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1755年、四旬節、ベルリン、王立歌劇場に溢れるギャラント! [before 2005]

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18世紀、ウィーンの四旬節、ナポリの四旬節を巡って、ベルリンの四旬節へ...
の前に、ちょっと振り返ってみるのだけれど、1730年、ウィーンのカルダーラによる受難オラトリオは、ハプスブルク家の宮廷の品位を感じさせながら、そこはかとなしにドラマティックであったのが印象的。1744年、ナポリのレオによる四旬節のための音楽は、より四旬節の制約を感じさせるストイックなサウンドを響かせながらも、オペラの都なればこその「声」へのこだわりが印象的。ウィーンと、ナポリと、四旬節への向き合い方に、それぞれの個性やスタンスが反映されていて、とても興味深かった。また、四旬節という音楽的制限が掛けられていたからこそ、より音楽がクローズ・アップされるところもあるようで、だからこそ際立つ個性もあって、おもしろいなと... そうして、次に向かうのは、1755年、ベルリンの四旬節。また、そこに、個性を見出す。
ということで、シギスヴァルト・クイケン率いる、ラ・プティット・バンドの演奏、エクス・テンポレの合唱で、フリードリヒ大王の楽長、ベルリン国立歌劇場の初代音楽監督、カール・ハインリヒ・グラウンの受難カンタータ『イエスの死』(hyperion/CDA 67446)を聴く。

カール・ハインリヒ・グラウン(1704-59)。
1704年、ドイツ東部、ヴァーレンブリュックで、役人をしていた父の下に生まれたグラウン。2人の兄も音楽の道へ進み、ひとつ違いの兄、ヨハン・ゴットリープ(1703-71)とは、ドレスデンの十字架教会付属学校に一緒に入学(1714)、当時、ドイツ語圏で最も豪奢な音楽都市となっていたドレスデンで、兄はヴァイオリンを、カール・ハインリヒは歌を極めて行く(作曲、鍵盤楽器の演奏も学び、後の作曲家としての準備もなされていた... )。ということで、歌手として活躍したカール・ハインリヒ、1725年に、ドイツ語オペラの上演において存在感を示していたブラウンシュヴァイクのオペラハウス(1690年に開設された公開のオペラハウス... )のテノール歌手に。そこでは、単に歌うばかりでなく、作曲家としての才能も発揮、間もなくブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル候の副楽長に就任。そうした中、次期、ブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル候の長女が、プロイセンの王太子、後のフリードリヒ大王(在位 : 1740-86)に嫁ぐことになり、その婚礼(1733)のオペラを手掛けたことで、フリードリヒ大王とのつながりを持つ(兄、ヨハン・ゴットリープは、すでにフリードリヒ大王に仕えていた... )。1735年、新たなブラウンシュヴァイク・ヴォルフェンビュッテル候が位に就くと、ブラウンシュヴァイクの楽団は縮小され、これを機に、カール・ハインリヒは、フリードリヒ大王の宮廷、ラインスベルクへと移り、楽長に就任。1740年、フリードリヒ大王がプロイセン王に即位すると、王室の楽長として、ベルリンを拠点に活躍。自らその開設に奔走し、その初代音楽監督を務めた王立歌劇場(現ベルリン国立歌劇場)を率い、名立たる音楽家たちを擁するフリードリヒ大王の宮廷楽団を取り仕切り、音楽通の主君の好みに沿いながら、それまで不毛(フリードリヒ大王の父、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世、兵隊王は、芸術よりも軍拡!)だったベルリンの音楽シーンを再生して行った。
さて、ここで聴く、受難カンタータ『イエスの死』は、1755年の四旬節、王立歌劇場で演奏された作品。フリードリヒ大王とカール・ハインリヒによる音楽の取り組みが、軌道に乗った頃になるのか、思いの外、充実した音楽が繰り広げられる。で、その始まりは、バッハのマタイ受難曲で何度も聴こえて来る受難コラール、あの物悲しいメロディーで幕を開け、この作品が受難カンタータであることを、まず強く印象付けるのだが、その後で、ソプラノが歌うアリア(track.4)は、ヘンデルを思わせて花やか!いや、最初のアリアに限らず、あちこちからヘンデルのオラトリオを思わせるトーンが聴こえ、なかなか興味深い。さらには、ハッセのオペラのようなメローさがありつつ、ラモーのオペラ・バレのようなやさしさも感じられ、作品全体が、ふんわりとしたやわらかさを纏って、本当に受難カンタータなのか?とすら感じてしまう。しかし、これこそが、フリードリヒ大王が好んだギャラントなのだなと。ロンドンの巨匠、ナポリ楽派、フランスのロココと、当時のモード、お洒落なサウンドを巧みに撚り合わせて、美しい音楽を紡ぎ出す。グラウンの絶妙なバランス感覚が、何とも言えず耳に心地良いサウンドを実現している。
そんなインターナショナルが生むギャラントの一方で、どこかバッハを思わせる温もりが、そこはかとなしに広がるようで、グラウンの音楽が持つ、ドイツのローカル性も見出せるのか。バッハとも縁の深かったフリードリヒ大王の宮廷だけに、骨太の対位法などが繰り出されるコーラスなどが聴こえて来ると、ドイツ音楽の厚みに感じ入ったり... で、そうしたドイツ性が際立って来ると、ぼんやりとメンデルスゾーンのオラトリオが見えて来るようなところもあり、様々な要素がミックスされて、思い掛けない未来が表れる。単に耳に心地良いばかりでない、先進性も聴き取れて、おもしろい。で、この『イエスの死』、広く人気を集め、四旬節の定番として、その後、一世紀の間、演奏され続けたとのことだが、グラウンの先進性が、その長い人気を実現し得たのかも?
という作品を蘇らせた、シギスヴァルト・クイケン+ラ・プティット・バンド。彼ららしい、実直な演奏が、グラウンの美しさ、おもしろさを、楚々と引き出していて、何とも素敵。フリードリヒ大王の時代のギャラントも、下手にキラキラさせず、いい具合にローカルな仕上がりで... だからこそ、グラウンのバッハに通じる温もりがすくい上げられるのか。その温もりがあってこそ、ふんわりとやわらかなグラウンのギャラントが活きて来る。そして、華麗でありながら、素朴な味わいも漂わせる歌手陣の素直な歌声。受難カンタータらしいコラールなどで、しっかりと荘重さを聴かせるエクス・テンポレの合唱もあり、かつての人気作は、今も十分に魅力的。何より、フリードリヒ大王のベルリンの雰囲気を活き活きと伝えてくれる。

GRAUN DER TOD JESU
SOLOISTS ・ LA PETITE BANDE ・ EX TEMPORE ・ SIGISWALD KUIJKEN


カール・ハインリヒ・グラウン : 受難カンタータ 『イエスの死』

ウタ・シュワベ(ソプラノ)
インゲヴァン・デ・ケルクハヴェ(ソプラノ)
クリストフ・ゲンツ(テノール)
シュテファン・ゲンツ(バリトン)
エクス・テンポレ(コーラス)
シギスヴァルト・クイケン/ラ・プティット・バンド

hyperion/CDA 67446




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