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ウィーンのワグネリアン、ヴォルフ、ブルックナー。 [before 2005]

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オーストリアはドイツである。というと、トンチンカンなことを言っているように思われそうだけれど、意外とそうなのである。何たって、オーストリアの公用語はドイツ語!クラシックの世界では、ドイツ―オーストリアは、それこそセットでメインストリーム... じゃあ、なぜ、オーストリアはドイツではないのか?いや、ついこの前まで、ひとつだった。ナチス・ドイツによるオーストリア併合(1938)の話しではない。明治維新の前年にあたる、1866年、普墺戦争でオーストリアがプロイセンに負けたことにより、神聖ローマ帝国を引き継いだ形のドイツ連邦が解体するまで、オーストリアは正式にドイツであった。一方で、そもそもドイツは政治的統合が弱く、中世以来、各領邦は国家のように振舞って来た。オーストリアはその代表... となると、ドイツが無かった、というのが正しいのかもしれない。で、ドイツが無い代わりにEUがあった!というのが、神聖ローマ帝国。ドイツ王、イタリア王、ブルグント王(スイスからプロヴァンスにかけて、中世に存在した国... )を兼ねた神聖ローマ皇帝が統治する、チェコ、ベネルクスを加えた広大な帝国、実質、連邦。で、その帝位を、中世末以来、独占したのが、オーストリアのハプスブルク家だった。つまり、オーストリアはドイツの一部であって、そのドイツをオーストリアが牛耳っていたわけだ。いやはや、ヨーロッパとは、複雑。しかし、この複雑さが、文化にも影響を及ぼし、魅力的な音楽も生み出したのだなと...
さて、ここまで、"東"に目を向けて来たのだけれど、ちょっと気分を変えて、西を向いてみる。前回の抒情交響曲に引き続き、リッカルド・シャイーが率いた、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の演奏で、ワーグナーの影響を受けた、ブルックナーの6番の交響曲と、マティアス・ゲルネ(バリトン)の歌による、ヴォルフのオーケストラ伴奏の歌曲(DECCA/458 189-2)を聴く。

