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クラシック、カーニヴァル!作曲家たちの謝肉祭。 [before 2005]

ところで、「カーニヴァル」って、何だか知ってました?
クラシックも、カーニヴァルを扱った作品はいろいろあるわけで、ぼんやりと認識している気でいたのだけれど、いや、まてよ... 日本語では「謝肉祭」と訳されるけれど、そもそも"謝肉"って何だ?と、今さらながらに頭を抱えてみる。って、まさに根本を理解していなかったカーニヴァル。キリスト教の、禁欲を求められる四旬節(プロテスタントでは、受難節と呼ぶこともあるとのこと... 受難節の方が、イメージは掴み易いかなと... )、肉を断つ前に肉を謝すドンチャン騒ぎ的な祭り。道理で、リオのカーニヴァルは盛大に踊りまくるわけだ... で、まさに、今、そのカーニヴァル期間中!となれば、謝肉祭を聴くしかないぞ、と...
内田光子のピアノで、シューマンの『謝肉祭』(PHLIPS/442 777-2)と、サイトウ・キネン・オーケストラ・チェンバー・プレイヤーズの演奏で、サン・サーンスの『動物の謝肉祭』(PHLIPS/454 592-2)。クラシックにおける二大謝肉祭... 久々に、ド真ん中を聴くわけです。こうなったら、クラシックの謝肉祭やァ!みたいな感じで、改めて、名曲、人気作に向き合ってみる。


シューマンの、若さと恋のカーニヴァル!『謝肉祭』は無邪気な音楽...

4427772.jpg
シューマンというと、どこかメランコリックで、仄暗いイメージがあるのだけれど、その『謝肉祭』(track.9-29)は、何だか凄く派手なイメージがある。これまで、その派手さに中てられるような印象があって、若干、苦手だったかも... という名曲は、シューマン、24歳から25歳に掛けて、同門のピアニスト、エルネスティーネ・フォン・フリッケンとの恋の只中で作曲された作品。若さと恋がスパークすると、こういうサウンドに... でもって、それはもうカーニヴァル!シューマンの音楽性を顧みれば、これは、間違いなくリオのカーニヴァル級に弾けていると言えるのではないだろうか?改めて聴いてみると、そんな風に感じてしまう。一方で、カーニヴァルというものが、キリスト教圏の人々にとって、それだけの解放感をもたらすのだなと、そういう興味も覚える。『謝肉祭』、20曲からなる小品の連なりには、当時のシューマンの日常が少し思わせぶりに、時にナルシスティックに読み込まれていて、シューマンが心酔した小説家、ジャン・パウルの影響もあり、文学的な枠組みから語られもする名曲だけれど、改めて聴いてみると、それ以上に、カーニヴァルの解放感が、この作品には横溢しているように感じる。もちろん、ドイツ・ロマン主義という枠組みの中での解放感、リオのようにサンバを踊るほどブっちゃけはしないのだけれど... いや、当時としては、ロマン主義であること自体が解放を意味していたわけで... まだまだ若い芸術思潮であったロマン主義のパワフルさが、ポジティヴに繰り広げられ、実に無邪気な音楽を響かせているのだと思う。
そんな、若き、恋するシューマンを、そのまま描き出すような内田光子のピアノ!このマエストラならではの瑞々しい視点が、ドイツ・ロマン主義を曇りなく響かせて、その輝きにパワーを持たせてしまう。力強いタッチで生まれるパワーではない、一音一音の輝きから繰り出すパワーは、今、改めて聴いてみるとちょっと不思議。80年代、モーツァルトで一世を風靡した内田光子が、90年代、シューベルト、シューマンへと踏み込んでの、ここで聴く『謝肉祭』には、モーツァルトからやって来たマエストラならではの、ピュアな姿勢が活きているように感じる。さて、『謝肉祭』の前に『クライスレリアーナ』(track.1-8)が取り上げられるのだけれど、20代の終わり、クララとの恋が始まり、その愛が籠められた音楽には、より深い詩情が漂い、シューマンの音楽性を見出す。そして、それを、内田光子の澄んだタッチで捉えると、音楽に内在する"詩"の存在を素直に感じ入ることができるようで... メランコリックで、仄暗さにも、キラキラとした光を感じ、魅了される。

