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研ぎ澄まされる日本流モダニズム。 [before 2005]

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少し前から、トリスタン・ブルネ著、『水曜日のアニメが待ち遠しい フランス人から見た日本サブカルチャーの魅力を解き明かす』という本を読んでいたのだけれど... そこに、パリでのテロのニュース... そうかぁ、なぜテロが起きるのか、その背景にあるものが見えた気がする。日本にいては知り得ない、フランスのリアル。ヴェルサイユ宮殿や、フランス革命に隠れた、フランスという国の真実を、フランスにおける日本のサブカルチャー受容から浮かび上がらせる妙。いや、日本は、フランスを知らなさ過ぎる。つまり、世界を知らなさ過ぎる。そして、そこに、日本の弱点も炙り出され... 著者の言う、日仏の間にある「間」から、日本を見つめることで、日本の勘違いっぷりも詳らかにする同著。否応無しにグローバルに組み込まれ、世界中からの観光客がやって来る現在の日本だけれど、井の中の蛙だぞ、こりゃ... アニメはさて置き、思いがけず、いろいろ考えさせられてしまった。
さて、初めてフランスのこどもたちを虜にした日本のアニメ、グレンダイザーがフランスへと渡る四半世紀前、それは、日本こそフランスの影響を受けていた頃、パリ、コンセルヴァトワールへと留学した作曲家、矢代秋雄(1929-76)の、フランス仕込みの近代音楽... 湯浅卓夫の指揮、アルスター管弦楽団の演奏で、ピアノ協奏曲と交響曲(NAXOS/8.555351)を聴く。

1951年、黛敏郎(1929-97)とともに、フランス政府給付留学生として、パリ、コンセルヴァトワールへ留学した矢代秋雄。黛が、もはやフランスに学ぶものは無いと、1年で帰国してしまったのに対して、矢代はきっちり学び、卒業。そのコンセルヴァトワールでは、ナディア・ブーランジェらに師事、卒業作品、弦楽四重奏曲は、フロラン・シュミットらの絶賛も受け、フランス近代音楽の語法をしっかりと自身のものとし、1956年に帰国している。で、まさに、そうしたあたりが如実に表れている矢代作品。黛とは違う、優等生として、あるいは、コンセルヴァトワール卒のエリートとして、端正な音楽を響かせ... またそうしたものが嫌味にならず、品位を感じるスマートなモダニズムを繰り広げるセンス... 場合によっては、フランスの近代音楽の大家たち以上に、フランス流のモダニズムを極めてさえいるような... そこには、日本というフランスの外からの視点が効いているのかもしれない。さらには、寡作の作曲家である矢代の、一曲一曲にじっくりと時間を掛け、丁寧に構築し、研ぎ澄ませて行く姿勢もあるだろう。が、帰国から2年を経た1958年に作曲された交響曲(track.4-7)は、少し趣き異にする。
矢代、唯一の交響曲は、5ヶ月で完成されている。だからだろうか、研ぎ澄まし切れていない?いや、そのあたりが、かえっておもしろい?矢代は、パリ時代に、オスカー・ワイルドの『サロメ』のための前奏曲を構想しており、それをこの交響曲の1楽章、前奏曲(track.4)に転用しているとのこと... で、その"前奏曲"であったことが絶妙に効いていて、またそこに、フロラン・シュミットの『サロメの悲劇』を思わせる煌びやかさが浮かび、より情景的で、交響曲というより、どこか近代オペラの雰囲気があるのかも。続く、2楽章、スケルツォ(track.5)は、神楽囃子の「てんや、てんや、てんてんや、てんや」という和風のリズムが用いられるのだけれど、ティンパニでそれを叩かれると、リヒャルト・シュトラウスのブルレスケのイメージと重なり、またチェレスタがそのリズムをなぞれば、弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽を思い出し、この楽章が、バルトークの作品に思えて来るからおもしろい。一転、3楽章、レント(track.6)の、ゆったりとした音楽には、メシアンのトゥランガリーラ交響曲の「愛のまどろみの庭」が落し込まれ... 終楽章(track.7)のコーダは、『エレクトラ』のような、『トスカ』のような、いや、何だ?様々なイメージが集積された交響曲は、近代音楽のカタログのようでもあり、なかなか興味深い。
という交響曲から9年後の1967年に完成されたピアノ協奏曲(track.1-3)は、矢代ならではの上質なモダニズムが織り成され、日本におけるピアノ協奏曲の傑作と言っても過言ではないだろう。バルトーク、プロコフィエフのピアノ協奏曲の流れを汲みながら、より洗練された響きを実現し、戦後「前衛」の抽象とは距離を取りながらも、現代音楽の仄暗さ、程好いヘヴィーさを纏い、シャープかつインパクトのある音楽を繰り出して来る。"ゲンダイオンガク"バリバリの時代に突入しながら、あくまで近代音楽の深化にこだわった矢代の、研ぎ澄まされたモダニズムは、20世紀が過去となった今こそ、より魅力的に輝くよう。それでいて、この「こだわり」に、日本らしさのようなものを見出すのか。フランス流にも、律儀で、端正で、器用にコンチェルトとしての醍醐味をまとめ上げる卒の無さ... 何か、日本人の仕事というものを、このピアノ協奏曲から感じられるのかも。
さて、矢代秋雄を代表する2曲を聴かせてくれた、湯浅卓夫、アルスター管。矢代作品ならではのシャープさを的確に捉えていて、思いの外、それぞれの作品の魅力をしっかりと響かせる。いや、矢代秋雄を改めて見出す演奏と言えるのかもしれない。日本のオーケストラではないからこその、ニュートラルな視点が掘り起こす、矢代モダニズム。モダニズムなればこそ、日本だ、フランスだと囚われることなく、冷徹にスコアと向き合って生まれるクール。それを実現していることに、文化を越えて行くおもしろさを感じる。一方で、ピアノ協奏曲のソロを務める岡田博美のピアノは、極めて繊細で、ある意味、とてもフランス的なのかもしれない。が、モダニズムとしては、もう少し前面に出て、オーケストラと対峙するような迫力があっても良かったか... もちろん、その繊細さがあってこその矢代作品の魅力もあるのだけれど...

YASHIRO: Piano Concerto ・ Symphony

矢代 秋雄 : ピアノ協奏曲  *
矢代 秋雄 : 交響曲

岡田博美(ピアノ) *
湯浅卓夫/アルスター管弦楽団

NAXOS/8.555351




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