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生誕150年、ニールセン... 確立される個性とその先へ... [before 2005]

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さて、生誕150年のメモリアルということで、ニールセンの交響曲を追っている今月なのだけれど... その「ニールセン」という、独特な個性を生んだデンマークという国が気になる。普段、なかなか、北欧、デンマークに目を向けることはないのだけれど、よくよく見つめると、同じ北欧でも、スカンディナヴィア半島の国々とは一味違うのか?デンマークで思い出す人々の名前を漠然と並べてみると、独特なトーンがあるように思う。『人魚姫』、『マッチ売りの少女』のアンデルセン、『グレの歌』の原作者、ヤコブセン、『死に至る病』の哲学者、キェルケゴール、『キングダム』、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』、『アンチクライスト』、『メランコリア』の映画監督、ラース・フォン・トリアー、『光の方へ』、『偽りなき者』の映画監督、トーマス・ヴィンターベア... 安易なイメージで語るのは危険だけれど、独特な仄暗さがあるような... そこに「ニールセン」を置いてみると、何か腑に落ちるものを感じる。
そんな、「ニールセン」という個性を味わう... ユッカ・ペッカ・サラステの指揮、フィンランド放送交響楽団の演奏によるニールセンの交響曲のシリーズ、1番、2番に続いての、3番、「広がり」と、6番、「シンフォニア・センプリーチェ」(FINLANDIA/3984-29714-2)を聴く。

まずは、3番、「広がり」(track.1-4)... コペンハーゲンの王立劇場のヴァイオリニストになっていたニールセンが、指揮者のポストを得て(1908)、デンマークの楽壇の最も華やかな場所で仕事をしていた40代、まさに脂が乗っていた頃に作曲(1910-11)された3番の交響曲。1912年、ニールセンの指揮、王立劇場管弦楽団の演奏で初演され、それまでニールセンに厳しかった批評家たちも、この作品で態度を変えることに... さらには、コペンハーゲンでの初演から間もなく、アムステルダムでもロイヤル・コンセルトヘボウ管の演奏で取り上げられ、翌年にはシュトゥットガルト、ストックホルム、ヘルシンキでも演奏され、ニールセンは、一躍、国際的な作曲家となった。そんな、ターニング・ポイントとなった交響曲には、ニールセンの自信が漲っている!
マーラーの死(1911)の翌年、『春の祭典』の初演(1913)の前年に初演された交響曲の、微妙な立ち位置というのか、20世紀に突入し近代が動き出したとは言え、まだまだ19世紀が後を引き、ロマン主義が濃密に漂っていた第1次大戦前... ニールセンの音楽には新しい時代に大胆に踏み込むようなところは無い。が、漲る自信が「交響曲」、「ロマン主義」という伝統的な枠組みからはみ出すようなケレン味となってスパイスを効かせ、おおっ!?となる。これこそが、「ニールセン」という個性なのかも... で、もう、のっけから、おもしろい!ダン!ダン!ダンダン!ダダン!ダダン!いきなりオーケストラを総動員してのインパクトある物々しい出だしは、ベートーヴェンの「英雄」の冒頭を思い出させるのだけれど、ニールセンは何か不器用で、コミカル?カッコよく収めないところが、クール!という1楽章、中間部では、メローでチープなワルツが派手に盛り上がり、絶妙に「交響曲」の厳めしさが崩れ、聴き手をグイっと惹き込む。それはマーラーの記憶で、ショスタコーヴィチへの予兆?続く、2楽章(track.2)では、ニールセンのケレン味はより際立ち... 美しい緩叙楽章に、やがてソプラノとバリトンのヴォカリーズが遠くから聴こえて来るというギミック!歌付き交響曲なら珍しくはない。が、ニールセンは"歌"ではなく"声"を素材として交響楽の一部として組み込むから斬新!それも、舞台裏から次第に近付いて来るような仕掛けがあるのか?そうして生まれる幻想性!「広がり」というタイトルに実際の奥行きを与える効果が、おもしろい!
そんな、絶好調だった頃の交響曲の後で、ニールセン、最後の交響曲、6番、「シンフォニア・センプリーチェ」(track.5-8)が取り上げられるのだけれど... 第1次大戦後、狂騒の20年代、モダンが大きく花開いた時代、1925年に完成し初演された作品には、そうした時代の気分が「ニールセン」という個性の中にも入り込んでいて、興味深い。そもそも、シンフォニア・センプリーチェ=シンプル・シンフォニーという在り様が擬古典主義を思わせて、モダニスティック?さらに、管楽器とパーカッションのみによる異色の2楽章(track.6)では、飄々とパーカッションが前面に立ち、ダダイスティック!いや、2楽章に留まらず、パーカッションはあちらこちらでスパイスを効かせていて、ショスタコーヴィチの最後の交響曲(1971)にイメージが重なり、この既視感がおもしろい。またそこに、マーラー―ニールセン―ショスタコーヴィチという道筋が浮かび上がるようで、20世紀の交響曲の系譜におけるニールセンの立ち位置を改めて考えさせられ、とても新鮮に感じられる。
そして、サラステ、フィンランド放送響による、活き活きと「ニールセン」の個性を捉えた演奏!1番、2番の時よりも、よりナチュラルに「ニールセン」と向き合えているのか、音楽には表情が溢れていて... 一方、"広がり"と"シンプル"という、対極にある2つの交響曲を器用に弾き分け、3番での溢れる個性を瑞々しく躍らせた後、その個性に時代が入り込み、不思議なケミストリーを見せる6番へと深まる流れも印象的。何より、「ニールセン」という個性が持つケレン味を、真正面からどんと繰り広げるサラステの豪快さ、フィンランド放送響のポジティヴな演奏が、ニールセンの癖ではなく、飾らない姿に光を当て、気の置け無さを生んで魅力的。今、改めて聴いてみれば、よりニールセン・ワールドに惹き込まれる。

CARL NIELSEN: SYMPHONIES 3 & 6
FRSO / JUKKA-PAKKA SARASTE

ニールセン : 交響曲 第3番 ニ短調 Op.27 「広がり」 **
ニールセン : 交響曲 第6番 「シンフォニア・センプリーチェ」

ユッカ・ペッカ・サラステ/フィンランド放送交響楽団
アンナ・クリスティーナ・カーッポラ(ソプラノ) *
ヤーッコ・コルテカンガス(バリトン) *

FINLANDIA/3984-29714-2




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