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バッハ、ケーテンでの喪失、シャコンヌ。 [before 2005]

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マリア・バルバラ・バッハ(1684-1720)。
大バッハ、最初の妻。ヴィルヘルム・フリーデマン(1710-84)と、カール・フィリップ・エマヌエル(1714-88)の母。として知られるマリア・バルバラは、大バッハが生まれたアイゼナハからそう遠くないドイツ中部の小さな街、ゲーレンで、オルガニストをしていたヨハン・ミヒャエル・バッハの娘として、大バッハが生まれる前年、1684年に生まれる。そして、その苗字が示す通り、大バッハとは遠縁で... アルンシュタットでオルガニストをしていた大バッハの大叔父、ハイリンヒの孫娘でもある。そんなマリア・バルバラが、ヨハン・セバスティアンといつ出会ったのか?よくわかっていないものの、おもしろいエピソードが記録されている。1706年、大バッハがアルンシュタットのオルガニストを務めていた時、聖歌隊にマリア・バルバラと思われる女性を加えて(教会で女性が歌うことにまだ抵抗感があった頃... )、宗務局から呼び出しを喰らい、ちょっとしたスキャンダルに。若い頃は、意外とやんちゃでもあった大バッハ... その近くにいただろうマリア・バルバラ... そんな若い2人の姿を想像すると、何だか微笑ましい。翌年、大バッハはミュールハウゼンのオルガニストとなると、2人は結婚。7人もの子どもに恵まれ、幸せな家庭生活を送る。が、1720年、マリア・バルバラの死によって、2人の幸せは唐突に終わる。
マリア・バルバラの死の年に作曲された、名曲、シャコンヌ... そこには、最愛の妻への哀悼のコラールが織り込まれているのでは?という説を、その素となっただろうコラールを探り、検証するアルバム。クリストフ・ポッペンのバロック・ヴァイオリンと、ヒリアード・アンサンブルによる異色のコラヴォレーション、"Morimur"(ECM NEW SERIES/461 895-2)を聴く。

シャコンヌを終曲とする、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、第2番を軸に、シャコンヌに織り込まれたかもしれないというコラールの数々をア・カペラで歌い、差し挟む... さらに、シャコンヌにコラールを重ねて奏でたならば... という、大胆な試み(track.21)まである、極めてチャレンジングな"Morimur"。シャコンヌに籠められたバッハの哀しみを、丁寧に紐解く仕掛けとなるわけだが、そういう学究的な側面よりも、そこから聴こえて来るサウンドが放つ哀感が何とも言えない。タイトル、"Morimur"は、ラテン語で「我らは死す」という意味とのこと... マリア・バルバラを失って、バッハもまた、自身の何かが死んだのだろう。そういう喪失感が、無伴奏、ア・カペラから生まれる寂しげな表情によって際立たされ、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータにしろ、コラールにしろ、いつもより深く、印象的に響く。その、「哀しみ」に焦点を絞った構成は、音楽の父と呼ばれ尊敬を集める偉大な存在を、改めて人間として捉えるようなところもあり興味深く、より惹き込まれるのか。
前回、ブランデンブルク協奏曲を聴いて、バッハのケーテン時代(1717-23)の充実に大いに魅了されたのだけれど、充実ばかりでない、大きな喪失も味わったケーテン時代... 1720年、ケーテンの宮廷楽長として、主君、レオポルト候に付き従い、チェコ西部の温泉保養地、カールスバートを訪れていたバッハが、妻の死を知ったのは、帰宅した時のこと... すでにマリア・バルバラは埋葬されていたというから、バッハのショックは計り知れない。元気だった愛する人が、旅の間に逝ってしまったら... シャコンヌ(track.11)の、劇的なあの始まりは、バッハの慟哭なのかもしれない。マリア・バルバラという存在を念頭にシャコンヌを聴いてみると、いつも以上に切なくなってしまう。慟哭、哀しみばかりでなく、結婚前だろうか、若い2人のキラキラとした記憶が蘇るようなところもあって... バッハと言うと、慇懃なフーガで武装して、あのカツラの肖像画のイメージそのままに、下手に感情を見せないような印象もあるのだけれど、シャコンヌは、素直に心の内を曝け出すようで、そのあたりに、どうしようもなく心打たれてしまう。そして、喪失からも作品を生み出してしまう、芸術家の性。ウーン、シャコンヌの重みって、凄い。そんな音楽も生み出したバッハのケーテン時代って、やっぱりただならないものがある。
さて、このチャレンジングな試みに挑んだポッペン。その演奏からは、強い思い入れも感じられ、少し息詰まるような空気も漂うのか... 怒りも混じるような鋭い哀しみがヴァイオリンから溢れ、シャコンヌに限らず、無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ、第2番、全曲で、緊張感を保ったドラマが繰り広げられる。それがまた、ヒリアード・アンサンブルによる透き通ったハーモニーと響き合い、浮世離れしたコントラストを描き出し... ポッペンのヴァイオリンはバッハそのものだろうか?そこに、やさしげに寄り添うヒリアード・アンサンブルの存在は、霊となったマリア・バルバラの姿だろうか?例えば、印象的にリフレインされる4番のカンタータ『キリストは死の縄目につながれたり』からの「死に... 」(track.2, 10, 20, 22)は、断片的にア・カペラで歌われることで、何か霊のつぶやきにも思えて、不思議。確かなヴァイオリンの響きは、必死に妻を探すようであり、おぼろげな声のハーモニーは、それに応えることができず、切なげに佇む... そんな、ヴァイオリンと声の在り様に、オルフェウスの物語が重なる。で、最後のシャコンヌ(track.21)の演奏では、とうとう妻と再会する。ヴァイオリンに声が重なり、哀しみを湛えたシャコンヌが、コラールと重ねられたことで、思い掛けない瑞々しさを放つ。そこには、不思議と満ち足りた表情が浮かび、あらゆることが浄化されたような景色が広がる。

