SSブログ

アーノンクール、ブルックナー、表現主義的に、 [before 2005]

4509984052.jpg
今、改めて、ブーレーズとアーノンクールを振り返る... で、振り返ってみて、そのレパートリーの重なる部分の少なさに、ちょっと驚いてみる。現代音楽の巨匠、ブーレーズは、当然ながら現代から時代を遡り、ピリオドの巨匠、アーノンクールは、音楽史の流れに沿って過去から下って来るのだけれど、バルトークまで挑戦したアーノンクールに、モーツァルトも指揮したブーレーズ、となると、時代的に重なる幅は大きい。が、レパートリーとなると、おもしろいくらいに異なる。例えば、フランツ・シュミット(マーラーが率いたウィーン宮廷歌劇場のチェリストだった... )を録音したアーノンクールは、ブーレーズがツィクルスを完成させたマーラーに関心を示さなかった。バイロイトで大活躍したブーレーズは、ワーグナー以外のドイツ・ロマン主義に関心を示すことはなかった。そのワーグナー以外のドイツ・ロマン主義を丁寧にカヴァーしたのがアーノンクールだった。となると、まるで示し合わせたかのように棲み分けられているようで... そうした中、接点を見つける。それが、ブルックナー!
ブーレーズは8番を録音し、アーノンクールは8番を含む6曲を録音... 対極をなす2人の巨匠の交点として、ブルックナーという作曲家を見つめると、なかなか興味深いものを感じる。ということで、ニコラウス・アーノンクールの指揮、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏による、ブルックナーの3番の交響曲、「ワーグナー」(TELDEC/4509-98405-2)を聴く。

「ワーグナー」というタイトルがあるだけに、ワーグナーとのおもしろいエピソードがあるブルックナーの3番の交響曲... 以前からワーグナーに心酔していたブルックナーは、1873年、バイロイトを訪れる。そこで、前年に完成されていた2番と、完成されたばかりの3番の総譜をワーグナーに見てもらう機会を得て、いずれかの交響曲に献呈を添えたいと憧れの巨匠に申し出る。のだが、そこで失態をおかしてしまうブルックナー... バイロイトのワーグナーの邸宅、ヴァーンフリート荘のディナーに招かれたブルックナーは、勧められるままにビールを飲み、随分と酔っぱらってしまい、ワーグナーが献呈を受け入れると言った交響曲が、2番だったか、3番だったか、忘れてしまう。翌朝、おそるおそる、どちらだったかを聴き直すはめになったブルックナー... 「トランペットで始まる方でしょうか?」、そう、トランペットで始まる3番が、「ワーグナー」となった。そんなお茶目なエピソードとは裏腹に、ガツンと骨太な音楽を繰り出す3番。「ワーグナー」というだけに、その楽劇からの引用もありつつ、楽劇の壮大な世界が交響曲として再構成されたかのよう... ただ、歌=ドラマが無い「交響曲」という抽象のフォーマットで展開されるワーグナーは、壮大過ぎる背景のみが迫って来て、正直、取っ付き難い... 同世代のブラームスの交響曲などを思い起こすと、もう少し処理のしようもあっただろうにと、ブルックナーの不器用さを呪わしく感じてしまう。
いや、改めて3番を聴いてみると、ブルックナーの不器用さが特に際立っているような気さえして来る。一方で、その不器用さに、時代を超越するようなイメージを喚起させられて... ぶっきらぼうにすら思える展開に、近代音楽の姿が重なるのか、素材こそワーグナーからのインスパイア以外の何物でもないはずなのに、それらの積み重ね方が、どこか非音楽的に感じられ、トーン・クラスターや、場合によってはミニマル・ミュージックを想起させるところも... それでいて、そこから発せられる鮮烈なサウンドは、何かエレクトリックに増幅されたような印象すらあって... ドイツ・ロマン主義、あるいは「ワーグナー」というイメージを取っ払って聴いてみると、この交響曲は、まったく違う可能性を見せ始めるのかもしれない。このあたりが、現代音楽の巨匠、ブーレーズ(は、3番は録音していないのだけれど... )を惹き付けたブルックナーのおもしろさだったか?1875年、当時のウィーン・フィルは演奏不可能と判断し初演は流れてしまう。改訂を経て、何とか初演に漕ぎ付けた1877年、今度は聴衆がその音楽について行けず失敗に終わる。という史実を振り返ると、この音楽は未来の音楽だったと言えるのかもしれない。一方で、始まりのトランペットのテーマが、終楽章(track.4)のコーダで高らかに歌われ、抗い難い感動が湧き上がる中、全曲が締め括られるというズルさ。散々、聴く者を突き離しておきながら、最後の最後でこう来るかと... クラシック史上、最大のツンデレ作品でもある。てか、感動をより大きくするための試練なのだな、きっと...
そんな3番を、ピリオドの巨匠、アーノンクールで聴くのだけれど、特別、時代掛かったような素振りは見せず、アーノンクールらしい、息衝く音楽が繰り出されて、ブルックナー同様、自らの音楽性を貫き、おもしろい音楽像を生み出している。ブルックナーも際立って癖のある作曲家だけれど、その音楽をまた癖のある指揮者が振ることで、独特なインパクトが生まれるのか... ドイツ・ロマン主義のストイックなあたりが、何となしに色彩的に捉えられ、場合によっては表現主義的にすら展開してしまうアーノンクールの力技。すると、交響曲全体に、何か蠢くような感覚が広がり、そこに不思議な濃密さ、パワーが感じられ、気が付くと惹き込まれている。ちょっとマジカル... そんなアーノンクールに、しっかりと応えるロイヤル・コンセルトヘボウ管。クリアに響かせながらも、ひとつひとつの楽器が個性を主張するようなところがあって... こういうあたりに、ピリオドっぽさを見なくもないか... だからこそ、アーノンクールらしさが浮き立ち映えるのだなと。

BRUCKNER: SYMPHONY NO.3
NIKOLAUS HARNONCOURT

ブルックナー : 交響曲 第3番 ニ短調

ニコラウス・アーノンクール/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団

TELDEC/4509-98405-2




nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。