SSブログ

バッハのフーガをブラックホールにするブゾーニの魔法。 [before 2005]

WWE1CD20106.jpg
ラモーが、オペラ『プラテー』で、ヴェルサイユ(1745)、パリ(1749)を沸かしていた頃、バッハは、ライプツィヒで、自身の芸術の集大成とも言える『フーガの技法』(1740年代に作曲が進められるも未完に終わる... )に取り組んでいた。パァっと花やぎ浮き立つラモーの新しい時代のエンターテイメントに対し、古来の対位法を研究し独自の世界へと没入したバッハのミクロコスモス... 何というコントラストだろう!というより、同じ時代の音楽とは思えない。前回、ラモーを聴いて、再びバッハへと戻ってみて、つくづく感じる。そして、改めて認識するバッハの特異性... バッハという存在は特別だけれど、音楽史を俯瞰した時のバッハという存在は謎ですらある。
というバッハ... またアレンジされるバッハを... アンドレアス・グラウとゲッツ・シューマッハーのピアノ・デュオによる、バッハの『フーガの技法』、最後の未完のフーガと、それに基づくブゾーニの対位法的幻想曲(col legno/WWE 1CD 20106)を聴く。

えーっ、バッハもバッハですが、ブゾーニもブゾーニと言いましょうか... 対位法的幻想曲(track.2-5)、対位法的に幻想曲を繰り広げる?!それは、頭が痛くなるような気難しいロジックをファンタジーとして膨らませてしまう誇大妄想的な音楽世界!謎めくバッハの『フーガの技法』の最後の未完のフーガ(track.1)を核に、30分にも及ぶ幻想曲に仕立て上げられた大作(1910)。ここで聴くのは2台のピアノ版(1921)。ということもあってか、よりスケールが大きくなって、もはや"幻想"というより"妄想"レベルの巨大さ。20世紀前半における末期的ロマン主義と近代主義が交錯する時代の異形のバッハだ。ピアノのヴィルトゥオーゾであり、教育者であり、イタリアに生まれながらもドイツ的指向を求め、その延長線上に音楽の父、バッハの存在があり、古典を研究し、擬古典主義を試み、一方で電子音楽にも微分音にも興味を示し、誰よりも過去をリスペクトしながら、誰よりも未来を見据えた希有な存在、フェルッチョ・ブゾーニ(1866-1924)。この人も同時代において、特異な位置にある人物と言えるのではないだろうか。そして、対位法的幻想曲は、それを象徴するような作品と言えるのかも...
唐突に終わるバッハの未完のフーガ(track.1)のミステリアスさの先に、独自の世界を展開してしまうブゾーニ。リスト風のヴィルトゥオージティを炸裂させながらバッハの旋律を捉える印象的な始まりは、タイトルの厳めしさとは裏腹に、意外にもキャッチー。リストもまたブゾーニにとっては欠かせない過去であって、19世紀的なヴィルトゥオーゾの姿が、この人の出発点だったか... が、すぐに象徴主義や神秘主義を思わせるダークさに包まれて、バッハの深淵がグロテスクに動き出す。かと思うと、ラヴェルのように響きが洗練され、印象主義を思わせるトーンも... あるいは、ミニマル・ミュージック的な表情すら見受けられる瞬間もあって、場合によってはメカニカルな印象すら受けるところもあり... すぐ近くにいたヒンデミットや、故郷、イタリアの未来派の動向にも呼応するものだろうか?そんなブゾーニが生きた時代の音楽潮流を、バッハという培養地で様々に増殖させてしまう幻想曲は、ブラックホールを思わせる。バッハとは違う巨大さが生むズシリとした重みが何でも呑み込んで、悪魔的に膨らみ、聴く者を覆い尽くしそうな圧倒的なスケール感。そこには異様な魅力が渦巻き、抗し難い引力がある。
そんな悪魔的アレンジの前、お手本とばかりに置かれた『フーガの技法』の最後の未完のフーガ(track.1)。対位法的幻想曲と並べて聴くと、その研ぎ澄まされた音楽はより際立つ。で、ブゾーニがブラックホールならば、バッハはミクロコスモス。その深淵を詳らかとするようなフーガは、まるで呪文... という呪文が解き放つ世界が、対位法的幻想曲という仕掛けか... そんなストーリーを紡ぎ出したグラウ&シューマッハーの妙。さらに、クルタークがアレンジしたバッハ作品(track.6-16)をポストリュードとして取り上げるのだけれど、これが得も言えず美しい!ブゾーニとは対照的に、バッハをそのままにやさしく響かせるクルターク。バッハのメロディーがふわっと浮かび、たまらなく耳に心地良い。いや、バッハのメロディーって、こんなにも心地良かった?クラシックのイメージを超えてしまいそうなその瑞々しさに、息を呑む。一歩引いてバッハと向き合うクルタークの、ブゾーニとの好対照。引きながらも、クルタークという触媒があって映えるバッハのメロディー。それは、また魔法...
バッハという出発点から、驚くべき世界を見せてくれるグラウ&シューマッハー。ブゾーニ、クルタークという、多少マニアックな視点からバッハを見つめながらも、豊かなイメージを膨らませて、未完のフーガをより謎めいたものとして引き立てる、その抜群のセンス!一方で、音楽の父の国、ドイツのデュオが見せる、確かな音楽作り。一音一音の生真面目さは大したもので、その一音一音が積み上げられて出現する音楽像の明解にして揺ぎ無い様は圧巻。でありながら、驚くほど瑞々しいサウンドも引き出す自在さ。だからこそ、それぞれの音楽の魅力が鮮やかに引き立ち、密度の濃いアルバムに仕上がる。

BACH – KURTÁG - BUSONI

バッハ : 第14 コントラプンクトゥス 4声のフーガ 〔『フーガの技法』 BWV 1080 から〕
ブゾーニ : 対位法的幻想曲
バッハ : コラール前奏曲 「ああ、いかにはかなく、いかに空しき」 BWV 644 〔2台のピアノによる/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「われらキリストを讃えまつらん」 BWV 611 〔2台のピアノによる/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「最愛なるイエスよ、われらここに」 BWV 633 〔2台のピアノによる/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「キリストよ、汝神の小羊」 BWV 619 〔2台のピアノによる/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「おお、穢れなき神の子羊」 BWV 618 〔2台のピアノによる/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「アダムの堕落によりてすべては朽ちぬ」 BWV 637 〔6手による/編曲 : クルターク〕 *
バッハ : カンタータ 第106番 「神の時こそいと良き時」 BWV 106 から ソナチナ 〔4手による/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「人みな死すべきもの」 BWV 643 〔4手による/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「いと高きところにいます神にのみ栄光あれ」 BWV 711 〔4手による/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「深き苦しみの淵より、われ汝に呼ばわる」 BWV 687 〔4手による/編曲 : クルターク〕
バッハ : コラール前奏曲 「おお、神の子羊、罪なくして」 〔4手による/編曲 : クルターク〕

アンドレアス・グラウ(ピアノ)、ゲッツ・シューマッハー(ピアノ)
アンドレアス・シュタイアー(ピアノ) *

col legno/WWE 1CD 20106




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。