Christoph Poppen / The Hilliard Ensemble
M o r i m u r

バッハ : カンタータ 第136番 『神よ、願わくばわれを探りて』 BWV 136 から 「私のいとしい神に」
バッハ : カンタータ 第4番 『キリストは死の縄目につながれたり』 BWV 4 から 「死に... 」
バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV 1004 から 第1曲 アルマンド
バッハ : コラール 「キリストは死の縄目につながれたり」 BWV 277
バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV 1004 から 第2曲 クーラント
バッハ : カンタータ 第4番 『キリストは死の縄目につながれたり』 BWV 4 から 「死に打ち勝てる者絶えてなかりき」
バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV 1004 から 第3曲 サラバンド
バッハ : カンタータ 第89番 『われ汝をいかになさんや、エフライムよ』 BWV 89 から 「私はどこに逃れゆくべきか」 
バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV 1004 から 第4曲 ジーグ
バッハ : カンタータ 第4番 『キリストは死の縄目につながれたり』 BWV 4 から 「死に... 」
バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ 第2番 ニ短調 BWV 1004 から 第5曲 シャコンヌ
バッハ : コラール 「キリストは死の縄目につながれたり」 BWV 277
バッハ : ヨハネ受難曲 BWV 245 から 「御心が実現しますように、主なる神よ」
バッハ : マタイ受難曲 BWV 244 から 「お前の道と心の煩いとを」
バッハ : コラール 「イエスよ、私の歓び」 BWV 358
バッハ : カンタータ 第136番 『神よ、願わくばわれを探りて』 BWV 136 から 「私のいとしい神に」
バッハ : ヨハネ受難曲 BWV 245 から 「イエスよ、あなたの受難は」
バッハ : ヨハネ受難曲 BWV 245 から 「私の心の奥底では」
バッハ : コラール 「いざ魂よ、主を讃美しなさい」 BWV 389
バッハ : カンタータ 第4番 『キリストは死の縄目につながれたり』 BWV 4 から 「死に... 」
バッハ : シャコンヌ 〔ヴァイオリンと4声による、ヘルガ・テーネの研究によって明らかにされた、隠されたコラールを含む演奏〕
バッハ : カンタータ 第4番 『キリストは死の縄目につながれたり』 BWV 4 から 「死に... 」

クリストフ・ポッペン(ヴァイオリン)
ヒリアード・アンサンブル

ECM NEW SERIES/461 895-2




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