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私たちは苦しみと喜びとのなかを 手に手を携えて歩んできた [before 2005]

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"私たちは苦しみと喜びとのなかを 手に手を携えて歩んできた"
2011年、あの日から5年が過ぎました。何かレクイエムでも... と思ったのだけれど、もうレクイエムでもないかなと、リヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌を取り上げることに... その中から、「夕映えの中で」の冒頭を上に書き出してみた。で、ふと思うのですよ、あの日からの5年の歩みを... まだまだ復興には遠くあるものの、多くを失っただろう被災された方々は、それでも、一歩、一歩、歩んで来られて今日がある。そして、日本という国そのものも、またそうであって... あの日の寒々しい空、緊張した街の空気を思い起こすと、日本は、随分とがんばって来たように感じる。もちろん、ダメな部分も多々あって、正直、ゲンナリさせられる日も多いわけだけれど... それでも、今がある。追悼とともに、そんながんばりをねぎらうことがあっても良いように感じるのです。そして、そのがんばりを、あの日、帰って来られなかった人たちに、今、伝えたい...
という思いを籠め、改めて明日への希望を託し、ルチア・ポップ(ソプラノ)が歌う、リヒャルト・シュトラウスの4つの最後の歌... さらに、エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ)、カリタ・マッティラ(ソプラノ)も歌う、実に豪華な、マイケル・ティルソン・トーマスが率いていたロンドン交響楽団による、リヒャルト・シュトラウスの歌曲集(SONY CLASSICAL/SK 48242)を聴く。

1918年、第1次大戦、ドイツ敗戦の年に書かれたブレンターノ歌曲集(track.1-6)と、1948年、第2次大戦後、ドイツ敗戦による混乱の中、作曲された、リヒャルト・シュトラウスの最後の作品、4つの最後の歌(track.12-15)。この2つの歌曲集の間に、作曲家がまだ若かった頃の歌曲を5曲ほど取り上げて、リヒャルトらしい美しく麗しいサウンドで包むマイケル・ティルソン・トーマス(以後、MTT... )。いや、このマエストロならではのブルーミンなサウンドが、この上なくリヒャルトの美点を引き出し、酔わずにいられない。それはもう、逃避的なくらいに芳しい!が、19世紀末から破綻を予感させていたマーラー、破綻の先に異様な美しさを創り出したベルク、捕虜収容所で作曲したメシアン、暴力的な抽象を広島の衝撃に重ね合わせたペンデレツキ、そういう生々しい20世紀音楽を聴いて来てのリヒャルトのサウンドというのは、本当に彼らと同じ時代を生きたのか?と、耳を疑う。近代音楽の革新からは離れ、遠い過去への郷愁の中、美のみを追い求めたリヒャルトの態度は、正しかったのだろうか?20世紀という、困難な時代を振り返ると、大いに疑問を抱かずにはいられない。のだが...
近代戦によるそれまで経験したことの無い破壊、体制の崩壊による社会の不安定化、そういう逃れることのできないリアルに、音楽もまた破壊的な革新へと突き進んだ20世紀。19世紀の豊潤な世界(そこには偽善や禍々しさも多分に含まれていただろうけれど... )で育ち、学んだリヒャルトにとって、次々と迫り来る20世紀の現実は、ストレスに違いなかったはず... リヒャルトの最初の歌曲、18歳の時に作曲された「献呈」(track.7)に始まり、『ばらの騎士』(1911)以前の5つの歌曲がマティッラにより歌われるのだけれど、その真っ直ぐなサウンドに触れ、ブレンターノ歌曲集(track.1-6)を聴くと、20世紀が深まる中、リヒャルトの音楽は焦点を失い、宙を漂うようで、その浮世離れした感覚が興味深い。グルベローヴァの本領が発揮される、キラキラとしたコロラトゥーラに飾られた第5曲、「アモール」(track.5)などは、特に!どこか上の空で、小鳥がさえずるように無邪気に飛び回る旋律の、曇りの無い朗らかさには、リヒャルトの純真さを見出すよう。ワーグナーの押しの強さ、ウィーンの仄暗さとは違う、リヒャルトを育んだバイエルンの純朴さと、それを取り巻く20世紀の過酷さに向き合えなかったナイーヴさ... 自信に満ち、雄弁だった交響詩、無調へと踏み込もうとした『エレクトラ』(1909)の挑戦を考えると、それ以後のリヒャルトの音楽は、どこか地に足が着いていないような... いや、そうしたところから、他に類を見ないほどの圧倒的な香気を放ちもするのだけれど、地に足が着かない心許無さに、何とも言えないセンチメンタルを掻き立てられて... リヒャルトの美しさを、改めて、20世紀というフレームから捉え直すと、様々な感情が溢れ出す。その香気とセンチメンタルには、20世紀の遣る瀬無さが、鮮やかに映し出されているのかもしれない。
そして、それらが昇華され、達観した境地に至った、リヒャルトの最後の作品、4つの最後の歌(track.12-15)。第2次大戦の痛みが複雑にリヒャルトの中で反響し、そうして老巨匠が紡ぎ出した音楽は、やはり美しい。もはや、美しく在らねば、立ってすらいられないような、そんな美しさ... 薄暗い中、花々が目覚めるような「春」(track.12)、穏やかに過ごす午後、庭の奥から虫の音が聴こえて来そうな「9月」(track.13)、星々の煌めき見上げながら、一日の余韻に浸るような「眠りにつくとき」(track.14)、そして、「夕映えの中で」(track.15)、全てが黄金色に包まれながら、次第に夕闇が覆う... その穏やかにして儚げな佇まいに深く感動し、何より、美しさに癒される。そんな美しさを遺して、リヒャルトは、1949年、85歳で、この世を去る。
はぁ~ 思わず溜息が出てしまう、MTT、ロンドン響による演奏。MTTらしく、スコアを明晰に捉え、一音、一音をキラキラと輝かせながら、その輝きをたおやかに流してゆく絶妙さ... このマエストロならではの風合いが、リヒャルトのサウンドをより花やいだものとし、ロンドン響もそんなMTTにしっかりと応える。そこに、新旧のプリマたちによるリレーの見事さ!繊細なクルベローヴァから、凛としたマッティラ、そして、トリを務めるポップの懐の深さ。この1枚のアルバムには、リヒャルトの人生が凝縮されているようで、ただ美しさに酔わされるだけではない重みがある。美しさが生む重み... 20世紀のリアルに向き合えなかったリヒャルトを、ありのまま奏でることで深い感慨に導くMTT、改めて、その力量に、脱帽。

STRAUSS: ORCHESTRAL SONGS
POP ・ GRUBEROVA ・ MATTILA ・ LSO ・ MICHAEL TILSON THOMAS


リヒャルト・シュトラウス : ブレンターノの詩による6つの歌 Op.68 *
リヒャルト・シュトラウス : 献身 Op.10-1 *
リヒャルト・シュトラウス : 母親の自慢話 Op.43-2 *
リヒャルト・シュトラウス : わが子に Op.37-3 *
リヒャルト・シュトラウス : 東方から訪れた三博士 Op.56-6 *
リヒャルト・シュトラウス : 春の饗宴 Op.56-5 *
リヒャルト・シュトラウス : 4つの最後の歌 *

エディタ・グルベローヴァ(ソプラノ) *
カリタ・マッティラ(ソプラノ) *
ルチア・ポップ(ソプラノ) *
マイケル・ティルソン・トーマス/ロンドン交響楽団

SONY CLASSICAL/SK 48242




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