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ハイドン・イン・ロンドン。 [2010]

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ウィーン古典派の巨匠、ハイドン(1732-1809)。だが、その仕事場は、長い間、ウィーンではなく、そこから南東へ少し行った、ハンガリー西部にあった。1761年、29歳の時に、ハンガリーの大貴族、エステルハージ侯爵家の副楽長(1766年からは楽長... )となったハイドンは、以後、30年弱を、侯爵家が居を構えたアイゼンシュタット(侯爵家がもともと住んでいた宮殿。現在はオーストリア領... )、エステルハーザ(アイゼンシュタットから南西に35Kmほどのところにある、侯爵家の新しい宮殿... )で過ごすことになる。が、ハンガリーで一二を争う大領主とはいえ、同時代のウィーンやマンハイムといった宮廷に比べたら、片田舎。「楽長」の意味合いも大きく変わって来る。しかし、そこから、ヨーロッパ中にその名声を轟かせることになったのだから、興味深い(もちろん、ハイドンの才能がそれだけ抜きん出ていたこともあるだろうが... )。というエステルハージ侯爵家は、ハイドンにとってどんな場所だったか?宮仕えの忙しなさもあったものの、研究所のようなところでもあった。様々に実験を試みることのできる腕利き揃いのオーケストラがあり、またウィーンの音楽シーンから離れた片田舎だからこそ、諸々の雑音に煩わされることなく自分の音楽に集中できた。モーツァルトを始めとする同時代の作曲家たちからすれば、それはとても希有な環境だったように思う。だからこその古典主義の深化があり、あれだけ交響曲を発展させられたのだろう。エステルハージ侯爵家は、「交響曲の父」を、まさに父にした場所と言えるのかもしれない。
さて、ヨーロッパの東の王国=エスターライヒ、オーストリア、そして、その首都にして、「音楽の都」、ウィーンを、クラシックの"東"として見つめて来た、今月。前回、聴いた、『ジプシー男爵』から遡り、古典主義の時代へ... エステルハージ侯爵家での研究成果を携え、ヨーロッパ最大の音楽マーケット、ロンドンへ挑んだハイドンを追う。マルク・ミンコフスキ率いる、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルの演奏で、ハイドンの交響曲、ロンドン・セット、全12曲、4枚組(naïve/V 5176)を聴く。

