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30代、バッハの境地。"無伴奏"から広がる宇宙、人生... [before 2005]

「バッハ」と言ったら、あのイメージ... 仰々しいカツラをかぶった、あの肖像画なのだけれど、あの肖像画が、数世紀ぶりにドイツに帰国。所有していたアメリカの富豪から、ライプツィヒのバッハ博物館に遺贈され、先日、一般公開された(というニュースはこちら、AFP... )。って、今までアメリカにあったの?!と、ちょっと驚いてみる。という肖像画、ドレスデンの宮廷画家にして、ライプツィヒの公式肖像画家(というポストがあるんですね... )を務めた、エリアス・ゴットロープ・ハウスマン(1695-1774)により、1748年に描かれたもの。それは、バッハの死の2年前、フリードリヒ大王の宮廷を訪れた翌年の姿を描いたもので、『フーガの技法』、『音楽の捧げもの』など、まさに集大成を手掛けていた頃のバッハの姿... そういう背景を見つめると、また少しイメージは変わる?
さて、アレンジされたバッハが続いたので、そろそろバッハの素の姿に迫ろうかなと... 鈴木秀美のバロック・チェロで、無伴奏チェロ組曲(deutsche harmonia mundi/82876697672)と、レイチェル・ポッジャーのバロック・ヴァイオリンで、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(CHANNEL CLASSICS/CCS SEL 2498)。「無伴奏」からバッハを見つめる。


"無伴奏"から生まれる大きな音楽の不思議、無伴奏チェロ組曲。

82876697672.jpg
梅雨空の物憂げな大気の中、ふと聴いてみた、無伴奏チェロ組曲... もうぴったり過ぎて、言葉が無い... しっとりとした空気感に音楽そのものが溶けるようで、聴くというより、包まれる感覚だろうか?サティが目指した家具の音楽とは、こういう音楽だったかな... なんて、ふと思う。音楽と向き合うのではなく、音楽と空気が混じり合い、聴く者の周りに存在する感覚。こういう感覚、なかなか他に探せないように思う。バッハはどうやって、こういう感覚に辿り着いたのだろう?無伴奏チェロ組曲は、バッハがライプツィヒで活躍する前、30代となり、アンハルト・ケーテン候の楽長を精力的に務めていた頃、ケーテン時代(1717-23)に生み出された作品とされているわけだが、そこから響いて来る音楽は、まるで集大成のような独特のスケール感を見せる。今、改めて聴いてみると、聴く者をただ包むだけでなく、聴く者の視野をどこまでも広げるようなパースペクティヴすら見えて来て... ひとつの楽器から発せられる音なんて限られているのに... いや、もうシンプルですらあるのに... これほどまでに大きな音楽が紡ぎ出される不思議。それでいて、とても根源的でもあるからさらに不思議。ライプツィヒでの晩年(あの肖像画が描かれた頃... )における集大成とはまた違う大きな音楽に、大いに魅了される。
で、そんな大きな音楽をおもいっきり繰り広げてくれる、日本を代表するバロック・チェロのマエストロ、鈴木秀美。ここで聴くのは、マエストロにとって10年を経ての2度目の録音。ということで、この"10年"の月日が見事に結実した響きがそこにある。まず、バロック・チェロの素朴にして味わい深い響きに惹き込まれ... 1番の前奏曲の最初の一音がブゥーンと鳴ったと途端に、眼前にぱーっと風景が広がるようで、得も言えず瑞々しい。チェロというと、どうしても渋いイメージがあるけれど、そういうステレオ・タイプを凌駕する瑞々しさに驚かされる。そして、その瑞々しさに浮かぶ色彩感!チェロという楽器からこれほど色彩を感じるとは... それでいて、このマエストロならではの活き活きとした音楽作りがあって、全ての瞬間に生気が漲り、鮮やか!だからこそ、バッハのパースペクティヴはより見通しが良くなって、圧倒されることに... また、そういう広がりが、演奏に深みをもたらし、深くて鮮やかという、相反することをナチュラルにまとめ上げてしまうマエストロ。それは、オーケストラを聴く感覚だろうか?マエストロの指揮者としての活動が育んだものか...

J.S.Bach : 6 Suites For Violoncello Solo Senza Basso | Hidemi Suzuki

バッハ : 無伴奏チェロ組曲 BWV 1007-1012

鈴木秀美(チェロ)

deutsche harmonia mundi/82876697672




"無伴奏"が発する喜怒哀楽の輝き!無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ。

CCSSEL2498
さて、無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ(1720)も、ケーテン時代(1717-23)の作品となる。というより、無伴奏ヴァイオリンが「第1巻」とされ、無伴奏チェロが「第2巻」とされている事実もあり、両作品はシリーズと言えるのかも... しかし、無伴奏ヴァイオリンにしろ、無伴奏チェロにしろ、"無伴奏"という逃げ道を断った形で、それぞれ2枚組にも及ぶ長大な音楽を繰り広げるバッハの向こう見ずさというか、チャレンジャーっぷりに感心させられる。で、当然ながらそれらをやり切っていて、なおかつ"無伴奏"とは思えない、大きな音楽を展開してしまう凄まじさ!バッハのケーテン時代(平均律クラヴィーア曲集、第1巻もケーテン時代の作品!)を改めて考えてみると、30代のバッハがどんな境地にあったのか、もの凄く興味深く感じる。
さて、無伴奏ヴァイオリンなのだけれど、チェロにはないヴァイオリンならではの高音の軽やかさ、伸びやかさに彩られ、無伴奏チェロにはない鮮烈さが印象的。そして、無伴奏ヴァイオリンの顔ともいえる、シャコンヌ(disc.1, track.17)!最初の妻、マリア・バルバラの死(1720)の哀しみが籠められているとも言われる極めてドラマティックなナンバーなのだけれど、その音楽に触れると、バッハの激しさを見出し、慄きすら覚える。それは、シャコンヌのみならず、無伴奏ヴァイオリン、全体にも言え、よりヒューマニスティック... 無伴奏チェロが人間を取り巻く「世界」であるならば、無伴奏ヴァイオリンは「人間」そのものだろうか?喜怒哀楽の感情が聴く者にストレートに迫って来て、哀しみのみならず喜びにすら掻き乱される感覚がある。いや、何という力強さだろう!ひとつの楽器で、こうも訴え掛けて来る音楽は他にあるだろうか?何だか溜息が出てしまう...
で、そんなヒューマニスティックを颯爽と繰り広げる、イギリスを代表するバロック・ヴァイオリンのマエストラ、レイチェル・ポッジャー。まず、マエストラの研ぎ澄まされた音色の力強さに魅了される。竹を割ったような正確さに、卒なくニュアンスも籠め、自在に弓を繰って鮮烈にバッハの喜怒哀楽を綴ってゆく。それは、美しいだけでなく、時に聴く者を射抜くようなサウンドを放ち、たじろがせるような瞬間もあるのだけれど、そういうサウンドでバッハの息衝く音楽を捉えると、喜怒哀楽の全てが輝きに充ち、圧倒的!哀しみであっても、湿っぽいところは一切無く、鋭く感情を捉える姿勢は、ただならない。

Rachel Podger BAROQUE VIOLIN
COMPLETE SONATAS & PARTITAS FOR VIOLIN SOLO
Johann Sebastian Bach

バッハ : 無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ BWV 1001-1006

レイチェル・ポッジャー(ヴァイオリン)

CHANNEL CLASSICS/CCS SEL 2498




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