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明清北堂大主教晩祷、イエズス会、中国にて... [before 2005]

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近代化とともに東洋にもたらされた西洋音楽。そうして、広くアジアに、現在の音楽の形が存在しているわけだ。が、西洋から音楽がもたらされたのは、近代に限らない。大航海時代、ヨーロッパの世界進出にともなって、キリスト教の布教活動が活発化。典礼音楽として、アジア各地に西洋音楽が持ち込まれた。日本には、1549年、ザビエルがやって来て以来、セミナリヨ(小神学校)、コレジョ(大神学校)が整備され、そこでは音楽も教えられ、天正遣欧使節団の少年たちがヨーロッパへと渡った際には、見事にパイプ・オルガンを弾きこなし、喝采を浴びた。が、そうした音楽文化における東西の交流は、1613年の禁教令により途絶えてしまう。一方で、中国では、18世紀前半まで、カトリックの宣教師たちが活動。中国に合わせた独特な典礼を発展させることに...
ということで、現代中国から遡りまして、明朝末から清朝の初めに掛けての教会音楽。ジャン・クリストフ・フリシュ率いる、フランスの古楽アンサンブル、XVIII-21ミュジーク・デ・リュミエールと、北京の北堂合唱団らによる、中国における聖母マリアの夕べの祈りを再現する1枚、明清北堂大主教晩祷、"Vêpres à la vierge en chine"(K617/K617 155)を聴く。

日本同様、ポルトガルとの交易を切っ掛けに、イエズス会の宣教師たちがやって来た中国。かのザビエルも、マカオを経由して日本にやって来たのだが、中国における布教で欠かせない人物が、やはりイエズス会の宣教師、マテオ・リッチ(1552-1610)。1582年にマカオに赴任し、布教とともに、中国語を学び、中国文化を研究、やがて北京に出て、明朝末期の文化的爛熟期を築いた万暦帝(在位 : 1572-1620)の宮廷に仕えた希有な存在。巧みにキリスト教の教えを中国風に翻案し、中国におけるイエズス会の地位を確立。以後、中国におけるキリスト教は、独特の形を取るようになり、そのことがローマの総本山と齟齬を生み、やがて典礼論争が巻き起こる。で、論争となるほどの独特な形となった中国における教会の、教会音楽とはどんなものであったか?に注目する、なかなか他に無いアルバム、明清北堂大主教晩祷、"Vêpres à la vierge en chine"。
こりゃ、教皇様が聴いたら、ブったまげるわ... というほどにローマからは遠く、いや本当に遠くに感じる太鼓の独奏で始まるのだけれど。そのミステリアスで雄弁な響きには、中国四千年の歴史が反映されるようで、ただならず惹き込まれてしまう。かと思いきや、ドン引きするほど煌びやかなサウンドが鳴り響き... 民謡、「柳葉琴」が、中国の伝統楽器によるアンサンブルで、ド派手に奏でられれば、眩暈を起こしそう。と思いきや、耳覚えのあるメロディーが聴こえて来て... ウェーバーが劇音楽に用い(ウェーバーは、ルソーの『音楽事典』に掲載されていた中国の旋律を用いている... )、ヒンデミットがそれをウェーバーの主題による交響的変容の2楽章に用いた、あのキャッチーなメロディー!そのオリジナルが、中国の伝統楽器によって、ド派手に奏でられる姿に、おおっ!となる。それは、ヒンデミットが交響的に変容させた姿に負けていないから、凄い。つい聴き入ってしまう。
が、本題は、中国における聖母マリアの夕べの祈り。「柳葉琴」の旋律を借り、中国語で歌うアヴェ・マリア(track.2)が続くのだけれど、このあたりに、当時の中国におけるキリスト教の姿を見出せるのか、思いも付かないような中国風のアヴェ・マリアに、驚いてしまう。という、中国から一転、パレストリーナを受け継ぐ、ローマ楽派の作曲家、アネーリオ(ca.1567-1630)による「奇跡の聖母マリアに」(track.3)が歌われ。そこに響く、ルネサンス・ポリフォニーの透明感に、東西の文化的な感性の違いを思い知らされる。いや、これほどの距離を乗り越えて、イエズス会の宣教師たちは中国へと渡ったわけだ。また、そうして運ばれた音楽もあっただろう... アネーリオに続いて歌われるのは、西欧の旋律(16世紀のイタリアの作曲家、パピーニによる... )を中国語で歌う「牧童遊山」(track.4)。西欧の楽器に囲まれ、際立つ中国語歌唱の、少し勿体ぶったような歌い回しが印象的。それでいて、中国語の抑揚が、思いの外、西欧の旋律に合い、不思議な味わいを生む。さらには、中国人による聖歌も歌われる!清朝初頭に活躍した画家で、キリスト教に帰依し、イエズス会の一員としても活動した呉歴(1632-1718)の「称頌聖母楽章」(track.7)は、ズバリ、中国なのだけれど、シンプルな旋律を丁寧に追うと、ヨーロッパの中世を思わせて、カンティーガのように聴こえるところも。いや、大胆に東西を結んで響いて来る音楽の力強さたるや!中てられつつも、中国における教会音楽として結実していることに、感服。
という、"Vêpres à la vierge en chine"を聴かせてくれた、フリシュ+XVIII-21ミュジーク・デ・リュミエール。これは、相当に難しいミッションだったはず... いや、良くも悪くも「中国」の灰汁の強さが、全てを浚ってしまうのか... そういう点で、北堂合唱団ら、中国の音楽家たちの存在感に圧倒される。もちろん、西欧としてのサウンドを丁寧に響かせるXVIII-21ミュジーク・デ・リュミエールもすばらしく、その繊細な響きは、中国があってこそ映えるところもあり、東西のコントラストを巧みに利用して来るフリシュのセンスに感心。そうして窺い知る、明朝末から清朝の初めに掛けての教会音楽の独特な世界... 西欧のルネサンス末からバロックに掛けての時代、こういう世界があったことに、目を見開かされる。

