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災厄の14世紀、繊細なる逃避、アルス・スブティリオル... [before 2005]

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「暗黒の中世」というイメージは、古い!12世紀、ロマネスクからゴシックへ、一気に息を吹き返したヨーロッパの文化。その活き活きとした表情をつぶさに見つめれば、思い掛けなくさばけた中世の人々のいきざまを見出すことができて、どことなしに親近感も覚えてしまう。いや、その感覚、意外と現代に近いのかも... しかし、中世に暗黒がなかったわけではない。14世紀、中世末、ヨーロッパを一気に暗黒へと突き落とした、ペスト禍... 現代社会からすると、疫病の恐怖というのは、今一、ピンと来ないのだけれど、『遠い鏡、災厄の14世紀ヨーロッパ』を読んで、ペスト禍の凄まじさに慄く。ペスト自体ももちろん恐ろしいのだけれど、それが蔓延することで、社会そのものが消滅して行く有り様が、何かSF映画(例えば、『ハプニング』とか、『コンテイジョン』とか、『ワールド・ウォーZ』とか... )を思わせて、衝撃的。一方で、そうした危機にあってもなお、音楽は生み出されていて...
ペスト禍ばかりでなかった、災厄の14世紀、刹那的な退廃が覆ったヨーロッパ。そこに出現した繊細なる技法、アルス・スブティリオルの音楽を聴いてみようかなと... フィリップ・ピケット率いる、イギリスの古楽アンサンブル、ニュー・ロンドン・コンソートの演奏、キャサリン・ボット(ソプラノ)による歌で綴るアルバム、その名もズバリ、"ARS SUBTILIOR"(LINN/CKD 039)を聴く。

