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ベートーヴェンというパノラマ。若さ、そして、達観、 [before 2005]

やっぱり、冬ですね。じわりじわりと冷え込んで、寒い... けど、澄み切った夜空を見上げれば、鮮やかに瞬く星々。街中を彩るイルミネーションもいいけれど、天体が織り成す静かな音楽も素敵です。で、そういうものが味わえる季節となったのだなと。寒いからこその美ってあるなと、つくづく感じる今日この頃...
さて、地上に耳を向けまして、第九の季節です。でもって、第九の他に、何か年末を盛り上げる音楽があったなら... と、『魔笛』を聴いて、それから、第九のこどもたちとも言える、個性豊かな、声楽を伴う交響曲をいろいろ聴いて... このあたりでベートーヴェンに戻ってみようかなと... もちろん、それは第九でなくて、ベートーヴェンのオーケストラ伴奏による声楽作品。そこには、第九につながる、年末感があるかも?
ということで、ケント・ナガノが率いたベルリン・ドイツ交響楽団と、ベルリン放送合唱団、プレシド・ドミンゴ(テノール)らによる、オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』(harmonia mundi FRANCE/HMC 901802)と、デイヴィッド・ジンマンが率いたチューリヒ・トーンハレ管弦楽団と、スイス室内合唱団らによる、ミサ・ソレニムス(ARTE NOVA/74321 87074 2)を聴く。


ベートーヴェンという個性がスパークする前夜、オラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』。

HMC901802.jpg
受難を前にし、オリーヴ山上で苦悩するイエスと、山を下り捕えられるまでを描く、ベートーヴェン唯一のオラトリオ、『オリーヴ山上のキリスト』(1803)。ロマン主義を先取りするような重々しい空気に包まれる序奏は、オペラのように情景的な表情を見せ... 続く、オーケストラ伴奏によるイエスのレチタティーヴォ(track.2)の雄弁さは、もはやヴェルディのようにドラマティック... それは、ドミンゴが歌っているからだろうか?てか、ドミンゴがベートーヴェンを歌う?という新鮮さと、ドミンゴのイメージ(ワーグナーもこなし、フランスものも得意だったけれど、やっぱりレパートリーの中心はイタリアもの... )が絶妙にこのオラトリオに作用していて、おもしろい。で、ベートーヴェンの音楽も、どこかイタリア的?サリエリに師事したベートーヴェンの音楽的DNA、あるいは、ナポリ楽派の余韻が残る当世風な音楽作りだろうか... 「英雄」(1805)が作曲される前夜、ベートーヴェンという個性がスパークする以前の作品の興味深さが『オリーヴ山... 』にはある。セラビムのアリア(track.5)の輝かしいコロラトゥーラは、モーツァルトを思わせ、コーラスを背景に軽やかに盛り上げてゆくあたりは、ロッシーニを予感させる。で、オラトリオであることを忘れてしまいそうなオペラティックさ!下手をすると、『フィデリオ』よりもナチュラルにドラマを運べている?そうしたあたりに、音楽ドラマとして充実感があり、思いの外、惹き込まれてしまう。一方で、後のベートーヴェンの片鱗も窺えて。イエスを捕えに来た兵士たちと、弟子たちの衝突を歌う男声コーラス(track.11)のメロディーは、『フィデリオ』でも聴いたような... 最後のコーラス(track.15)の壮麗さは、ミサ・ソレニムスに通じるのか... ベートーヴェンという個性の萌芽が、旧来のスタイルの中で、とても新鮮に感じられ、魅了される。
という、ベートーヴェンにして、いつものベートーヴェンとはと一味違う音楽を取り上げるケント・ナガノ。いや、このマエストロらしい変化球なのだけれど、それをまた、イエス役にドミンゴ(テノール)を起用して、さらに意外性を聴かせてくれるから、脱帽... とはいえ、けして気を衒うこと無く、ケント・ナガノらしい、すっきりとした音楽を紡ぎ出しており、好印象。いや、だからこそ、作品の魅力をしっかりと引き出し、ベートーヴェン唯一のオラトリオの再発見を促す。そして、ドミンゴ!さすがに全盛期の輝きはないけれど、それでも、この巨匠なればこそのロマンティックな表情に惹き込まれる!で、忘れてならないのが、ベルリン放送合唱団のドイツのコーラスならではの精緻さ。この精緻さから繰り出される活き活きとした表情は、ドミンゴと相俟って、よりオペラティックな盛り上がりを生み出すのか。まだ若かったベートーヴェンの、若さから発せられる才気を鮮やかに響かせるよう。そうして、改めて味わう『オリーヴ山... 』は、思い掛けなく、魅力的!

