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ペルトの清冽なる祈り... ヨハネ受難曲。 [before 2005]

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ウーン、20世紀は、やっぱり受難の世紀だったわ... というのを噛み締めながら思い出す。そう言えば、まだ四旬節は続いていたはず... 今年の復活祭が3月27日。その前日までが四旬節。ということは、現在も四旬節中。で、復活祭まであと一週間となった本日から、聖週間なのだそうです。最後の晩餐にあたる聖木曜日(3/24)、そして、受難のその日、聖金曜日(3/25)と来て、復活前の聖土曜日(3/26)を挿んでの復活祭!新約聖書の最もドラマティックな部分を追う、聖週間... いや、こういう盛り上げ方もあるんだなと、感心してしまう。ということで、再び四旬節の音楽に戻ろうかなと... でもって、20世紀、受難の世紀の受難曲を聴いてみる。
やはり、この人も、受難の世紀を物語るひとりか... 間もなくソヴィエトの侵攻(1940)を受けることになるエストニアに生まれ、ソヴィエトの抑圧的な環境の中で、独自の音楽を育み、やがて西側へと亡命したペルト(b.1935)による受難曲... アントニー・ピッツ率いる、イギリスの合唱団、トーヌス・ペレグリヌスによる、ペルトのヨハネ受難曲(NAXOS/8.555860)を聴く。

18世紀には、あれほど書かれていた四旬節用の音楽... 受難交響曲に、受難オラトリオに、受難曲!そういうラインナップを垣間見せられると、かつての四旬節期間中の音楽シーンが如何に"四旬節"で盛り上がっていたかを思い知らされる(もちろん、より厳格に四旬節に向き合っていた地域、例えばバッハがいたライプツィヒとか... では、音楽そのものが禁止であったところもあるのだけれど... )。それが、フランス革命を境としてか、すっかり影が薄くなってしまい、19世紀になると、ミサ曲はコンサート・ピースに回収され、四旬節といった教会歴は、音楽シーンと切り離されて行く。近代社会とはそういうものか... そうした中で、受難曲がクローズアップされるのは、メンデルスゾーンによるバッハのリヴァイヴァル(1829)。以後、受難曲は、バッハのイメージが確立。2000年のバッハ没後250年では、国際バッハ・アカデミーにより現代の作曲家、4人に、新たな受難曲(タン・ドゥン=マタイ、グヴァイドゥーリナ=ヨハネ、リーム=ルカ、ゴリホフ=マルコ)が委嘱され、話題を集めた。が、ここで聴く、ペルトのヨハネ受難曲は、バッハを拠り所としない... 西側の革新から隔絶されたソヴィエトの息詰まる閉鎖性の中、過去に目を向けたペルト。中世からルネサンスの祈りの音楽を研究(宗教が敵視されていた社会主義体制下で!)し、やがてシンプルにして鈴が鳴るような清らかな響きを湛える、ティンティナブリ様式を確立。このペルトならではのスタイルで歌われるヨハネ受難曲は、現代音楽にして、バッハ以前の真摯な祈りを想起させ、清冽...
1980年、西側へと亡命して、すぐに取り組んだのがヨハネ受難曲。ラテン語を用い、イエス(バリトン)、ピラト(テノール)に、4声のカルテット(ソプラノ、アルト、テノール、バス)による福音史家、そして、コーラスが、ヨハネの福音書をストイックに歌い綴る。その伴奏には、ヴァイオリン、オーボエ、チェロ、ファゴットとオルガンという、小さなアンサンブルが付き従い... これがまたアルカイックで、まるでルネサンスのポリフォニー音楽のように、声部の一部を楽器に置き換えて奏でるような、「伴奏」とは異なる、独特な位置付けがなされて、声に寄り添い、声部を補強するかのよう。そうして響くサウンドは、まるでシュッツの受難曲を聴くような静謐さを湛え、バッハよりも古い音楽の在り様を蘇らせるよう。それでいて、驚くほど祈りへの姿勢が真摯で、受難曲というものの本来の姿を見た気さえしてしまう。となると、バッハの受難曲のような、イエスの受難をドラマティックに描き出そうなんて意志はまったく見受けられず、繰り返されるシンプルなフレーズは、祈りそのもので、それらが重ねられ生み出される透明感は、何か心理の奥底まで覗けてしまいそうな透明度を見せ、そういうサウンドをじっと聴いていると、吸い込まれてしまいそう。静けさが放つインパクト... そこに、ティンティナブリ様式ならではの独特のハーモニー、美しい和音を織り成すばかりでない、時折、声部が捩れるようなところがあり、透明な視界に、暗い闇が浮かぶ(冒頭では、トーン・クラスターを思わせる瞬間も... )。そうして漂い出す謎めく雰囲気は、この作曲家が東方からやって来たことを思い起こさせる。そんな、西欧の透明感と、東方のミステリアスさが織り成す音楽は、清らかな美しさに不思議な力強さが宿り、救いの無い悲痛さを呼び起こし、シンプルだったはずの音楽が、じわりじわりと重みを増して行く。そこから、最後、イエスが事切れた後、ぱぁーっと光が差して、何とも言えない解放を味わう。
はぁ~ 聴き終えると、思わずため息が出てしまう... そんな、ピッツ+トーヌス・ペレグリヌスによるペルトのヨハネ受難曲。古楽を中心に活躍する彼らだからこそ、ティンティナブリ様式が活きて、ペルトが志した音楽がより深く迫って来るよう。飾ることのない素朴なアンサンブルから、あえて時代を意識することなく、スコアを実直に読み、ペルトの音楽に籠められた、中世や、ルネサンス、あるいは東方正教会の聖歌を探り出す妙。そうして響くヨハネ受難曲は、どこか時代感覚を喪失しまっているようで、不思議。いや、これこそペルトのティンティナブリ様式の魅力!シンプルな音楽を瑞々しく澄ませて、そこから何かマジカルなパワーを呼び出す。そうしたあたりに、音楽のプリミティヴな姿も感じられ、ピッツ+トーヌス・ペレグリヌスの古楽から捉えるペルト像に、ただならず惹き込まれてしまう。底なしの清らかな泉に呑み込まれるような、どこか恐さもある歌にして演奏だった。さて、この作品、1982年に完成しているのだけれど、バブル景気目前の頃に、これほど内省的な音楽が生まれていたとは... ソヴィエトの隔絶された音楽環境を思い知らされる。

PÄRT: Passio

ペルト : ヨハネ受難曲

アントニー・ピッツ/トーヌス・ペレグリヌス

NAXOS/8.555860




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