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1744年、四旬節、ナポリ、王室礼拝堂に響く、艶やかなる声。 [before 2005]

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四旬節は、復活祭の前、46日間。一ヶ月半と考えると、何だか随分と長いような気がして来るのだけれど、ハイドンの熱い「受難」交響曲、ユニヴァーサルな『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』、カルダーラのじっくりとドラマを聴かせる受難オラトリオなどを聴いてしまうと、一ヶ月半なんてあっと言う間かもしれない?なんて思えて来る。それほど、四旬節のための音楽は充実しているし、何より、数が多い!一年、365日から見つめたならば、その内の46日間のために、多くの作品が書かれていたことに驚かされてしまう。節制し、悔い改める期間... ということで、音楽にも規制が掛かる期間だったはずなのに... そうした期間に入っても、宗教的なテーマにシフトさせることで、間断無く音楽が流れていた状況に、かつての人々にとって、どれだけ音楽が重要だったかを思い知らされもする。で、そういうところから、「今」を見つめると、どうなのだろう?と、考えさせられもする。
さて、前回、聴いた、ウィーンの宮廷の四旬節から、ナポリの教会の四旬節へ... クリストフ・ルセ率いる、レ・タラン・リリクの演奏、サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)らの歌で、ナポリ楽派の黄金期を彩った作曲家のひとり、レオによる、1744年の四旬節のための作品を集めた1枚、ナポリの王室礼拝堂のための音楽集、"MISERERE"(DECCA/460 020-2)を聴く。

