SSブログ

「社会主義リアリズム」の悪夢、ショスタコーヴィチの苦悩。 [before 2005]

さて、リチャード・パワーズ著、『オルフェオ』に再び戻る(って、前回、聴いた、4つの最後の歌も、『オルフェオ』に登場していたのだけれど... )。で、この小説、思わず惹き込まれた挿話が、プラウダ批判により窮地に追い込まれるショスタコーヴィチの話し... 「社会主義リアリズム」という検閲下、もがきつつ、生き残るために書いた5番の交響曲を巡る、スターリンの恐怖政治との神経戦。手に汗握る、その初演の臨場感!作曲家にとっては、もはやコンサートではなく、裁判であって、交響曲は判決前の意見陳述のようなもの... しかし、その流れが劇的に変わる!コンサートに集った聴衆が、スターリンを巧みに牽制し、作曲家を救ってしまう。いや、何て状況なんだ!音楽が聴衆を勇気付けるのは極当たり前のことだけれど、聴衆が作曲家を、音楽を守るとは!単に聴くだけではない、深い共感が、独裁者にすら立ち向かえるパワーをもたらしてしまうことに、胸が熱くなる。
ということで、その瞬間を追体験してみたい!まずは、プラウダ批判の切っ掛けとなる作品、チョン・ミュンフンが率いていた、パリ、オペラ座、マリア・ユーイング(ソプラノ)がタイトルロールを歌う、ショスタコーヴィチのオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』(Deutsche Grammophon/437 511-2)と、リチャード・パワーズ推薦盤、ベルナルド・ハイティンクが率いたロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、ショスタコーヴィチの5番の交響曲(DECCA/478 4214)を聴く。


ショスタコーヴィチを窮地に追い込んだ傑作!『ムツェンスク郡のマクベス夫人』。

4375112.jpg
1934年、ショスタコーヴィチ、27歳の時、レニングラード(現サンクト・ペテルブルク)で初演されたオペラ『ムツェンスク郡のマクベス夫人』。田舎の裕福な商家に嫁いだカテリーナの転落の物語は、極めてスキャンダラスで、賛否を呼ぶも、レニングラードのみならず、モスクワでも上演され、また競うように制作され、大いに注目を集める。その評判は、間もなく国境を越え、西欧、さらにはアメリカでも上演されるに至り、ソヴィエトの若き作曲家は、世界的に知られるように... また、その直截的な物語と、それを彩る鋭い音楽は、社会主義リアリズムとして、広く受容されることになる。が、スターリンは違った... 1936年、モスクワで、この注目のオペラを体験するも、途中で退席。その二日後、プラウダの紙面には、この作品を徹底的に否定する批判記事が掲載され、ソヴィエトの音楽界を騒然とさせる。自分が付いて行けなかった注目作を叩く、スターリンの見事なる狭量さを伝えるエピソード... 今となっては、独裁者の愚かさを嘲笑すらできるわけだが、当時のショスタコーヴィチにとっては、まさに死を覚悟する事態... そして、ショスタコーヴィチに限らず、多くの人々が反体制のレッテルを貼られ、シベリア送りになるかもしれないという異様な緊張感の中に在ったのが、1930年代後半のソヴィエト社会だった。
『ムツェンスク郡のマクベス夫人』は、19世紀、ロシアでの実話を基にした小説を原作とし、帝政時代の因習に塗れた家父長制の中で、主人公、カテリーナが、閉塞感にもがき苦しみながら、わずかな愛の温もりにすがり、転落してゆく様を生々しく捉える。となると、これはソヴィエト版のヴェリズモ・オペラか?いや、より鋭くドラマに迫ったショスタコーヴィチ... そのリアルを描き出す力には慄きすら覚える。20世紀、モダニズムが席巻する中で、そういう形に囚われることなく、それまでの音楽を節操無く取り込み、巧みに場面に当てはめ、息衝くリアルを紡ぎ出す。間違いなく、このオペラこそ、社会主義リアリズムだった。が、それを完膚なきまでに否定したスターリン... 以後、「社会主義リアリズム」は、検閲のお題目に成り下がるわけだが、若きショスタコーヴィチが、その若い感性を以って切り出した『ムツェンスク郡のマクベス夫人』というオペラは、イズムを越えた存在感を見せ、未だに鬼気迫るインパクトを聴き手にもたらす。間違いなく、20世紀オペラの傑作のひとつ...
そんなオペラを、鮮やかに繰り広げるチョン・ミュンフン!このマエストロならではの熱気と、緊張感と、スリリングさが、カテリーナの転落を、疾走感を以って一気に描き上げる!その演奏に触れていると、何だか、吸い込まれそう... オペラ座管もすばらしく、フランスならではのクリアなサウンドが、若き作曲家の才気を克明に捉えて、息を呑む。そこに、人間臭さを放つキャストたち... カテリーナの脇の甘さを、艶っぽく、絶妙に歌うマルフィターノ(ソプラノ)を筆頭に、見事!圧倒される。

