ガッティ+アンサンブル・アウロラ。とにかく、こういう大胆にして渋いアルバムを編めたことが凄い。1枚のディスクから、確かな音楽史が重々しく響き出すのだから、脱帽するしかない。そして、この意欲的なアルバムに説得力をもたらした彼らの秀逸な演奏!まず、古雅で真っ直ぐな音色が印象深く... その真っ直ぐさから紡ぎ出される対位法の、メカニカルな表情がまたおもしろく... 歯車のように連動して行く声部が、かっちりと描き出され、機械仕掛けの音楽を聴くような感触も... とはいえ、響きが硬直するようなことはなく、絶妙な朴訥さを以って、対位法の進化を卒なく引き立てる。何より、ルネサンスから古典主義まで、2世紀もある幅を、さり気なく渡って行けてしまう柔軟性!最後のモーツァルト、「春」(track.12-15)の可憐さから、再び、始まりのパレストリーナのキリエに戻ってみると、その柔軟性がどれほど凄いかを思い知らされる。一方で、1枚のアルバムとしての一貫性も見事!弦楽四重奏のベーシックな性格を全面に活かし、淡々と音楽史を、対位法を捉えて行く、圧巻のニュートラルさ... ガッティ筆頭に、4人の奏者の揺ぎ無いパフォーマンスがあってこその恐るべき1枚だ。

ON THE SHOULDERS OF GIANTS
ENRICO GATTI/ENSEMBLE AURORA


パレストリーナ : ミサ 「見よ、この偉大なる祭司を」から キリエ
フレスコバルディ : 使徒たちのミサ から クリステ II
フレスコバルディ : 聖体奉挙のための半音階的トッカータ 〔『音楽の花束』 より 主日のミサ〕
パレストリーナ : 曙に、やさしい春のそよ風が
ラッスス : 肌寒くも暗い夜
カステッロ : 第15 ソナタ 〔4声、弦楽器のための〕
ローゼンミューラー : 第7 ソナタ 〔4声〕
コレッリ : 4声のフーガ
バッハ : 『フーガの技法』 より コントラプンクトゥス 4
モーツァルト : アダージョとフーガ ハ短調 K.546
モーツァルト : 弦楽四重奏曲 第14番 ト長調 K.387 「春」

アンサンブル・アウロラ
エンリコ・ガッティ(ヴァイオリン)
ロセッラ・クローチェ(ヴァイオリン)
セバスティアーノ・アイロルディ(ヴィオラ)
ユディト・マリア・プロムステルベルク(チェロ)

ARCANA/A 373




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