レオナルド・レオ(1694-1744)。
イタリア半島、ブーツの形の踵にある、サン・ヴィート・デリ・スキアーヴィという小さな町で生まれたレオ。1709年に、ナポリのサンタ・マリア・デラ・ピエタ・デイ・トゥルキニ音楽院(ナポリの四大音楽院のひとつで、多くのナポリ楽派の巨匠を輩出した名門!)に入学。在学中からその才能が注目されていたようで、1713年に卒業すると間もなく、総督(当時のナポリ王国は、オーストリアの支配下にあって、ウィーンから派遣された総督が政治を担っていた... )の礼拝堂の臨時オルガニストとなり、翌年には最初のオペラを上演。ナポリを拠点に新進気鋭の作曲家として、順調なキャリアを歩み始める。そして、1725年、ナポリ楽派、最初の巨匠、アレッサンドロ・スカルラッティがこの世を去ると、その後任として、総督の礼拝堂の第1オルガニストに。が、オペラでは、ヴィンチ(1690-1730)、ハッセ(1699-1783)ら、ライヴァルたちに押され、思うように仕事ができなくなる。それだけ、ナポリには、才能ある人たちが犇めいていたわけだ。とは言うものの、オペラの仕事をまったくしていなかったわけでなく、ローマやヴェネツィアでオペラを上演。ナポリというひとつの街で抱え切れなくなったナポリ楽派の才能は、ヨーロッパ中を席巻し始めることに... そうした中、ドイツ出身のハッセが帰国、さらに、ヴィンチが40歳という若さで謎の死(1730)を遂げると、レオはナポリの楽壇の中心的人物となり、1737年に、王室礼拝堂の副楽長に、1744年には楽長に昇格し、ナポリの楽壇の頂点に君臨!するのも束の間、その年にレオはこの世を去る。
さて、ここで聴く"MISERERE"は、とうとう楽長となったレオが、王室礼拝堂の四旬節のために書いた音楽を収録。つまり、1744年の四旬節、46日間を、器用に掻い摘んで、ナポリの王室礼拝堂に響いた音楽を再現する。その始まりは、灰の水曜日のミサのためのイントロイトゥス、グラドゥアーレ、トラクトゥスの詩句、「主よ、御身はすべてのものをあわれみたまえ」(track.1-3)。四旬節の最初の日にあたる灰の水曜日に響く音楽は、どこか寂しげで、厳粛で、節制し、悔い改める... という四旬節の重みが、じんわりと沁みて来るよう。そこから一週間半が過ぎた、四旬節第2主日のミサのためのイントロイトゥス、グラドゥアーレ、コンムニオ、「主よ、御身のあわれみと慈悲を思い起こしたまえ」(track4-6)では、王室礼拝堂の荘厳さに包まれるような、充実した教会音楽が繰り広げられ... そこからの、ピオーが歌うサルヴェ・レジーナ(track.7-11)の花やかさたるや!これは、四旬節のための音楽ではないのだけれど、ルセによるボーナス・トラックといったところか?それにしても、バロックの厳めしさを脱した、ナポリ楽派ならではの流麗さに彩られ、そのあまりに魅惑的な音楽にノック・アウト!2曲目(track.8)などは、完全にオペラのアリアのようで、四旬節など忘れて聴き入ってしまう。いや、この美しさは、もはや、神憑り... ピオーのクラッシーな歌声がふわーっと広がり、その瑞々しい伸びやかさは、ちょっと他に替え難い...
で、再び、四旬節へ。その山場、聖週間が始まる、受難の主日のミサのためのイントロイトゥス、グラドゥアーレ、コンムニオ、「神よ、われを捌き」(track.12-14)が続くのだけれど、一気に時代が引き戻されるような、ポリフォニックな音楽が展開され、まったく以って、古雅。なのだけれど、5声が綾なすアンサンブルの、何とも言えない艶めかしさには息を呑む瞬間も... そうしたあたりに、ナポリ楽派の声への鋭い感性を感じずにいられない。最後は、聖金曜日のテネブレ、エレミアの哀歌(track.15-17)。イエスの受難の日ということで、そこはかとなしにドラマティック?特に、サマースのド迫力のアルトが切々と歌う第2レクツィオ(track.16)は、ちょっと、シェーナのような面持ちもあって、印象的。続く、ピオーが歌う第3レクツィオ(track.17)は、それひとつがカンタータのよう... 楚々としながら、静かに雄弁で、ナポリ楽派の先進性よりも、古き良きバロックの佇まいが表れ、それまでになく味わい深い。そうしたあたりに、レオの最期の年の境地も表れているのかもしれない。
という、かなりマニアックな音楽を聴かせてくれた、ルセ+レ・タラン・リリク。レオが綴った一音一音をしっかりと捕まえて、丁寧に鳴らし、ナポリの四旬節、レオの最期の年を、思いの外、懐深く響かせる。小さな編成のアンサンブルと、声による音楽は、ナポリ楽派の華麗なオペラからすると、随分とストイックで、地味にすら感じられるのだけれど、グっと絞られたサウンドから、豊かなドラマを引き出していて、華麗に飾られたのではない、生身のナポリ楽派を露わにするようで、興味深い。そして、教会音楽ではあっても、独特の艶っぽさを乗せて、オペラのナポリ楽派の魅力を絶妙に喚起させる歌手たち!四旬節の仄暗さに、より人間らしい感情を浮かび上がらせるような、不思議なオーガニックさを放つ歌声は、ピオーを筆頭に、とても印象深い。そうして見えて来る、18世紀を代表する音楽都市、ナポリの魅惑... 惹き込まれる...

LEONARDO LEO: MISERERE
CHRISTOPHE ROUSSET ・ LES TALENS LYRIQUES


レオ : 「主よ、御身はすべてのものをあわれみたまえ」
レオ : 「主よ、御身のあわれみと慈悲を思い起こしたまえ」
レオ : サルヴェ・レジーナ
レオ : 「神よ、われを捌き」
レオ : エレミアの哀歌

サンドリーヌ・ピオー(ソプラノ)
アン・リーゼ・ソリード(ソプラノ)
ヒラリー・サマース(アルト)
ジャン・フランソワ・ノヴェッリ(テノール)
ルノー・ドレーグ(バス)
クリストフ・ルセ/レ・タラン・リリク

DECCA/460 020-2




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