SCHUMANN ・ KREISLERIANA OP.16 ・ CARNAVAL OP.9
MITSUKO UCHIDA


シューマン : 『クライスレリアーナ』 Op.16
シューマン : 『謝肉祭』 Op.9

内田光子(ピアノ)

PHLIPS/442 777-2




サン・サーンスの、仲間内でカーニヴァル!弾ける『動物の謝肉祭』。

4545922
まず、『動物の謝肉祭』(track.8-21)の前に、宮本文昭のオーボエ(宮本センセがまだオーボエを吹いていた頃!)で、モーツァルトのオーボエ四重奏曲(track.1-3)、サイトウ・キネンの弦楽セクションのゴージャス過ぎる面々による、ブラームスの1番の弦楽六重奏曲(track.4-7)が取り上げられていて、このあたりが、すでに、室内楽のカーニヴァルやァ!って感じ... いや、改めて、ヴァラエティに富む室内楽の名作と向き合ってみれば、どうにもこうにも落ち着いてしまう。新年明けまして、あまりにマニアックなクラシックを聴き過ぎてしまったか、「クラシック」に還るって、いいなァ。と、しみじみ感じる、モーツァルトのキラキラ感(宮本センセの奏でるサウンドが、明晰で、もう... )、ブラームスの手堅い密度感(日本の名立たる弦楽奏者たちの自信に溢れたサウンドが6つも束になれば、もう... )。名曲には、名曲たる所以があるなとつくづく思わされる。またそれを、全身全霊で以ってサウンドとして来るサイトウ・キネンの面々の並々ならぬ気合の入り様!クラシックは、まさに、ここで結晶化している。というところから聴く、サン・サーンスの人気作、『動物の謝肉祭』(track.8-21)...
サブ・タイトルに「動物学的大幻想曲」というのがあることを、今回、初めて知りました(って、今さら?)。で、そのヘンテコ感にサティを見てしまう(本年はサティに反応し易いのかも... )。だからだろうか、各所で聴こえて来る、動物の在り様を捉えた珍妙なるサウンドが、よりサティっぽく感じられ、特に、第11曲、ピアニスト(track.18)の、飄々と悪ノリして毒づくサン・サーンスの姿に、完全にサティが重なってしまう。また、ヘンテコ感ばかりでなく、第7曲、水族館(track.14)の瑞々しいサウンドは、クラシック離れしていて、アヴァン・ポップ?で、終曲(track.21)の軽やかさなどは、プーランクにそう遠くない風情で... 『動物の謝肉祭』は、1880年(サティがコンセルヴァトワールを中退した年で、後の片鱗などまだ見せていない頃... )、仲間内で演奏するために作曲されたプライヴェートな作品。そう言う点で、すっかり弾けて、サン・サーンス流のカーニヴァル感に包まれている。また、弾けたことで、サン・サーンスの次の世代の音楽が先取られるようで、実に興味深い。
さて、この弾けた音楽を、徹底して奏でるサイトウ・キネン・オーケストラ・チェンバー・プレイヤーズ。一音たりとも疎かにしない、彼らならではの姿勢が、サン・サーンスのプライヴェートな遊びを、確固たる音楽に仕上げてしまう凄まじさ... 本来、ユルいはずのイメージが、まるで3Dアニメーションにでもなったよう。日本流の生真面目さが、さらなるおもしろさに!

MOZART ・ BRAHMS ・ SAINT-SAENS
SAITO KINEN ORCHESTRA CHAMBER PLAYERS


モーツァルト : オーボエ四重奏曲
ブラームス : 弦楽六重奏曲 第1番 変ロ長調 Op.18
サン・サーンス : 『動物の謝肉祭』

サイトウ・キネン・オーケストラ・チェンバー・プレイヤーズ

PHLIPS/454 592-2




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