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爛熟のバロック、古典主義の芽生え... 古き形、新しき在り様... [before 2005]

ふぅ~ 12月も半分が過ぎてしまいました。
さて、2014年も押し迫る中、今年のメモリアルな作曲家を聴き直しておこう、ということで、先日、生誕150年、リヒャルト・シュトラウスを聴いたのだけれど... 今度は時代を遡り、18世紀へ!没後250年、ロカテッリ(1695-1764)と、生誕300年、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)を聴いてみることに... しかし、改めて2人の作曲家を並べてみると、なかなか興味深いものがある。生誕300年と没後250年、つまり2人の人生は半世紀も重なる。けれど、その作風には、しっかりと違いが聴き取れて... バロックから古典主義へという18世紀前半の、音楽の進化のグラデーション、そこから生まれる多様さ... ロカテッリとカール・フィリップ・エマヌエルを並べ聴いてみると、モーツァルト前夜の豊かな音楽シーンの広がりを垣間見ることができる。それは、バロックか、古典主義か、と簡単に割り切れない、魅力的な広がりで...
まずは、ロカテッリ、コンチェルト・ケルンの演奏で、代表作、「アリアンナの涙」を含む、合奏協奏曲を5曲(TELDEC/4509-94551-2)と、鈴木秀美のチェロ、バッハ・コレギウム・ジャパンによる演奏で、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハのチェロ協奏曲を3曲(BIS/BIS-CD-807)。ロカテッリから、カール・フィリップ・エマヌエルへ、「広がり」を追ってみる。


オールド・ファッションにしてアヴァンギャルド、世代感を超越したロカテッリ。

4509945512.jpg
大バッハが生まれた10年後、1695年、イタリア、ベルガモ(ドビュッシーのベルガマスク組曲で知られる... )で生まれたロカテッリ。早くから才能を開花させ、16歳でローマに出るまでベルガモのサンタ・マリア・マッジョーレ教会のヴァイオリニストをしていたというから驚かされる。そして、1711年、そのローマへと出て、ヴァイオリンの巨匠、コレッリに師事したと考えられている。となれば、ロカテッリは盛期バロックの最後を飾る世代となるのだが... ここで聴く合奏協奏曲には、そういうわかり易いイメージに納まり切らないサウンドが充ち満ちている。そもそも「合奏協奏曲」というあたりがオールド・ファッション。師、コレッリの残像ではあるのだけれど、ポリフォニックな構造を持つ合奏協奏曲は、ルネサンスの遠い記憶を器楽で形にしたようなところがあるわけで... 一方で、ヴァイオリンのヴィルトゥオーゾだったロカテッリらしい、ヴァイオリンの流麗な響きを活かしたメロディは、ポスト・バロックのギャラントさを感じるところもあり、代表作、「アリアンナの涙」(1741)のドラマティックな1楽章などには、カール・フィリップ・エマヌエルの多感主義を先取るようで、その鋭い感情の変化は、アヴァンギャルドにすら感じられる。オールド・ファッションにして、アヴァンギャルド... 古さを独自に進化させて生まれる新しさなのか?ロカテッリの合奏協奏曲には、バロックにして、より古く、より新しい、世代感を超越した不思議な魅力が広がる。
というロカテッリの合奏協奏曲、5曲を取り上げたコンチェルト・ケルン。ドラマティックな「アリアンナの涙」(track.1-6)に始まって、よりコレッリの影響を残す1721年出版のOp.1から2曲(track.7-11, 16-20)と、1735年出版のOp.4から1曲(track.21-23)、そして「アリアンナの涙」と同じ、1741年出版のOp.7からもう1曲(track.13-15)。「合奏協奏曲」というスタイルからロカテッリのそれぞれの年代の作品を上手く配置して、作曲家の全体像を巧みに捉える。それでいて、エールハルト時代のコンチェルト・ケルンならではの独特な緊張感が、ロカッテリが書いたスコアをくっきりと浮かび上がらせて、ふんわりと響くだろうコレッリ由来のイタリア・バロックに内から力強さを与え、キリっとした鮮烈な音楽像を描き出す。すると、合奏協奏曲はどこか交響曲のように響くところもあって... コンチェルト・ケルンの指向が、ロカテッリの音楽に隠れていた古典主義の萌芽を刺激するのか、その化学変化がおもしろい。最後のOp.4-10の合奏協奏曲、終楽章のメヌエット(track.23)の力強く雄弁な響きは、アルバムを締めるに相応しく、感動的!

