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ブゾーニ、新音楽美学を突き詰めて、ファウスト博士。 [before 2005]

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今から150年前、イタリア、フィレンツェ近郊、エンポリで生まれたブゾーニは、8歳にしてピアニスト・デビュー。10歳の時にはウィーンでもコンサートを開き、すでに話題の存在となり、10代の内にヴィルトゥオーゾとして成功していた。そうした足跡は、現在のブゾーニ国際ピアノ・コンクールが象徴し... また、バッハの鍵盤楽器のための作品の、ピアノ用のアレンジも、ピアニスト・ブゾーニの存在を物語っている。そんなブゾーニが、器用にオペラも書いているから、おもしろい。こういうコンポーザー・ピアニスト、ちょっと他にいないように思うのだけれど... ということで、『アルレッキーノ』、『トゥーランドット』に続いての、オペラ作家、ブゾーニに迫る。
で、再びのケント・ナガノ... いや、そのマニアック担当っぷりには、今さらながら頭が下がるばかり... で、そのケントが率いたリヨン国立歌劇場、ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)のタイトルロールによる、ブゾーニの集大成にして、遺作となった未完の大作、オペラ『ファウスト博士』(ERATO/3984-25501-2)。ヤルナッハと、ボーモントによる補筆を併録した完全版を聴く。

ファウストというと、やっぱりゲーテ。で、ドイツ音楽を志向したブゾーニが、ファウストをオペラ化するとなれば、当然、ゲーテへと向かいそうなのだけれど、そうはならなかったのが、またブゾーニらしいのかもしれない。16世紀の人形劇に、シェイクスピアと同い年の鬼才、エリザベス朝の劇作家、マーロウの代表作、『フォースタス博士』をベースに、ブゾーニ自身が台本を書き上げたオペラ『ファウスト博士』。ベルリオーズのダイナミックさや、グノーの華麗さとは違う、何とも言えない不条理感、仄暗さを漂わせて、独特の雰囲気を醸す。いや、コメディア・デラルテを基にした『アルレッキーノ』、『トゥーランドット』とは打って変わって、ダーク... もちろん、悪魔、メフィストフェレスが暗躍する物語なのだから、ダークで当然なのだけれど、演劇としての洗練に至る前の人形劇、猟奇的ですらあるマーロウの独特な風合が、薄気味悪さを強調するのか... あるいは、このダークさは、かつての地中海文化圏を思わせて、何か呪わしさを孕み、ただならない。何より、ベルリオーズにも、グノーにも用意されている救済(マルグリートの昇天... が、ブゾーニによる台本にはマルグリートは登場しない... 代わりにパルマ公妃がヒロイン的役割を担う... )が、ブゾーニには無い。このどん詰まり感は、ギリシア悲劇を思わせる。
そんな台本を書き始めたのが1910年、作曲は第1次大戦中、スイスに疎開していた1916年に始められている。世界が初めて体験する近代戦争の惨禍は、このオペラのダークさをより濃いものとしたか... 台本のみならず、音楽も当然ながら仄暗さを纏い、印象的に響く。が、下手に重苦しくしないのが、ブゾーニの音楽美学。時代はウルトラ・ロマンティシズムの真っ只中、多過ぎるほどの音を、鳴らし過ぎるくらい鳴らして... という潮流には流されず、思いの外、基本をしっかり押さえ、音に対しての鋭敏な感性を働かせ、丁寧にシーンを描き込んで行くブゾーニ。そうして生まれる音楽は、『アルレッキーノ』、『トゥーランドット』で聴かせたような擬古典主義とは異なり、そこはかとなしにロマンティックでもあって... ワグネリズムに取り憑かれたロマン主義とは一線を画し、ワーグナーの初期へと還るような瑞々しさを湛えながら、歌うことを繊細に捉え、ドラマをスムーズに展開させる。おもしろいのは、どことなしにマスネを思わせるような感触があること... 音楽にも、台本にも酔わず、的確に観衆へドラマを届けるプロ意識とでも言おうか、ブゾーニのオペラ作家としての職人的な姿勢(マスネもそうだったと思う... )を見出し、感心してしまう。こういうストイックさこそが、上質なオペラを生み出す鍵になる気がする。
という、『ファウスト博士』の聴き所... 復活祭の合唱が遠くから響く中、あわや殺人容疑で逮捕!という緊迫した状況で、ファウストがメフィストフェレスと契約する序幕2の幕切れ(disc.1, track.10)、背景の壮麗さと、ジリジリと緊張感が高まって行くスリリングさ... 主幕第1景(disc.2, track.1-9)、パルマ公の婚礼の華々しさが、やがてファウストによるイリュージョン(サロメなどが出現!で、音楽もヒャルト・シュトラウスを思わせる?)により幻想を帯びつつも、じわりじわりとダークさに浸食されて行く恐ろしさ... 主幕第2景、ブゾーニの絶筆となったファウストの独白、「若き日の夢」(disc.3, track.4)の、遠い記憶にたゆたうような、美しく深い音楽(マーラーの歌曲を思わせつつ、新ウィーン楽派へと至るような展開... )は、ブゾーニの白鳥の歌か... 全体を覆うダークさが、作品を渋く見せるものの、随所、随所で、目の覚めるような煌めきもあり、魅了される。
そんなブゾーニの最後の作品を聴かせてくれたケント・ナガノ... まず、真摯にブゾーニのスコアに向き合い、無理無く、丁寧にドラマを紡ぎ出すスマートさ... 魔力に翻弄されるファウストと、その周辺の人々の人生を、少し引いて見つめ、悪魔が放つおどろおどろしさよりも、ファウストの冷たい人間性にこそ焦点を合わせ、より冷やかなダークさが強調されるのか... オカルトでありながらも、どこかスタイリッシュなケントのセンスに共感を覚える。そんなケントに、瑞々しさを以って応えるリヨン国立オペラ。演奏も、コーラス(ジュネーヴ大劇場合唱団がサポートに加わる... )も、ケントのセンスに絶妙に響き合い、すばらしい。そこに、ヘンシェル(バリトン)の沈鬱なファウストの深い表情、ベグリー(テノール)の明快なメフィストフェレスの薄気味悪さが、見事... 歌手陣の魅力も、このオペラをより際立ったものとしている。