ノートルダム楽派に始まる多声音楽の進化と、トロバドゥール以来の世俗音楽の伝統をひとつに撚って、中世音楽の爛熟期を成したマショー(ca.1300-1377)。そのマショーらによるアルス・ノヴァ(新しい技法)をベースに、特異な発展を遂げたアルス・スブティリオル(繊細なる技法)。で、このアルス・スブティリオルの背景にあったのが、災厄の14世紀、フランスの転落と、それによって生まれたカオスとデカダンス... フィリップ4世(在位 : 1285-1314)の治世下、中世フランスは絶頂期を迎え、ローマ教皇の聖座を、ローマから、南仏、アヴィニョンに移し(1309)、影響下に置くほどに... が、フィリップ4世の死後、そのこどもたちは相次いで亡くなり、カペー朝は断絶(1328)。ヴァロワ朝(フィリップ4世の甥の家系)の成立を機に、前王朝の血を引くイングランド王(フィリップ4世の娘の子)がフランスの王位を求め、かねてからの英仏間の領土紛争、経済摩擦が絡み合い、百年戦争が勃発(1337)。大国だと思われていたフランスは立て続けにイングランドに負け、王が捕虜になる事態も... さらにはペストが猛威を奮い、国土は荒廃し、国家は統制を失って行った。そうした状況は音楽にも影響を及ぼし、ゴシック期以来、ヨーロッパの音楽の中心地として栄えたパリも、その輝きを失い、音楽家たちは各地の宮廷へと四散... そこに、新たな音楽の中心地として存在感を見せ始めたのが、教皇の宮廷が置かれたアヴィニョン。
アヴィニョンの街には、教会が課す税がヨーロッパ中から集まり、それらを管理する教皇庁の官僚組織がローマから大挙して移住して来ており、その頂点には教皇がおり、高位聖職者たちの贅を尽くした生活があり、巨大な人口と富を抱え、他の都市にはないほどの賑わいを見せ、享楽的な都市文化が醸成された。その様子を、ペトラルカ(1304-74)は、「西のバビロン」と表現しているほどで... 音楽においても、教会音楽より世俗的な歌曲が好まれ、オイル語(後にフランス語へと発展する、北部フランスで話されていた言語... )の詩による多くの作品が作曲され、このアヴィニョンのスタイルが、イベリア半島北部から北イタリアに掛けて広まり...
という、アルス・スブティリオルの歌曲を中心に編まれた、ピケット+ニュー・ロンドン・コンソートによる"ARS SUBTILIOR"。マショーと同時代を生きたグリマスの、まるでスキップをしているかのようなヴィルレー"A l'arme, A l'arme"で楽しげに始まり、ジャン・ヴァイヤンの様々な鳥の鳴き声を愛らしくもユーモラスに歌われるヴィルレー"Par maintes foys"(track.4)など、繊細にして不思議ちゃんな音楽の数々... アルス・スブティリオルの特異な性格を丁寧に紹介しつつ、アヴィニョンの教皇の宮廷に仕えたフィリップス・デ・カゼルタ(track.10)、ジャン・シモン・アスプロワ(track.12)、北イタリアで活躍したバルトリーノ・ダ・パドヴァ(track.6)、マッテーオ・ダ・ペルージャ(track.8)らの作品が取り上げられ、アルス・スブティリオルの広がりを見せ、最後は、やがてフランドル楽派を生み出すことになるブルゴーニュ公の宮廷に仕えていたニコラ・グルノン(track.16)を取り上げて、ルネサンス・ポリフォニーの到来を予感させ、アルス・スブティリオルを絶妙に俯瞰する。
複雑なリズムと、不思議な半音階、楽譜のヴィジュアルへの異様な凝りよう(ハート形の楽譜とか... )など、アルス・スブティリオルの音楽の内向きな在り方が、時に批判的に捉えられるわけだけれど、そこから生まれる独特の浮遊感、浮世離れした雰囲気、時として都会的なクールさすら感じるサウンドは、マショーの音楽では味わえないし、まるで蝶のフワフワとした羽ばたきを思わせるリズムは、それ以後のルネサンス・ポリフォニーではけして味わえない。ということを知らしめる、ピケット+ニュー・ロンドン・コンソートの淡々としながらもセンスを感じさせる演奏に、ボットの透明感を湛えたソプラノ... 特にボットの楚々とした歌いが、繊細なる技法を丁寧になぞり、まるで美しいミニアチュールを見つめるようで、息を呑む。そうしたすばらしい演奏と歌声を以って改めてアルス・スブティリオルを見つめれば、アルス・ノヴァのマニエリスムとして、音楽史の徒花のような扱われ方がまったく不当なものに感じられる。災厄の14世紀の現実から見事に逃避し、徹底して繊細な音楽を紡ぎ出したアルス・スブティリオルの特異な輝きは、中世の爛熟の先に生まれた結晶のよう。

NEW LONDON CONSORT ARS SUBTILIOR

グリマス : A l'arme, a l'arme
ボルレ : He, tres doulz roussignol
作曲者不詳 : Or sus, vous dormes trop
ジャン・ヴァイヤン : Par maintes foys
作曲者不詳 : Quan je voy le duc
バルトリーノ・ダ・パドヴァ : La douce chiere
『ファエンツァ写本』 から La dolce sere
マッテーオ・ダ・ペルージャ : Le greygnour bien
トレボール : Helas! pitie envers moy dort si fort
フィリップス・デ・カゼルタ : En remirant vo douce pourtraiture
フィリップ・ド・ムーラン : Amis tout dous
ジャン・シモン・アスプロワ : Ma douce amour
ジャン・キュヴリエ : Lorques Arthus
作曲者不詳 : Je prins conget
ジレ・ヴリュ : Laissies ester vostres chans de liesse
ニコラ・グルノン : Je ne requier de ma dame

キャサリン・ボット(ソプラノ)
フィリップ・ピケット/ニュー・ロンドン・コンソート

LINN/CKD 039

災厄の14世紀、中世末のデカダンスが、やがてルネサンスの洗練を生み...
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そして、ルネサンスの到来!15世紀、中世末の多様さが、フランドルで集約されて...
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