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ナショナリズムを越えてしまう『我が祖国』。 [before 2005]

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さて、9月です。新シーズンの開幕。芸術の秋、クラシックの季節の到来。で、早速、秋めいている!となると、「残暑」という言葉が使えない事態に、何だか調子が狂ってしまう。そんな天気に、完全に夏休みは行ってしまったなと、ちょっぴり寂しく思うところも... ということで、"クラシックの夏休み"を過ごして来た先月。ワールド・ミュージックとクラシックの境界を探検。クラシックのメインストリームから距離を取り、いつもと違う音楽の様々な表情に触れ、大いに刺激を受け、英気も養ったかな?という8月だったのだけれど。そこからの9月は、コテコテなクラシックへと還る!19世紀、中東欧における、国民楽派の音楽を巡る。そして、まずはチェコから!
ロジャー・ノリントンが率いた、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズによる、国民楽派を象徴する作品とも言える、スメタナの連作交響詩『我が祖国』(Virgin CLASSICS/5 45301 2)。いや、そこに、チェコの国歌もついて来て、ナショナリスティックにチェコを聴く?

19世紀、ナポレオン戦争(1803-15)により、ヨーロッパ大陸がフランスの影響下に置かれる中、反フランスとして浮かび上がった民族主義の動き... 間もなくフランスは敗退、オーストリアが主導(ウィーン体制)で旧秩序が復元されると、それに対しての民族主義はより際立ったものに... 16世紀以来、オーストリアの支配下にあったチェコでは、まず自らの言葉を見つめ直すことから民族運動を展開(文語の確立、自らの言葉で自らの歴史を綴る、チェコ語の公用語化を目指す... )。やがて、フランスでの2月革命(1848)の影響がヨーロッパ中に波及すると、チェコは自治を獲得。が、大きな成果を得たのも束の間、大ドイツ主義(チェコも含まれる、かつての神聖ローマ帝国の領域に生み出されたドイツ連邦を維持する... )と、汎スラヴ主義(チェコを始めとするスラヴ系民族の連帯を訴える... )が衝突。オーストリア軍の出動を招き、独立のチャンスは潰えてしまう。その後、普墺戦争により、ドイツ語圏の主導権がオーストリアからプロイセンに移ると、オーストリアは東に目を向け、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立(1867)。ハンガリーが大きく地位を向上させた一方で、チェコは、依然、オーストリアの一部のまま... しかし、産業革命の進展が、チェコに経済的な豊かさをもたらし、民族主義に彩られた文化を大いに盛り上げる。そうした頃に作曲されたのが、スメタナを代表する作品、『我が祖国』(1875-80)。
今、改めて、このタイトルを目にすると、あまりのナショナリスティックに、ちょっと中てられ気味なのだけれど、チェコが国家として存在していない時代に、「我が祖国」と思いを馳せたスメタナ... 独立を夢見たチェコの人々を考えると、感慨深い。スメタナに限らず、国民楽派の政治的背景というのは、なかなか切ないものがある。そして、フォークロワを取り込むことで、自らの音楽アイデンティティを確立しようとした国民楽派の実直さに感じ入る。のだが、『我が祖国』を聴き直してみると、ん?思いの外、上質なドイツ・ロマン主義が繰り広げられていて... あちこちからワーグナーやリスト、時にはメンデルスゾーンすら聴こえて、興味深い。考えてみれば、スメタナ(1824-84)は、ワーグナーの11歳年下で、リストの13歳年下、メンデルスゾーンの15歳年下... つまり、ドイツ・ロマン主義が最も瑞々しかった頃に音楽を学び、活動したわけだ。かの有名な「モルダウ」(track.3)も、あのメロディーこそ東欧の雰囲気を味あわせてくれるが、サウンド自体は、見事にワーグナー、リスト、メンデルスゾーンあたりをカクテルして、かえって、ドイツ・ロマン主義の旨味成分がしっかりと引き出されているような... もちろん、「ボヘミアの森と草原から」(track.5)の、牧歌的な風景には、フォークロワも浮かぶ。が、『我が祖国』全体からは、国民楽派、スメタナ以前に、同時代音楽への鋭敏なアンテナを持つ作曲家、スメタナの力量というものを強く印象付けられる。そうして、思いの外、ドイツ・ロマン主義に思えて来る、『我が祖国』... ドイツではないチェコだが、ドイツ語圏と密接な関係を切り結んで来た史実が、そうしたあたりに反映しているのかもしれない。歴史が育んだドイツとの親和性を、『我が祖国』の中に見出せてしまうのは、民族主義からすると皮肉?しかし、それをも呑み込んで雄弁な音楽を響かせるスメタナのスケール感、国民楽派という枠組みを越えた魅力に改めて惹かれる。
で、それを強調するような、ノリントンのスタンスが実に興味深い。ピリオドから捉える『我が祖国』は、国民楽派というレッテルを剥がし、ひとつの音楽として改めて見出されるような感覚がある。どうしても、チェコ・ナショナリズムを背負わされてしまう名曲だけに、強いメッセージが籠められて当然のようなところがある中、イギリスのピリオド・オーケストラという、チェコからの距離感が絶妙に作用して、おもしろい。何より、ピリオド楽器ならではの抑制された響きが、音符の一音一音をクリアに刻み、隅々まで瑞々しく... この瑞々しさが、スメタナの音楽に消化されたワーグナーやリスト、メンデルスゾーンを引き出して、なかなか興味深い。というより、良いとこ取りとも言える贅沢さを飄々と繰り出して、おもしろい!「ピリオド」だからこその、時代感のクローズ・アップが生み出す効果が、スメタナの音楽的同時代性を、その政治的背景よりも雄弁に語り出すところが、ノリントン、ロンドン・クラシカル・プレイヤーズの巧みなところ。この『我が祖国』には、目の覚める新鮮さがある。
一方で、『我が祖国』の前には、チェコの国歌が演奏されるという、ナショナリスティックを極めるおまけ付き!それは、プラハの春音楽祭での慣例(国歌に続いての『我が祖国』の演奏... )に基づくものなのだろうけれど、何てことなくさらりとやってのけるノリントンのすまし顔... でも、これが絶妙だったりするからおもしろい!チェコの国歌の、やさしく、流れるようなメロディーからの、最初の交響詩「高い城」(track.2)の静かな始まり... という、あまりのナチュラルさにびっくり!まるで、国歌が前奏曲のよう... いや、このナチュラルに流れてゆく感覚が、チェコの音楽の神髄でもあるのかなと...

SMETANA: MÁ VLAST
NORRINGTON


シクロウプ : チェコ共和国国歌 「祖国よ」
スメタナ : 連作交響詩 『我が祖国』 全曲

ロジャー・ノリントン/ロンドン・クラシカル・プレイヤーズ

Virgin CLASSICS/5 45301 2




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