Dmitri Shostakovich
Lady Macbeth of Mtsensk
Myung-Whun Chung


ショスタコーヴィチ : オペラ 『ムツェンスク郡のマクベス夫人』 Op.29

ボリス・チモフェーヴィッチ・イズマイロフ : オーゲ・ハウグランド(バス)
ジノーヴィー・ボリソアヴィッチ・イズマイロフ : フィリップ・ラングリッジ(テノール)
カテリーナ・リヴォーヴナ・イズマイロヴァ : キャサリン・マルフィターノ(ソプラノ)
セルゲイ : セルゲイ・ラーリン(テノール)
アクシーニャ : クリスティーネ・チーシンスキ(ソプラノ)
ボロを着た農民 : ハインツ・ツェドニク(テノール)
番頭 : ジャン・ピエール・マザロウボウ(バリトン)
玄関番 : ギヨーム・ペティト(バス)
第1の手代 : ジャン・クロード・コスタ(テノール)
第2の手代 : ジャン・サヴィニョル(テノール)
第3の手代 : ホセ・オチャガビア(テノール)
製粉所の使用人 : グリゴリー・グリツィウク(バリトン)
馭者 : アラン・ウッドロウ(テノール)
司祭 : ロムアルド・テサロヴィッツ(バス)
署長 : アナトーリー・コチェルガ(バス)
警官 : フィリップ・デュミニー(バス)
教師 : イリヤ・レヴィンスキー(テノール)
酔った客 : マリオ・アニェッティ(テノール)
下士官 : カルロス・アルバレス(バス)
番兵 : ヨハン・ティリ(バス)
ソニェートカ : エレナ・ザレンバ(メッゾ・ソプラノ)
老囚 : クルト・モル(バス)
女囚 : マーガレット・ジェイン・レイ(ソプラノ)
バスティーユ歌劇場合唱団

チョン・ミュンフン/バスティーユ歌劇場管弦楽団

Deutsche Grammophon/437 511-2




ショスタコーヴィチを守った清冽なる名曲... 交響曲 第5番 ニ短調 Op.47。

4784214
1936年のプラウダ批判は、ショスタコーヴィチを窮地に追い込んだのみならず、ソヴィエトの楽壇に大きな混乱をもたらした。それまで、ソヴィエトにおける音楽芸術の希望の星として賞賛を集めた若き作曲家が、突如、修正主義のレッテルを貼られ、糾弾される。そもそも『ムツェンスク郡のマクベス夫人』が、富農を糾弾するプロパガンダを担っていたはずなのに... 何が正しくて、何が正しくないのか、基準はもはやわからない。いや、何が独裁者を怒らせ、何が独裁者を喜ばせるのか... スターリンの大粛清の最中、カテリーナのようにシベリアに送られ、消された芸術家たちは多くいた。そういう恐怖の中、完成されたのが、4番の交響曲。『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の成功を駆って、独特の熱狂を籠めた力作は、作曲家の自主検閲によりお蔵入りに... そうして、改めて書かれたのが、ここで聴く5番(track.5-8)の交響曲。現在、ショスタコーヴィチの代表作とされる音楽が、こういう厳しい状況下で生まれたことは、実に興味深い。必死に体制の基準を探り、その御眼鏡に適う感動を紡ぎ出すという、命を掛けた作曲... それは安易にプロパガンダとも言えず、ショスタコーヴィチのサヴァイヴァルの記録であり、「社会主義リアリズム」という検閲下だからこそ研ぎ澄まされる音楽でもあったように感じる。
いや、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』を聴いて、このお馴染みの交響曲を聴くと、その清冽さに驚かされる。ショスタコーヴィチが如何に古典に還らねばならなかったか、『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の比にはならないほどシンプルな5番を聴くと、何だか切なくなってしまう。それは、ブラームスよりも前の、ベートーヴェンに近付くようなストイックさを見せて... しかし、古典主義を思わせるほど整理されたサウンドは、研ぎ澄まされて、独特の訴求力を持ち始める。ショスタコーヴィチならではの仄暗さの中で、古典美が復興される魔法... 今、改めてこの交響曲に触れてみると、その古典的な様に強く惹き付けられる。皮肉なのは、これほどに訴え掛ける力がありながら、古典派の交響曲に近付いたことで、音楽の抽象性は高まり、安っぽい体制のメッセージを乗せることのできないプロパガンダとなったこと。だからこそ人々は共感し、1937年の初演は熱狂的に迎えられ、その熱狂で以って、プラウダの論評が出る前に、徹底して体制を牽制し、作曲家を守った。そうして、スターリンの死後も、ソヴィエトが瓦解し後も、輝かしくあり続ける5番。まったく希有な作品だと思う。凄い音楽だ。
で、リチャード・パワーズ推薦盤、ハイティンク、ロイヤル・コンセルトヘボウ管の演奏で聴くのだけれど... ウーン、著者の狙いが伝わって来る、ストイックで、誤魔化しの無い、真っ直ぐな名演!だからこそ、ショスタコーヴィチの相克が浮かび上がり、聴く者を射抜くような清冽さが響く。そして、その清冽さが、15曲あるどの交響曲よりも、5番を際立たせるのか... そういう5番の姿を、どこか淡々と提示して来るハイティンクに、今さらながら脱帽。小説と相俟って、この名曲の見方が変わる!

SHOSTAKOVICH: SYMPHONIES NOS.1 & 5
LONDON PHILHARMONIC ORCHESTRA / CONCERTGEBOUW ORCHESTRA OF AMSTERDAM / HAITINK


ショスタコーヴィチ : 交響曲 第1番 へ短調 Op.10 *
ショスタコーヴィチ : 交響曲 第5番 ニ短調 Op.47 *

ベルナルド・ハイティンク(指揮)
ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団 *
ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 *

DECCA/478 4214



参考資料。




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。