Beethoven ・ Christus am Ölberge ・ Kent Nagano

ベートーヴェン : オラトリオ 『オリーヴ山上のキリスト』 Op.85

イエス : プラシド・ドミンゴ(テノール)
セラビム : リューバ・オルゴナソーヴァ(ソプラノ)
ペテロ : フンドレアス・シュミット(バス)
ベルリン放送合唱団
ケント・ナガノ/ベルリン・ドイツ交響楽団

harmonia mundi/HMU 807553




ベートーヴェンという人生が至った境地、晩年の心象を映す、ミサ・ソレニムス。

74321870742
『オリーヴ山... 』の20年後、1824年に初演されたミサ・ソレニムス。『オリーヴ山... 』を聴いてから、その音楽に触れると、平坦ではなかったベートーヴェンの人生の歩みが、ひたひたと満ちて来るようで... いや、もう、始まりのキリエから、その"ひたひた"感が尋常じゃなく、何とも言えない感動に溺れそう。『オリーヴ山... 』の後、ベートーヴェンという個性が確立されて、やがて晩年を迎え、個性すら達観されたような境地を示すミサ・ソレニムスの大きな音楽は、ベートーヴェンにしてまた独特な存在感を見せる。それは、音楽という形に媚びていない、というか、我が道を突き詰めて、より純粋に音そのものを切り出して来るような印象を受けて。聴力を失った後だからこそ、よりストイックに音と向き合えている?そういう音に包まれていると、ちょっと他では味わえない、不思議な心地にさせられる。ある意味、第九以上に年末を噛み締めることができる音楽にも思える。
さて、ミサ・ソレニムスは、サンクト・ペテルブルクで初演された1ヶ月後、ウィーンにて、キリエ(track.1-3)、クレド(track.9-14)、アニュス・デイ(track.20, 21)のみが、3つの賛歌として取り上げられている。そしてそれは、第九の初演であった... ということを知ると、ミサ・ソレニムスと第九の近さを感じずにはいられない。第九は1815年頃から、ミサ・ソレニムスは1819年頃から書き始められ、ミサ・ソレニムスが先に完成(1823)、第九はその翌年、初演の年に完成している。つまり同時に書き進められていたわけだ。人生そのものを回想するような第九と、その人生を経て至った境地を聴かせるようなミサ・ソレニムス。改めてこの2つの作品を並べ、意識しながら聴いてみると、ベートーヴェンの晩年の心象というものが浮かび上がるようで、単にそれぞれの作品を聴くだけでは味わえない感動を得られ、そこから、より深くベートーヴェンに共感できる気がする。
で、ジンマンとチューリヒ・トーンハレ管による演奏で聴くのだけれど... かつて、真新しかったベーレンライター版を用い、ベートーヴェンの交響曲のツィクルスを繰り出して賛否を巻き起こしたその延長線上にあるミサ・ソレムニス。なのだが、今となっては、随分と落ち着いて向き合える。というより、今だからこそ、彼らの志向が腑に落ち、より深くその演奏に惹き込まれるのか。交響曲同様に、疾駆するその演奏は、ミサ・ソレニムスから憑きものを振り払うようで、おもしろい。いや、振り払えて見えて来る瑞々しい広がり... そうしたあたりに、ベートーヴェンの達観の境地がより際立たされるようで、魅了される。そして、それを実現し得るのが、スイス室内合唱団のフットワークの軽さ!スピードを保って器用に歌いこなして生まれる爽快さは、このミサ・ソレニムスの聴かせ所。スピードが生む、清らかさが、たまらなく心地良い。

Ludwig van Beethoven: Missa Solemnis

ベートーヴェン : ミサ・ソレニムス ニ長調 Op.123

リューバ・オルゴナソーヴァ(ソプラノ)
アンナ・ラーソン(アルト)
ライナー・トロスト(テノール)
フランツ・ヨーゼフ・ゼーリヒ(バス)
スイス室内合唱団
デイヴィッド・ジンマン/チューリヒ・トーンハレ管弦楽団

ARTE NOVA/74321 87074 2




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