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ウィーンで人魚姫を探して... ツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」... [before 2005]

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さて、後期ロマン主義、シェーンベルクフランツ・シュミットに続いて、同じくウィーンの作曲家、ツェムリンスキーを聴いてみようかなと... しかし、世紀末から20世紀初頭に掛けてのウィーンというのは、何とも言えず魅力的。爛熟のウィーンの文化の、むせ返るような芳香に、クラクラしてしまう。で、その香りの強さは、作曲家たちの人間模様の濃密さ、悲喜交々からも発せられるものがあって... で、ツェムリンスキーなのだけれど...
1900年、ウィーン宮廷歌劇場でオペラ『昔々、』が初演され、29歳のツェムリンスキーは、一躍、注目の作曲家となる。そこに、20世紀芸術のミューズにしてファム・ファタル、21歳のアルマ・シントラー(1879-1964)が、作曲を学びにやって来る。やがて2人の関係は師弟を越えて、恋愛関係に... が、アルマが結婚(1902)したのは、ツェムリンスキーに大きなチャンスを与えたウィーン宮廷歌劇場の監督、マーラー(1860-1911)だった。ウーン、下手なオペラより、おもしろい!で、ツェムリンスキーにとって、この失恋は、その後の作品(例えば、オペラ『こびと』、『フィレンツェの悲劇』、『カンダレウス王』など... )に表れるようで... そんな作品のひとつ...
リッカルド・シャイーがかつて率いた、ベルリン放送交響楽団、現在のベルリン・ドイツ交響楽団の演奏で、ツェムリンスキーの交響詩「人魚姫」(DECCA/444 696-2)を聴く。

アルマがマーラーと結婚した頃に作曲が始められた「人魚姫」(1903年に完成、初演はその2年後、シェーンベルクの交響詩「ペレアスとメリザンド」とともに... というのが、また興味深い!)は、お馴染みのアンデルセンの『人魚姫』の物語を、王子との出会い、魔女との取引、そして人魚姫の死という、3つの楽章で綴るのだけれど、人魚姫はアルマのアレゴリーなのか?結婚により、夫から作曲を禁じられたアルマは、声を失った人魚姫?海を自由に泳いでいたその尾びれは、魔女との取引により2本の足となるあたりは、結婚の束縛だろうか?いや、王子との結婚を逃す人魚姫は、ツェムリンスキー自身?王子を殺すことができず、海の泡となって死を迎える人魚姫の姿は、ツェムリンスキーにとってのルサンチマン?読み解こうとすれば、様々に読み解けそうなツェムリンスキーの「人魚姫」。リアルがどうメルヘンに変換されたかをいろいろ想像すると、本当におもしろい。
そして、その魅惑的な音楽!始まりの深い海を思わせる仄暗い情景から、すっかり惹き込まれる1楽章... 何か、水底から水面に映る太陽の煌めきに憧れるような、何とも言えない切なげな表情がたまらない。その水の表情は、どことなしにドビュッシーを思わせて、印象主義的な瑞々しさが美しく... そこに、この交響詩のメイン・テーマとも言える、ただならず心を捉える悲しげなメロディーが現れて、この物語の結末を予感させる... その後で、ヴァイオリン独奏がスウィートな歌(人魚姫のテーマ)を歌うのだけれど、そのスウィートさがまさにウィーン!かと思うと、マーラーのようなロマンティシズムが溢れ出し、ワーグナーを思わせるドラマティックな盛り上がりがあって... 後期ロマン主義ならではの様々なスタイルを巧みに引き込んで編まれる音楽は聴き所、満載!
続く2楽章(track.2)は、さらに表情豊かな音楽が繰り広げられ、海の壮大さの中で、物語の胆となる部分を丁寧に描き出し... やがて人魚姫は2本の足を手に入れ、音楽は王子と踊る美しいワルツに彩られる。が、王子は人魚姫を選ばず、孤独に包まれながら3楽章(track.3)が始まる。王子を殺すか、自身が海の泡となって消えるか、物語は葛藤を抱え、音楽はよりエモーショナルに!そこに、1楽章で聴いた悲しげなメロディーが戻って来て... 人魚姫の死が伝えられるその切なげなあたりに、何だか胸が締め付けられるよう。しかし、その後で、葛藤の果てに死を選んだ人魚姫の潔さ、純粋さが、海の奥深くまで美しく響き渡り、感動が広がる。そんな人魚姫の物語を聴き終えてみれば、1本、映画を見たような余韻が残るのが印象的。そもそもこの交響詩には映画音楽的なセンスが随所に見受けられ。人魚姫の死を描く悲しげなメロディーのキャッチーさは、後のディズニー映画を思わせるポップな雰囲気すらあって。そうしたあたりに、単にウルトラ・ロマンティックに染まるのではない、ツェムリンスキーのメロディー・メーカーとしてのセンス、ストーリーテリングの妙に感心させられる。
そんな「人魚姫」を聴かせてくれるのが、シャイーに率いられたベルリン放送響、現在のベルリン・ドイツ響。シャイーは、この作品の、交響詩でありながら3楽章構成という、交響曲的なあたりをきっちりと捉えて、よりシンフォニックに響かせる。そのせいで、ウィーンの流麗さはいささか薄れる帰来もあるのだけれど、ツェムリンスキーの音楽のしっかりとした構造を浮かび上がらせ、普段はマーラーや新ウィーン楽派の面々に隠れがちなツェムリンスキーの才能に、今、一度、光を当てるかのよう。すると、お馴染みのメルヘンは、よりスケールな大きなものに感じられ、童話から楽劇のような重厚さを引き出すからおもしろい。そんなシャイーに応える、ベルリン放送響もすばらしく... このオーケストラの律儀さが、シャイーの志向と合致して、安易にロマンティックに流されず、隅々まできっちりと鳴らし、充実したサウンドを楽しませてくれる。

ZEMLINSKY: DIE SEEJUNGFRAU/PSALMS 13 & 23
RSO BERLIN/RICCARDO CHAILLY


ツェムリンスキー : 交響詩 「人魚姫」
ツェムリンスキー : 詩篇 第13番 Op.24 *
ツェムリンスキー : 詩篇 第23番 Op.14 *

リッカルド・シャイー/ベルリン放送交響楽団
エルンスト・ゼンフ合唱団 *

DECCA/444 696-2


ところで、「人魚姫」の後で、2つの詩篇(track.4, 5)が取り上げられるのだけれど、これがまたおもしろい。まるで往年のハリウッド映画を思わせるダイナミックさ、煌びやかさに彩られていて... ハリウッドの音楽は、ウィーンの後期ロマン主義の伝統を受け継ぐ存在なのか?実際、ナチスのオーストリア併合(1938)により、ウィーンで活躍した多くの音楽家たちがアメリカに亡命。ユダヤ系であったツェムリンスキーもまた、アメリカに亡命している。そんなウィーンの音楽家たちのアメリカでの痕跡を追えば、ロマン主義の新たな展開も見えて来るかも。ダースベーダーのテーマに、ブルックナーの臭いを感じられるのも、そうした一例か...




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