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メタスタージオ+カルダーラ、メイド・イン・ウィーンの上質... [before 2005]

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ピエトロ・メタスタージオ(1698-1782)。
18世紀のオペラで、欠かせない台本作家... なのだけれど、「欠かせない」ということ以上について、あまりよく知らないかも?ということで、さっくりと調べてみた。で、なかなか興味深かった!ローマの食料雑貨店の子として生まれたメタスタージオの本名は、アントニオ・トラパッシ。幼い頃から詩才を発揮、アッカデミア・デッリ・アルカディ(クリスティーナ女王が創設した文学アカデミー、アレッサンドロ・スカルラッティや、コレッリらも参加していた... )の理事で、古典研究者にして法学者のグラヴィーナに見出され(少年、メタスタージオは、凄くかわいらしかったらしい... )、その下で、詩や古典の教養を身に付け、法学まで学ぶ。ちなみに、「メタスタージオ」という名前は、グラヴィーナが付けたギリシア風のペンネームとのこと... そんなメタスタージオは、若くして注目されていたものの、ナポリで弁護士としても仕事をしており、多忙を極めていたのだが、そこに、当時、大活躍していたプリマドンナ、ラ・ロマニーナこと、ベンティ・ブルガレッリが支援を申し出て(青年、メタスタージオは、かなりハンサムだったらしい... )、台本作家として専念することを決断。早速、著名な作曲家たちのオペラ台本を手掛け、評判を取るようになる。すると、ウィーンから声が掛かり、1729年、宮廷詩人としてウィーンへと旅立つ。
というメタスタージオが、1730年、ウィーンでの最初の四旬節のために書いた台本による作品... ファビオ・ビオンディ率いる、エウローパ・ガランテの演奏で、カルダーラのオラトリオ『我らが主イエス・キリストの受難』(Virgin CLASSICS/5 45325 2)を聴く。

先日、聴いた、サリエリの『我らが主イエス・キリストの受難』(1777)と、同じ台本... というより、この台本は、カルダーラのために書かれた台本であって、ここで聴く、カルダーラの『我らが主イエス・キリストの受難』こそが始まりとなる。でもって、凄いのが、サリエリのみならず、サッロ(1737)、ヨンメッリ(1749)、ナウマン(1767)、ミスリヴェチェク(1773)も、この台本に作曲していること... そう、メタスタージオが「欠かせない」のは、こういうところで露わになる。で、こういう作品が、もの凄い数あるわけでして... 18世紀の作曲家で、メタスタージオの台本で作曲していない作曲家なんているのだろうか?あっ!バッハがいた... いや、バッハは、18世紀において、極めてイレギュラーな存在なので、置いとくとして、とにかく、18世紀のオペラ(ここで聴くのはオラトリオだけど... )で、最も人気を集めたのは、メタスタージオなのかもしれない。やっぱり、欠かせない、わけだ。
という、メタスタージオが台本を書いた、ウィーンの宮廷での四旬節のための受難オラトリオ、ヴェネツィア楽派出身の副楽長、カルダーラが作曲した『我らが主イエス・キリストの受難』。何だろう?この作曲家のために書かれた台本というだけに、言葉と音楽の結び付きが、より緊密に感じられて... サリエリも良かったけれど、カルダーラの方が、地に足の着いたドラマが展開されるのか、印象的。もちろん、古典主義の時代のサリエリから半世紀弱を遡る作品だけに、バロックならではの厳めしさがあり、音楽の自由度は後のサリエリに比べて制限されるのだけれど、受難オラトリオには、これくらいの方が、映える!それでいて、ヴェネツィア楽派だけに、絶妙にオペラティックなトーンも引き入れていて... やはり、オペラ禁止の四旬節の耳寂しさを埋める作品だけに、皇帝一家に相応の楽しみをもたらしていたのだろう、そこはかとなしにドラマティック... このあたりが、絶妙!
まず、荘重にして劇的な序奏から惹き込まれる... そこから、ペテロによるドラマティックなレチタティーヴォ(track.2)が続くのだけれど、このドラマティックさの背景には、台本における改革者であったメタスタージオの力もあったわけで、なかなか興味深い。よって、カルダーラの『我らが主イエス・キリストの受難』は、アリアばかりが聴き所ではなく、隅々まで求心力を持っていることに、驚かされる。もちろん、アリアも魅力的... マグダラのマリアのアリア「私はこの悲しみをあなたに話したい」(track.7)の、悲しみのあまり、足元すら覚束ないような表情の浮遊感、ヨセフのアリア「荒れ騒ぐ暗い海も」(track.9)の、慟哭を嵐に重ねる荒ぶる音楽、悲しみと怒りが綯い交ぜとなったマグダラのマリアのアリア「その涙にできたでしょうに」(track.13)の、仄暗さの中に発せられる鮮やかなコロラトゥーラ!ヴィヴァルディのようなインパクト、ナポリ楽派のような華麗さこそ無いものの、じっくりとシーンを歌い上げる確かさに感服。そこには、ヴェネツィア楽派が築いて来た、バロックにおける当代随一のクウォリティをそこはかとなしに感じ、そのあたりがまた、古典へ帰ろうとしたメタスタージオのセンスにも共鳴して、深みを増す。一方で、ヴィヴァルディを思わせる瑞々しさも端々から聴こえて来て... ヴィヴァルディと同世代にして同郷のカルダーラのサウンドというものに、ヴェネツィアン・サウンドを見出せたようで、興味深い。
という作品を取り上げた、ビオンディ+エウローパ・ガランテ。バロック・ロックなヴィヴァルディで鳴らした彼らだが、カルダーラでは、一歩一歩、踏みしめるように奏で... 鬼才、ヴィヴァルディとはまた違う、ヴェネツィアの主流としてのカルダーラの手堅さを巧みに響かせる。その手堅さには、彼らならではの鮮烈も覗かせ、けして派手ではないのだけれど、独特の迫力を生み出す。で、忘れてならないのが歌手たち!コロラトゥーラに彩られて、どこか危うげな雰囲気も放つマグダラのマリアを歌うプティボンの、情感豊かな歌声は魅惑的ですらあって... ヨセフを歌うフォレスティの、バスの低音から温かみ汲む歌声... ペテロを歌うポルヴェレッリの、コントラルトならではの深みのある歌声にも魅了される。そうして織り成される受難オラトリオは、静かな悲しみに包まれながらも、独特の生々しさが生まれ、聴けば聴くほど魅了される。

CALDARA: LA PASSIONE DI GESÙ CRISTO SIGNOR NOSTRO
FABIO BIONDI . EUROPA GALANTE

カルダーラ : オラトリオ 『我らが主イエス・キリストの受難』

マッダレーナ : パトリシア・プティボン(ソプラノ)
ジョヴァンニ : フランチェスカ・ペダーチ(ソプラノ)
ピエトロ : ラウラ・ポルヴェレッリ(コントラルト)
ジュゼッペ・ダリマテア : セルジオ・フォレスティ(バス)
アテスティス合唱団
ファビオ・ビオンディ/エウローパ・ガランテ

Virgin CLASSICS/5 45325 2




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