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モーツァルト、最後の音楽に刻まれる、生と死の葛藤。 [before 2005]

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『魔笛』って、何なのだろう?前回、改めて聴いてみて、やっぱり、ヘンテコな物語だなと、つくづく思う。というより、もはや、不条理劇?そこには、フリーメーソンの思想が反映されているのかもしれないけれど、あまりに抽象的で、どれほどのメッセージ性があるのかは、謎。いや、だからこそ、その神秘性は高まる?とはいえ、このオペラは、シカネーダー一座による、一般市民向けのライトな作品(場合によっては下世話な... )として作曲されているわけで、そういう初演時の背景を見つめると、ますます戸惑いを覚える。が、ここに、モーツァルトの死の年の作品である、ということを重ねると、何か、腑に落ちるものも感じる。人生とは、時として不条理か... あれだけの才能がありながら、何もかもが上手く回らなくなってしまったモーツァルトの晩年、その果てに行き着いた境地が、『魔笛』には反映されているような気がして来る。その最期を思うと、余計にそう感じる。そして、今から224年前の今日(昨日、12月5日が命日... )、モーツァルトは、人知れず、ウィーンの共同墓地に埋葬された。
そんなモーツァルトを偲び、その最後の作品を聴いてみようかなと... クリストフ・シュペリング率いる、ダス・ノイエ・オーケスターの演奏、コルス・ムジクス・ケルンのコーラスによる、モーツァルトのレクイエム(OPUS 111/OP 30307)。その後で、補筆無し、未完の断片をそのまま取り上げてしまうという、まさに、死の際のモーツァルトに迫る、挑戦的なアルバムを聴く。

葬送ならではの物悲しさに包まれる入祭唱に始まり、まるで最後の審判を受けるような重々しさが圧し掛かるキリエ(track.2)、そこから、戦争でも始まりそうな激しいディエス・イレ(track.3)へ... この畳み掛けるような展開のドラマティックさは、ちょっと他のレクイエムには探せない。かと思うと、トゥーバ・ミルム(track.4)では、「奇しきラッパの響き」の通り、ラッパ(トロンボーン)に導かれ、飄々としたメロディーをバスが歌い、ちょっと拍子抜けする?のだけれど、そのすぐ後で、コーラスによる劇的なレックス・トレメンデ(track.5)... また切り返して、ソロによる穏やかな四重唱、レコルダーレ(track.6)が、ヘヴンリーな雰囲気を醸す... と、まるで亡者たちが襲い掛かるような、鬼気迫る男声コーラスが現れ、それを鎮めるかのように天使を思わせる清らかな女声コーラスが対峙し、強烈なコントラストが描き出されるコンフターティス(track.7)。そうして、緊張感が最高潮に達したところで、どっと悲しみが溢れ出すラクリモーサ(track.8)... このレクイエムの白眉とも言える、その寂しげな表情は、「涙の日」、そのもの。で、このラクリモーサが絶筆となる(後は、モーツァルトの残した断片を基に、ジュスマイヤーが全曲を完成させ、現在に至る。が、ジュスマイヤー版への批判から、多くの他の版もある... )。
モーツァルトのレクイエムが、胸に突き刺さるのは、激しい感情の交替で、聴く者の心を揺す振って来るからのように思う。死を受け入れる達観と、死への抗いがせめぎ合う劇的な展開は、モーツァルト、最期の年の心象そのものだったように思う。絶望を味わい、厭世に安らぎを見出しながらも、新たな創作を渇望し、何より生そのものにしがみつこうとするモーツァルトの生存本能すら窺われ... あらゆる感情が綯い交ぜとなり、何とも言えない遣る瀬無さが、この音楽にただならない力を与える。それは、『魔笛』にも通じ、どこか、作曲という行為を前に混乱しているモーツァルトの姿が浮かび上がる気がする。そんな姿に、モーツァルトの人間臭さを見出し、神に愛された天才としてではない、苦悩する一人間としての音楽に、強い共感を覚える。で、そうしたものを、より強く感じられるのが、ジュスマイヤーの補筆での全曲の後で取り上げられる、未完の断片をそのまま鳴らし歌ってしまうという大胆な試み。セクエンツァ(track.15-20)、オッフェルトリウム(track.21, 22)、アーメン(track.23)と、それはレクイエム全体のかなりの部分に及ぶのだけれど、これが、驚くほど力強い音楽となって迫って来るから、興味深い。完成されていない剥き出しの響きの、厳しい表情は、実に鋭く、かえってエモーショナルですらあるのか。何より、音符を書き込め切れなかったモーツァルトの無念が滲み、思いの外、胸を打つ。いや、モーツァルトのレクイエムは、未完のままでもいいのかも... 未完であるからこそ、作曲家の真実に迫り得るのかも...
という、モーツァルトのレクイエムを聴かせてくれた、クリストフ・シュペリング+ダス・ノイエ・オーケスター+コルス・ムジクス・ケルン。彼らならではの凝ったアプローチと、それをやり切る確かな技量がまず印象的。そして、クリストフらしいテンションの高い音楽作りと、ダス・ノイエ・オーケスターのエッジの効いた演奏が、葬送の音楽に緊張感を生み、スリリング。特に、未完の断片(track.15-23)での鋭さは、未完であることを逆手にとって、攻撃的にすら展開。それがまた、死を前にしたモーツァルトの苛立ちのようにも聴こえ、突き刺さる。そこに、クリアなコーラスを聴かせるコルス・ムジクスの好演があり、さらに、4人のソリストたちの的確な歌が加わって、密度の高いモーツァルトを精製するのか... 感傷に流されない、リアルな死を見つめ、さらには生をもすくい上げ、生と死のせめぎ合いを生々しく刻むその演奏と歌は、圧巻。

MOZART Requiem chorus musicus köln das neue orchester christoph spering

モーツァルト : レクイエム K.626 〔ジュスマイヤーによる補筆完成版〕
モーツァルト : レクイエム K.626 から 未完の断片

イリーデ・マルティネス(ソプラノ)
モニカ・グロープ(アルト)
スティーヴ・ダヴィスリム(テノール)
カンチュル・ユン(バス)
コルス・ムジクス・ケルン
クリストフ・シュペリング/ダス・ノイエ・オーケスター

OPUS 111/OP 30307




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