1790年、豪奢候の異名を取る、ニコラウス侯爵(1714-90)がこの世を去ると、エステルハージ侯爵家は様変わりする。ニコラウス侯爵の息子、アントン侯爵(1738-94)は、父親とは正反対に音楽に関心はなく、ハイドンが率いた腕利き揃いのオーケストラは解散、お抱えの多くの音楽家たちがリストラされることに... ハイドンは、楽長職の肩書を有したまま、お役御免となり、フリーに... ハンガリーのヴェルサイユとも呼ばれた、豪奢候が築いたエステルハーザを離れ、ウィーンへと移った。が、楽譜出版のおかげで、すでに国際的な名声を獲得していたウィーン古典派の巨匠には、早速、オファーが舞い込む。そうしたひとつが、ロンドンで活躍する興行師、ザロモンからの招聘... ニコラウス侯爵の訃報のニュースが流れた頃、ちょうどドイツを旅行中だったザロモンは、抜け目なくウィーンのハイドンを訪ね、ロンドンでの巨匠自らが指揮するコンサートを申し出... 1791年、59歳にしてハイドンの国際デビューが実現!伝説の巨匠の登場に、ロンドンの音楽ファンは熱狂した。
という、最初のロンドン滞在中(1791-92)に、ハイドンは93番から98番の交響曲を作曲。帰国して間もなく、次のロンドン・ツアーのために99番が用意され、2度目のロンドン滞在中(1794-95)に、100番から104番の交響曲を完成。ザロモンが主催するコンサートを沸かせるのだけれど、93番からの12曲が、ここで聴く、ロンドン・セットとなる。それは、エステルハージ侯爵家での仕事とはまったく異なる、開かれたマーケットのために作曲された交響曲で、ハイドンにとっては新たな挑戦でもあった。そして、12曲、全てが成功したというわけではなく、モーツァルトらが苦しんで来たことをハイドンもまた体験する。が、観衆の様子に目敏く反応し、その好みをしっかりとすくい上げる強かさも見せた巨匠!「驚愕」、「軍隊」、「時計」など、趣向を凝らした作品も並び、客席を飽きさせることはなかった。で、時を経て4枚組を聴く我々も飽きさせない!改めて、ロンドン・セットという括りで聴き、そのヴァラエティに富む音楽に思わず聴き入ってしまった。いや、ロンドン・セット以前の交響曲とはまた違った、都会的な洗練や緊張感を見出すのか... 何より、集大成と捉えられるロンドン・セットの中にも、ハイドンの進化が感じられ、エステルハージ侯爵家での守られた"研究"とは違う、ロンドンにおける"マーケティング"からも、さらなる成長の糧を得ていたことを見出し、巨匠然とするばかりでなかった、巨匠の飽くなき探求心に脱帽。
で、この12曲をまとめて聴かせる、ミンコフスキ+レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル。フランス・ピリオド界切っての鬼才、ミンコフスキも、落ち着きを見せるか?かつての尖がりは丸くなり、思いの外、堂に入った音楽を繰り広げて... ある意味、ウィーン古典派らしい態度ではあるのだけれど、尖がっていたミンコフスキが懐かしくも思える。いや、交響曲の父の懐の大きさに、多少、尖がったところで、太刀打ちできない?ロンドン・セットとして12曲に触れると、ハイドンの偉大さがより強く感じられ、ミンコフスキもそれをありのままリスペクトしていて、いい感じ。とはいえ、「驚愕」の2楽章(disc.2, track.2)では、トリッキーなことをしっかりとやっている、鬼才(キャーッ!)。「太鼓連打」(disc.4, track.5-8)では、遠慮無く太鼓をフィーチャーし、まさしく連打!ロンドンの聴衆を熱狂させた仕掛けには、ミンコフスキらしさが炸裂する。しかし、ミンコフスキのロンドン・セットの魅力は、"セット"であること... 時系列順(95番、96番の後に、93番、94番が続き、98番、97番という順。2度目の滞在での交響曲は、番号と時系列が同じ... )に並べられて浮かび上がる、交響曲の父、ハイドンの軌跡...
4枚組、聴き通せる?と、最初こそ躊躇したものの、聴き始めてしまうと、その世界にただならず惹き込まれてしまう。そうして聴き進めれば、ハイドンのロンドンでの進化を感じられ、驚かされることに... それでいて、レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴルならではの活き活きとした演奏が、巨匠の音楽に活力を与え、18世紀末のロンドンの音楽シーンの活気を追体験。交響曲がエンターテイメントたり得ていた、古典主義の時代を存分に楽しませてくれる。で、やがて最後の交響曲に行き着くわけだけれど、その最後、104番、「ロンドン」の1楽章(disc.4, track.9)の、交響曲らしい、どの番号よりも荘重な響きに感動!ロンドン・セットのみならず、ハイドンの初期の交響曲を思い出せば、交響曲の父の歩みに感慨を覚える。そして、本当の最後、「ロンドン」の終楽章(disc.4, track.12)の豪壮さ!嗚呼、もうこれでお終いかよ、と、ガッカリしてしまうほど... そう思えて、やっぱりミンコフスキは凄い!となる。円熟の粋に入った鬼才にも脱帽する。

Haydn  12 London Symphonies
Les Musiciens du Louvre ・ Grenoble Marc Minkowski


ハイドン : 交響曲 第95番 ハ短調 Hob.I-95
ハイドン : 交響曲 第96番 ニ長調 「奇蹟」 Hob.I-96
ハイドン : 交響曲 第93番 ニ長調 Hob.I-93
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ハイドン : 交響曲 第94番 ト長調 「驚愕」 Hob.I-94
ハイドン : 交響曲 第98番 変ロ長調 Hob.I-98
ハイドン : 交響曲 第97番 ハ長調 Hob.I-97
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ハイドン : 交響曲 第99番 変ホ長調 Hob.I-99
ハイドン : 交響曲 第100番 ト長調 「軍隊」 Hob.I-100
ハイドン : 交響曲 第101番 ニ長調 「時計」 Hob.I-101
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ハイドン : 交響曲 第102番 変ロ長調 Hob.I-102
ハイドン : 交響曲 第103番 変ホ長調 「太鼓連打」 Hob.I-103
ハイドン : 交響曲 第104番 ニ長調 「ロンドン」 Hob.I-104

マルク・ミンコフスキ/レ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル

naïve/V 5176




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