BUSONI / DOKTOR FAUST
ORCHESTRE ET CHOEUR DE L'OPERA NATIONAL DE LYON / NAGANO


ブゾーニ : オペラ 『ファウスト博士』 〔ヤルナッハ、ボーモントによる補筆を併録〕

詩人 : ディートリヒ・フィッシャー・ディースカウ(語り)
ファウスト博士 : ディートリヒ・ヘンシェル(バリトン)
ヴァーグナー : マルクス・ホロップ(バス)
メフィストフェレス : キム・ベグリー(テノール)
パルマ公 : トルステン・ケルル(テノール)
パルマ公妃 : エヴァ・イェニス(ソプラノ)
グレートヒェンの兄 : デトレフ・ロート(バリトン)
自然学者 : ウィリアム・デイズリー(バリトン)
リヨン国立歌劇場合唱団、ジュネーヴ大劇場合唱団

ケント・ナガノ/リヨン国立歌劇場管弦楽団

ERATO/3984-25501-2




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サンフランシスコ人

ナガノ/リヨン国立歌劇場のサンフランシスコ公演に行きました....

http://archive.sfopera.com/reports/rptOpera-id308.pdf
by サンフランシスコ人 (2016-01-28 02:28) 

carrelage_phonique

随分前、東京でも演奏会形式で取り上げられ、足を運んだのですが、どんなだったか、記憶が無い... 何でだろう?記憶がどこかへ行ってしまったことに、残念な気持ちになります。
by carrelage_phonique (2016-01-29 14:24) 

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