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恐るべきスケール... ブゾーニ流、ピアノ・コンチェルト。 [before 2005]

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月曜の明け方、長靴を履いて、降りしきる雪景色の中へ散歩に行く(雪が降らない地域には、時折、こういう馬鹿がおりまして... )。普段は、喧騒に塗れた街の風景が一転、真っ白!昨日とまったく異なる風景が広がっていることに、魔法にでも掛かったような気分になる。それでいて、そんな"真っ白"に包まれていると、心が漂白されるような、浄化されるような感覚があって、フワフワと舞い散る雪にワクワクしながらも、何だか癒されてしまう。夜が明ければ惨憺たる状況になるとわかっていても、あの"真っ白"な魔法は、リアルを忘れるファンタジーを体験させてくれる(なんてことを言えるのも、滅多に雪が降らない地域だからなのだけれど... )。
さて、ブゾーニの生誕150年のメモリアル、このあたりで、ヴィルトゥオーゾとしてのブゾーニの姿を見つめてみようかなと... マーク・エルダーの指揮、バーミンガム市交響楽団の演奏、現代を代表するヴィルトゥオーゾ、アルク・アンドレ・アムランのピアノで、ブゾーニのピアノ協奏曲(hyperion/CDA 67143)を聴く。で、これがまた、リアルを忘れるファンタジー?

1904年、ブゾーニが38歳の時、作曲者自身のピアノで初演(オーケストラはベルリン・フィル... )された、ブゾーニ、唯一のピアノ協奏曲。終楽章(track.8)では、男声合唱が歌うという、ピアノ・コンチェルトの"第九"とも言える作品。てか、合唱付き?!ピアノ・コンチェルトだよ!ヴィルトゥオーゾ・ピアニストによるコンチェルトとなれば、それはもう自身のピアニズムの信条告白であって、華麗なるテクニックで聴衆をノック・アウトするための装置のようなもの(リストとかが、まさに!)。主役が引き立てられてナンボの世界。だけれど、そうはして来ないのがブゾーニ... このあたりに、この人のちょっとひねたような性格を感じてしまう。いや、これが、ブゾーニ、唯一のピアノ協奏曲であって、ピアニストとしての信条告白とするならば、また、興味深い世界が見えて来る?そう、合唱が付いてしまうほどに、このピアノ協奏曲は、ただならぬスケール感を持っている。ちょうど、ブゾーニの音楽が新たな展開を迎える直前、作曲家、ブゾーニの、信条告白となる『新音楽美学試論』が出版(1907)される3年前の作品は、それまでのブゾーニの集大成であり、19世紀音楽の総決算とも言えそうな様相を呈する。
その1楽章、プロローグと入祭唱... えっ?!入祭唱?って、ミサか何かですか?と、ツッコミを入れずにいられないほど気合が入っています、このコンチェルト。というより、そのプロローグは、まるでシンフォニー... ブラームスの交響曲を思わせる荘重さに、ピアノ・コンチェルトであることを忘れて魅了されてしまう。そこから、北欧のピアノ・コンチェルトを思わせる瑞々しく鮮烈なパッセージを奏でながら主役が登場!いやー、何と言うスケール感。輝かしきロマン主義が視界いっぱいに広がる。その雄大さに酔わされる。一転、2楽章(track.2)は、華やかにして、キッチュなところもあったりと、程好くデモーニッシュな魅力に彩られて、魅惑的。ナポリ民謡のメロディーが用いられ、1楽章のドイツ風とは気分を異にするイタリア風。3楽章(track.3-6)は、ショスタコーヴィチの交響曲を聴くような不穏さに包まれて始まるも、ピアノが響き出せば、まさにロマンティック。夢見るように美しい緩叙楽章... のはずが、中間部(track.5)は、パワフル!もの凄い勢いで掻き鳴らされるピアノの上で、オーケストラが勇壮なテーマを演奏するという、ピアノ・コンチェルトとしては異様とも言える光景が繰り広げられて、おもしろい!続く4楽章(track.7)は、タランテラのリズムに乗って、再びのイタリア風。民謡のキャッチーなメロディーを引き込んで、悪ノリに思えるほど盛り上がってしまう。やっぱりピアノ・コンチェルトであることを忘れさせるほどに...
で、このピアノ・コンチェルトを特徴付ける、終楽章、賛歌(track.8)。ピアノの美しくも神秘的な響きに導かれ、ワーグナーかと思うような静けさの中に、厳かな男声合唱が歌い始める... "北欧の詩王"と呼ばれるデンマークの詩人にして劇作家、エーレンスレーヤーの代表作、戯曲『アラジン』の、その最後を飾るという「アラーへの賛歌」を歌うのだけれど、けしてアラベスクになるわけではなく、キリスト教を離れることで醸される神秘主義... どこかリストのファウスト交響曲を思い出すようでもあり、魅了される。しかし、合唱付きであることよりも、ピアノ・コンチェルトにして、ピアノが完全にオーケストラに組み込まれ、時には伴奏に回るようなところすらあるのが、おもしろい。てか、それを「おもしろい」として良いのかどうか迷うところでもあるのだけれど... これは、終楽章に限らず、曲全体にも言えることかもしれない。で、そのおもしろさの真髄は、ピアノがオーケストラを支えているところ。つまり、ソロは、オーケストラよりもスケールのデカい演奏が求められることに... それは、ある意味、ピアノ・コンチェルトを越えてしまったか... 何より、奇妙奇天烈にして、とてつもない音楽であることは間違いない!
という、突拍子もない作品に挑んだアムラン... 前面には出ないけれど、オーケストラを支えるほどの超絶技巧を要求され、さすがのアムランも、軽々とは行かないあたりに、ブゾーニの凄さを感じる。いや、アムランも負けてない!この難曲に喰らい付いて、スリリングにオーケストラを盛り立て、凄味すら感じさせ... 持てる限りの力を繰り出しての大活躍には感服するばかり。そもそも、交響曲のようであり、ドイツにイタリア、ハイ・カルチャーからフォークロワまで、はち切れんばかりにイメージが詰め込まれたお化け作品。この何が出て来るかわからないようなブラックホールを支え切ったアムランの腕は、もはやヴィルトゥオーゾという存在を越えているのかも... そんなアムランに支えられた?エルダー、バーミンガム市響。いや、彼らも一筋縄では行かない... 伴奏なんて位置に甘んじることを許さない作品であって、このピアノ協奏曲がおもしろく仕上がるのは、エルダーの的確さ、バーミンガム市響の縦横無尽さがあってこそ。そうして生まれる、一種異様なファンタジー!まるで悪い夢でも見せられるような感覚が、思い掛けないカタルシスを生む。

BUSONI PIANO CONCERTO IN C MAJOR OP 39
MARC-ANDRÉ HAMELIN / CBSO / MARK ELDER


ブゾーニ : ピアノ協奏曲 ハ長調 Op.39

マルク・アンドレ・アムラン(ピアノ)
マーク・エルダー/バーミンガム市交響楽団、同合唱団(男声)

hyperion/CDA 67143




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