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それは、まるで、オペラ... サリエリの受難オラトリオ。 [before 2005]

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えーっと、四旬節。ということで、それ対応の音楽を聴いてみようかな月間を試み中。つまりは、クラシックにおける宗教的な作品(典礼のための音楽ではなくて、今回は"受難"にスポットを当てております... で、そういう制約のあった18世紀を見つめております... )をいろいろ聴いてみようということなのだけれど、いやー、思いの外、楽しい!四旬節というのは、節制し、悔い改める期間。華美な音楽は控えますように... のはずだけれど、華美でないのは題材だけ、音楽としては十分に魅力的というのが、おもしろい。そもそも、キリストという存在がドラマティックなのかもしれない。それを音楽とすれば、十分に楽しめてしまう?四旬節というのは、節制し、悔い改めつつも、音楽面からすると、また違った楽しみに出会える、興味深い期間と言えるのかもしれない。
ということで、ハイドンの「受難」交響曲『十字架上のキリストの最後の七つの言葉』に続いての、サリエリが描き出す"受難"(四旬節のための作品ではないのだけれど... )。クリストフ・シュペリング率いる、ダス・ノイエ・オーケスターの演奏、コルス・ムジクス・ケルンのコーラスで、サリエリのオラトリオ『我らが主イエス・キリストの受難』(CAPRICCIO/60 100)を聴く。

アントニオ・サリエリ(1750-1825)。
モーツァルトの敵役?どうなんだろう?振り返ってみると、あまりよく知らない... ということで、その人生を追ってみた。モーツァルトが誕生する6年前、1750年、イタリア、レニャーゴ(当時はヴェネツィア共和国... )の商家に生まれたサリエリは、オルガニストをしていた一番上の兄(タルティーニに師事したとのこと... )から音楽を学び始める。が、間もなく家業は傾き、13歳の時に母を、14歳の時には父を失うという不運に見舞われる。しかし、その才能に注目したヴェネツィアの名門、モチェニーゴ家の庇護を受け、1766年、ヴェネツィアで学ぶ機会を得る。そこからは、次々と幸運が重なり、ヴェネツィアに滞在していたウィーンの宮廷作曲家、ガスマン(1729-74)に見出され、そのアシスタントとしてウィーンへ... ウィーンでは師のみならず、オペラ改革に乗り出した宮廷楽長、グルック(1714-87)、当代随一のオペラ台本作家、宮廷詩人、メタスタージオ(1698-1782)らにかわいがられ、師のオペラ制作の現場で働きながら、後のキャリアの下準備がなされてゆく。そうして、1770年、初めてのオペラ、『女文士たち』がブルク劇場で上演。翌年の『アルミーダ』では、決定的な成功を勝ち得て、一躍、注目の若手作曲家に。1774年、師が亡くなると、24歳の若さで、その宮廷作曲家の地位を受け継ぎ、イタリア・オペラで活躍するのだが、1776年、ウィーンの主、神聖ローマ皇帝、ヨーゼフ2世(在位 : 1765-90)が劇場改革に乗り出し、ドイツ語によるオペラ、ジングシュピールに力を入れるようになると、サリエリは肩身の狭い思いをする。そうした中、1777年に作曲されたのが、ここで聴く、オラトリオ『我らが主イエス・キリストの受難』...
はい、これ、オペラです。古典主義の時代ならではの、華麗で、軽快で、ワクワクさせられる魅力的な序曲に始まって、そのままペテロが歌うレチタティーヴォ・アッコンパニャート(disc.1, track.2, 3)へと導かれ、グルックのオペラ改革を感じさせる濃密なドラマが、のっけから繰り出される。かと思いきや、続くアリア(disc.1, track.4)では、まるでイタリア・オペラを思わせる魅力的な音楽に彩られ、惹き込まれずにいられない!グルックの革新と、イタリア・オペラの華麗さが絶妙に結び付けられ、見事なヴァランス感覚を見せるサリエリのオラトリオ... 何より、一曲、一曲の充実感に驚かされる。全てのアリアが表情に富み、コロラトゥーラなど装飾にも欠くことなく、またそれらをつなぐグルック流のレチタティーヴォが、よりアリアを引き立てていて、しっかりとドラマを盛り立てる。そんな隙の無い音楽を聴けば、下手なオペラよりずっとオペラティックに思えて来るからおもしろい。イタリア・オペラの仕事を失ったサリエリのフラストレーションが、思い掛けなくポジティヴに作用し、見事な音楽ドラマを紡ぎ出すのか、それまでのオペラでの仕事の集大成のような雄弁さすら感じられ、見事。一方で、オラトリオとしての魅力も。それを担うのがコーラス。第1部、イエスの下を去り、イエスなど知らぬと言ったペテロを責める一団が歌う、荘重で劇的なコーラス(disc.1, track.6)、第1部の最後(disc.1, track.19)、壮麗なフーガには、後のハイドンのオラトリオを予感させるものがあり、第2部の最後(disc.2, track.14)、4人のソロとコーラスが美しく綾なした後で、ポリフォニックに展開される重厚な音楽は、どこかベートーヴェンすら予感させ、興味深い。
そんな、サリエリの力作を取り上げた、クリストフ・シュペリング+ダス・ノイエ・オーケスター。サリエリのオペラへの思いの丈を素直に音楽にするクリストフ。このマエストロのドラマティックな志向が、ちょうどいいのかもしれない。とはいえ、下手にダス・ノイエ・オーケスターを煽ったりはしない。というより、サリエリの思いの丈にこそ寄り添って、無理することなくドラマを紡ぎ出すのか。4人のソロ、マグダラのマリア、ヨハネ、ペテロ、ヨセフが、感情豊かに浮かび上がり、"受難"の悲しみよりも、それを受けての人間ドラマ(この作品は受難劇ではなく、キリストの死後、悲しみつつも困惑し、惑う使徒たちの姿を描き出す... )を、思いの外、しっかりと響かせる。もちろん、そこには、4人のソロの手堅いパフォーマンスがあって、サリエリによる華麗なアリアを卒なく歌い上げながらも、ひとつひとつのナンバーにドラマを籠め、聴き応え十分。となると、まさにオペラ... 改めて、オペラ作家、サリエリの存在を印象付ける、そんな演奏にして、歌だった。

ANTONIO SALIERI
LA PASSIONE di Nostro Signore Gesu Cristo

サリエリ : オラトリオ 『我らが主イエス・キリストの受難』

マッダレーナ : メルバ・ラモス(ソプラノ)
ジョヴァンニ : フランツィスカ・ゴットヴァルト(アルト)
ピエトロ : フローリアン・モック(テノール)
ジュゼッペ・ダリマテア : ハンノ・ミュラー・ブラッハマン(バス)
コルス・ムジクス・ケルン
クリストフ・シュペリング/ダス・ノイエ・オーケスター

CAPRICCIO/60 100


さて、『我らが主イエス・キリストの受難』の初演は、大成功する。そして、オラトリオでありながらも、この作品は、オペラ作家、サリエリの名声を高めることとなり、翌、1778年、ミラノ・スカラ座の柿落としを飾るオペラ、『見出されたエウローパ』へとつながり... 『見出されたエウローパ』が、サリエリの国際的なブレイクをもたらし、イタリア、そしてパリでの活躍へと至る。おもしろいのは、そんなサリエリのウィーンの外での活躍を伝え聞いたヨーゼフ2世の態度の変化!ジングシュピール政策は打ち切られ、ウィーンにイタリア・オペラが復活。サリエリのオペラは、ウィーンでも人気を集めることとなる。




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