PIETRO ANTONIO LOCATELLI: CONCERTI GROSSI
CONCERTO KÖLN


ロカテッリ : 合奏協奏曲 変ホ長調 Op.7-6 「アリアンナの涙」
ロカテッリ : 合奏協奏曲 変ロ長調 Op.1-3
ロカテッリ : 合奏協奏曲 ヘ長調 Op.7-4
ロカテッリ : 合奏協奏曲 ト短調 Op.1-12
ロカテッリ : 合奏協奏曲 変ホ長調 Op.4-10

ヴェルナー・エールハルト/コンチェルト・ケルン

TELDEC/4509-94551-2




ヴィルトゥオージティ溢れる"多感"主義、カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ。

BISCD807
さて、説明するほどでもないのだけれど、大バッハの次男、カール・フィリップ・エマヌエル。ロカテッリが、ローマのカエターニ公のオーケストラで働き始めた頃、大バッハがヴァイマルの宮廷に仕えていた1714年、父の親しい友人、テレマンを名付け親に生まれたカール・フィリップ・エマヌエル。偉大な父の下、しっかりと音楽を学び、やがて即位前のフリードリヒ大王に仕えることに(1738-68)。大王が即位(1740)すると、ベルリンの宮廷楽団の一員となり、鍵盤楽器奏者として活躍。大バッハ由来の確かな音楽的土台に、大王のフランス趣味や、プロイセン王の宮廷の国際性をしっかりと消化し、ポスト・バロックの音楽を摸索して行く... で、ここで聴く3つのチェロ協奏曲は1750年代の作品、フルートや鍵盤楽器でも取り上げられる、Wq.170(track.1-3)、Wq.171(track.4-6)、Wq.172(track.7-9)の、カール・フィリップ・エマヌエルの代表的なコンチェルト。それを、ロカテッリの合奏協奏曲の後で聴くと、音楽の進化を強烈に味わうことになる。合奏から独奏へ、焦点が絞られたコンチェルトの何たる雄弁さ!我々が思い描くことのできるコンチェルトのイメージが、そこにしっかりと表れていて、19世紀のヴィルトゥオーゾ・コンチェルトは目前!とすら感じられる。いや、モーツァルトなど古典派のコンチェルトを通り越して、よりヴィルトゥオージティを感じられる?そのしっかりとした聴き応えが、なかなか興味深い。一方で、大バッハを思わせる手堅さというか、ドイツ・バロックの充実を味わうWq.172のコンチェルト(track.7-9)の実直さにも魅了される。チェンバロの通奏低音が律儀にリズムを刻むあたりは、前古典派を先取る感覚もあるのだけれど、聴こえて来るテイストは「バッハ」。大バッハのDNAを受け継いだ音楽に、不思議な安心感を覚える。
そんなカール・フィリップ・エマヌエルの3つのチェロ協奏曲を聴かせてくれるのが、鈴木秀美。いやー、さすがは現代のヴィルトゥオーゾ!ピリオドのチェロを自在に繰って、カール・フィリップ・エマヌエルの音楽をより深く響かせつつ、技巧的な華麗さも鮮やかに決めて圧倒される。間違いなく鈴木秀美の存在が、カール・フィリップ・エマヌエルの音楽のヴィルトゥオージティを高めている。そして、いつもの鈴木、兄、雅明から、弟、秀美の指揮で聴くバッハ・コレギウム・ジャパンのヴィヴィットなサウンドの新鮮さ!兄の大バッハの素朴と、弟のカール・フィリップ・エマヌエルの鮮やかさの対比もおもしろい。で、その鮮やかさが、カール・フィリップ・エマヌエルの"多感"主義の魅力を際立たせて、聴き入るばかり...

C.P.E. Bach: Cello Concertos ― Hidemi Suzuki / Bach Collegium Japan

カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : チェロ協奏曲 イ短調 Wq.170
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : チェロ協奏曲 変ロ長調 Wq.171
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ : チェロ協奏曲 イ長調 Wq.172

鈴木秀美(チェロ)/バッハ・コレギウム・ジャパン

BIS/BIS-CD-807




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