VEPRES A LA VIERGE EN CHINE

アミオ編集による 民謡 「柳葉琴」 〔器楽による〕
アミオ : 聖母経(アヴェ・マリア) 〔中国語〕
アネーリオ : 奇跡の聖母マリアに 〔イタリア語〕
パピーニ基づく 牧童遊山(丘の牧人) 〔中国語〕
パピーニ : 死についてのゆるぎない望み 〔イタリア語〕
フィアメンゴ : ミツバチのごとく 〔イタリア語〕
呉 歴 : 称頌聖母楽章(聖母称賛) 〔中国語〕
フィアメンゴ : ますます太陽が照りつける限り 〔イタリア語〕
呉 歴 : 思い上がりの悪魔に取り付かれ 〔中国語朗唱〕
アミオ編集による 民謡 「柳葉琴」 〔オルガンによる〕
フィアメンゴ : 胸中永平(内的調和) 〔中国語〕
アミオ : 至聖なる(聖母への祈り) 〔中国語〕
ブリオ : 天神歌(アヴェ・マリス・ステッラ) 〔中国語〕
アミオ編集による 民謡 「アロエと白檀が燃え」/サルヴェ・レジーナ 〔中国語〕
アネーリオ : マニフィカト(聖母歌) 〔中国語〕

時 可龍(ヴォーカル)
シリル・ジェルスタナベール(ソプラノ)
クリストフ・ラポルテ(カウンターテナー/大鑼)
ブノワ・ポルシュロ(テノール)
ハワード・シェルトン(テノール)
ロナン・ネデレク(バリトン/小銅簷)
スティーヴン・ジョーンズ(二胡/凶吶/ヴァイオリン)
フランソワ・ピカール(笙/管子/簫/指)
北堂合唱団、他
ジャン・クリストフ・フリシュ/XVIII 21 ミュジーク・デ・リュミエール

K617/K617 155




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