SSブログ

遥かなる響きへと結ばれる、室内楽版、「大地の歌」。 [before 2005]

HMC901477.jpg
読書の秋だ、何だと言っているからか、図書館に行く夢を見る。けど、それはいつも足を運んでいる図書館ではなくて、少し懐かしい感じの図書館で... 岩井俊二監督の映画『ラヴレター』(正直に申しますと、みんなが言うほど、琴線に触れることはなかった... )に出て来るような、大きくて趣きのある図書館(映画の中の小樽市立図書館には行ってみたかった... )、本に貸出カードが付いていたのが印象的... 今では電子化されてしまって、ピっとやるだけで借りられる。その手軽さが無かったら、図書館で本は借りないかもしれない。けれど、以前の、あの煩わしさには、一冊の本が結ぶ、"つながり"が垣間見えていた気がする。貸出カードに連なる、その一冊を手にした人たちの鉛筆書きの文字... その下に新たに書き加えられる自らの文字... 映画ではないけれど、一冊の本を通じて、知らない誰かとつながるような不思議な感覚が、あの煩わしさの中に籠められていたのかもしれない。
さて、本題に戻りまして、読書の秋に文学を聴く試み... フランスの交響"詩"ロシア文学と続いて、今度は、漢詩の世界へ... フィリップ・ヘレヴッヘの指揮、アンサンブル・ミュジック・オブリクの演奏、ビルギット・レンメルト(アルト)、ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)の歌による、室内楽版、マーラーの交響曲「大地の歌」(harmonia mundi FRANCE/HMC 901477)を聴く。

19世紀、万博がヨーロッパに「世界」を紹介すると、広く異国趣味は盛り上がり、行き詰りつつあったヨーロッパの文化には、新風がもたらされた。そうした延長線上に、マーラーの「大地の歌」(1908)も生まれる。1907年、ドイツの詩人、ハンス・ベートゲ(1876-1946)が、李白らの唐代の詩を翻案、編集し、『中国の笛』を出版すると、そこから6つの詩を選び、"交響曲"を作曲したマーラー... 20世紀に入り、もはやオールド・ファッションとなりつつあった交響曲を、その概念に捉われず、大胆に歌を入れ込み、様々に音楽を展開して、新たな地平を切り拓いたシンフォニスト、マーラーだったが、そうした中に在って「大地の歌」は、特異な交響曲。番号が付されなかったことはもちろん、事実上のオーケストラ伴奏付き歌曲であり、詩の世界を反映してのシノワズリーがはっきりと聴き取れるのも異色... 改めて見つめれば、まったく奇妙な"交響曲"と言えるのかもしれない。
そんな「大地の歌」を、さらに特異なものへと変貌させたのが、シェーンベルク/リーンによる室内楽版。始まりは、新ウィーン楽派による多彩な編曲を生んだ、シェーンベルク主宰の私的演奏協会(1918-21)のコンサート... シェーンベルクは、師の作品を取り上げるために、13人編成のアンサンブルのために編曲。するはずだったが、経済状況の悪化で、私的演奏協会が活動停止を余儀なくされると、室内楽版は、完成を見ることなくお蔵入りに... それを発掘したのが、作曲家で編集者だったライナー・リーン(b.1941)。「大地の歌」のスコアに残されていたシェーンベルクの指示に従い、1983年、半世紀以上の時を経て、室内楽版を完成させる。
という経緯をつぶさに見つめると、なぜ室内楽版なのか?疑問に思わなくもないのだけれど、実際にその音を耳にした時の新鮮さは、目を見張るものが!シェーンベルク/リーンの鋭い視点が、ひとつひとつの楽器の存在を際立たせ、特にハーモニウムやチェレスタ、ピアノなどの響きは印象的で、全体にスパイスを効かせる。そうして多彩な楽器がアンサンブルを織り成せば、かえってシンフォニックにも成り得るからおもしろい。また、室内楽化によって、巨大な"交響曲"の中に埋もれていた様々な形がすくい上げられ、そのひとつひとつにきちっとした色が与えられると、まるで新しい絵を描き出すかのよう。それは、東方、東洋に強くインスパイアされたウィーン世紀末の画家、クリムトの、装飾性に富む煌びやかさを思い起こさせつつ、その中に遠い中国の山水画がしっとりと浮かび上がりもし、安易なエキゾティシズムに終わらない、より深化した西洋における東洋のイメージを読み取ることができるのか。唐の詩人たち、ベートゲ、マーラーはもちろん、シェーンベルク、そしてリーンへと受け継がれ、編み上げられる遥かなる響き... マーラーだけでは至ることのない境地が、シェーンベルク/リーンによる室内楽版には表れているのかもしれない。もはや、誰の手による作品かなど関係ないような、独特な風格を漂わせる室内楽版、「大地の歌」。いや、それこそが「大地」に根差した揺ぎ無い「歌」の姿... マーラーの"交響曲"としての分厚い響きが刈り込まれて得られる感覚には、間違いなくオリジナルでは味わえない魅力がある。
という室内楽版を、ヘレヴェッヘ、アンサンブル・ミュジック・オブリクの演奏で聴くのだけれど... まず、ピリオドの巨匠、ヘレヴェッヘならではの姿勢が利いていて、モダンのアンサンブルを前にしても、有りのままに音楽と向き合い、少し肩の力を抜くことで、アンサンブルの隅々までをキラキラと輝かせてしまう魔法!そんなヘレヴェッヘに応える、アンサンブル・ミュジック・オブリクの、的確にしてナチュラルな演奏もすばらしく... ある意味、ピリオド的なアプローチとも言えるのか、一音一音を淡々と捉えつつ、そういう飾らない姿勢があってこそ、より雄弁に「大地の歌」が流れ出す妙... そこに、ナイーヴな歌声を響かせるブロホヴィッツ(テノール)の花やかさ、どっしりとしていながら耽美的な表情も見せるレンメルト(アルト)の深みが加わり、アンサンブルと歌の兼ね合いが絶妙で、歌が突出するのではなく、全てが美しく一所にはまり、希有な音楽絵巻を織り成す。特に、レンメルトが歌う終楽章(track.6)!永遠に聴いていたくなってしまう。

MAHLER / DAS LIED VON DER ERDE / HERREWEGHE

マーラー : 交響曲 「大地の歌」 〔シェーンベルク/リーンによる室内楽版〕

ビルギット・レンメルト(アルト)
ハンス・ペーター・ブロホヴィッツ(テノール)
フィリップ・ヘレヴェッヘ/アンサンブル・ミュジック・オブリク

harmonia mundi FRANCE/HMC 901477




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。