シャイーのアルバムは、いつも絶妙のカップリングを見せる。いや、そのセンスは抜きん出ていると思う。けど、そういう部分に、なかなかスポットが当たり難いのがクラシックの堅苦しさか... 組合せの妙より、一曲一曲の精度。もちろん、それは当り前のこと。それが疎かになってしまっては、元も子もない。が、そこに留まるだけでは、広がりが生まれないように感じる。何と言っても、クラシックほど"広がり"を持つジャンルは他に無いわけで... 今月、ウィーンを巡り、その"東"を見つめる眼差しを追ってみて、まさに、この音楽の都から広がる多様さに魅了されたものだから、余計に感じてしまうのか。で、シャイーなのだけれど、ここで聴くのは、ブルックナーの6番の交響曲(track.5-8)に、ヴォルフのオーケストレーションされた『ゲーテ歌曲集』から4曲(track.1-4)、というカップリング... オーストリアの作曲家を2人並べてはいるのだけれど、ブルックナー(1824-96)と、ヴォルフ(1860-1903)という組合せは、かなりトリッキーな印象を受ける。一方は希代のシンフォニスト、もう一方は歌曲を得意とした作曲家。真逆とも言えるその音楽スタイルだけに、どういうつながりなのだろうか?と、最初、見た時は、今一、呑み込めなかった。が、ウィーンの"東"を追って来てから、ブルックナー、ヴォルフを聴いてみると、"東"ばかりでなかったウィーンを見つけ、ハっとさせられる。オーストリアにおけるドイツ性を再認識することに...
19世紀、ドイツ―オーストリアのメインストリームにおいて、ドイツ・ロマン主義の結実としてのワーグナーに、ウィーンの古典主義へと回帰しようとしたブラームスは、二大巨頭。ドイツとウィーンという2つの潮流を象徴していた。それを際立たせたのが、親ワーグナー派と、反ワーグナー派の鋭い対立... 今から振り返れば、勢力争いのそれであって、何とも不毛に感じられるのだけれど、この対立が際立たせた個性もまたあった事実。熱狂的なワーグナー信奉者として、その影響を強く受けながら、交響曲というワーグナーからは遠い場所で独自の宇宙を築いたブルックナー。反ブラームスとしてワーグナーを賛美し、ドイツ・リートにワーグナー的な語法を落とし込んで独自の世界を極めたヴォルフ。ともにウィーンを拠点としながらも、ウィーンらしい甘やかさ、キャッチーさとは距離を置き、それぞれにワーグナーとつながった音楽は、ウィーンという場所から見つめると、とても興味深いものに思えて来る。そうしたあたりを掘り起こすシャイー!で、ヴォルフの歌曲(track.1-4)で始めるのだけれど、オーケストラ伴奏が付くと、それは楽劇と見紛うほど... 深く詩を読み込んで紡がれた旋律が、オーケストラというパレットを得た途端、雄弁に情景を描き出し、ピアノ伴奏では味わえないイマジネーションの広がりに惹き込まれる。また、ゲルネの落ち着いた歌声も瑞々しい詩情を湛え、しっとりとしたヴォルフの世界をより引き立てる。
そんなヴォルフの余韻から、ふわーっと浮かび上がるブルックナーの6番の交響曲(track.5-8)!いやー、ヤラれました。まさか、ヴォルフの歌曲から、こんなにもナチュラルにブルックナーの交響曲が始まってしまうなんて... そして、両者のワーグナーからの影響が、より濃いものとして提示されるのか... 交響曲が始まってもなお、何かワーグナーの楽劇の中を彷徨うような感覚があり、不思議。ブルックナーの交響曲の峻厳さは、また違ったファンタジーに彩られるよう。で、他の番号の交響曲とは一味違う、6番のやわらかさが引き立ち、強烈な個性としてのブルックナーばかりでない表情を楽しむ... という流れを創り出したシャイーのセンスに唸ってしまう。そうか、ヴォルフを導入に置くと、ブルックナーはこんな風に響くんだ... いや、ヴォルフが触媒となって、ブルックナーの音楽がより開かれて響き出すのか... 今さらながらにブルックナーが新鮮に思える!
そのシャイーのセンスを確かなものとするロイヤル・コンセルトヘボウ管。優れたアンサンブルがあってこその精緻さが、交響曲の全ての音を瑞々しく捉え、6番の美しさを際立たせる。それでいて名門の貫録をそこはかとなしに響かせ、交響曲なればこその音の横溢に落ち着きをもたらし、ブルックナーを神秘的な清々しさで包む。もちろん、ヴォルフでもゲルネを好サポート。で、楽劇を思わせるヴォルフに始まり、次第に交響曲の純粋性を磨き上げて行くような深化を聴かせて、印象深い。そうした演奏に触れていると、聴く側も次第に研ぎ澄まされて、何か覚醒されるような心地がして来るから刺激的。

BRUCKNER: SYMPHONY NO.6/WOLF: 4 GOETHE-LIEDER
GOERNE/ROYAL CONCERTGEBOUW ORCHESTRA/CHAILLY

ヴォルフ : 『ゲーテ歌曲集』 より 竪琴弾き I 〔作曲者によるオーケストラ伴奏版〕 *
ヴォルフ : 『ゲーテ歌曲集』 より 竪琴弾き II 〔作曲者によるオーケストラ伴奏版〕 *
ヴォルフ : 『ゲーテ歌曲集』 より 竪琴弾き III 〔作曲者によるオーケストラ伴奏版〕 *
ヴォルフ : 『ゲーテ歌曲集』 より アナクレオンの墓 〔作曲者によるオーケストラ伴奏版〕 *
ブルックナー : 交響曲 第6番 イ長調 〔ノヴァーク版〕

リッカルド・シャイー/ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団
マティアス・ゲルネ(バリトン) *

DECCA/458 189-2




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