SSブログ

ブーレーズがすくい上げる、ブルックナーという宇宙... 8番の交響曲... [before 2005]

4596782.jpg
土曜日、久々に明治神宮にお参りに行く。
といっても、主目的はお賽銭ではなく、杜!緑が繁る季節に、鎮守の森を歩く。で、お社を遠巻きにぐるりと一周(原宿駅からのメインの参道を外れて... )、かなりの距離になるのだけれど、鬱蒼とした森を"延々"と歩いていると、ここが渋谷区のど真ん中だなんて、とても、とても想像が付かない。まるで、時空の切れ目からまったく違う場所へと彷徨い出てしまったような、ちょっとした恐怖すら感じる。改札を通過するのすら困難な原宿駅(いい加減、駅、直そうよJR東日本... )の人だかりを抜けて、程なくしてのこの森だもの... 千と千尋とか、トトロの登場人物になった気分。しかし、この森が人工林だなんて!このワイルド感は、どう見たって自然林!いや、それを目指して、約100年前、植樹(1914-20)されたわけだけれど、100年後の状態を頭に描きながら、森を設計した当時の人々のスケールのデカさに、感服させられる(一方で、我々は、100年後の人々に、何を残せるだろうか?そんなことをふと考えると、頭が重くなる... )。そうして、驚くほど背の高い木々の壮麗さ!見上げれば、若葉の瑞々しい緑が陽の光を通してステンドグラスのよう。まるで、自然が織り成す大伽藍を歩いているようだった。
そんな余韻を残しつつのロマン主義の続き... 杜を思わせる神秘を湛え、壮麗なる交響曲... ピエール・ブーレーズの指揮、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で、ブルックナーの8番の交響曲(Deutsche Grammophon/459 678-2)を聴く。

いや、シューベルトにしろ、メンデルスゾーンにしろリストもそうだけれど、ロマン主義の始まりをつぶさに見つめてから改めて聴くロマン主義の音楽というのは、ちょっと見え方が違って... これまでが、あまりに漠然と見ていた裏返しではあろうけれど、その成長の過程の興味深さに聴き入ってしまう。そして、ロマン主義に在って、独特の存在感を見せる鬼才、ブルックナー(1824-96)を聴くのだけれど。鬼才である分、余計に興味深いものを感じてしまうのか。まず、ブルックナーの音楽は「ロマン主義」?そんな疑問が湧いて来る。もちろん、ワーグナーに心酔し、その音楽から漂う濃密な香りは、ロマン主義そのものではあるのだけれど、それは香りであって、ブルックナーが構築した音楽の実体ではないような... となると、ブルックナーの実体とは?
前期ロマン派による音楽をつぶさに見つめると、古典主義的な要素が断ち難く存在している。場合によっては、ロマン主義というより古典主義というべき作品がいろいろあることに気付かされる。で、ブルックナーの音楽にもまたそれを感じるのだけれど... ブルックナーの8番の交響曲を改めて聴いてみると、シューベルトの交響曲の先にあるものが立ち現れるようであり... 何度も繰り返されるフレーズと、それらが重ねられ、壮麗に鳴り響く、まさに"交"わり"響"く音楽には、「ザ・グレイト」(1825-26)などのシューベルトによる進化系としての古典主義を強く感じる。それでいて、より純度を増して、「新古典派」と呼ばれたブルックナーのライヴァル、ブラームス(1833-97)の交響曲よりも、ストイックに古典主義的ですらあるのか... 同時代のモード、ロマン派風の雰囲気で聴かせるような、絵画的に見せるようなことはしないブルックナーの屹立した音楽には、ハイドンからシューベルトへ、ウィーンの古典主義の伝統が、無骨なくらいにピュアに昇華されて存在しているように感じられる。
で、そうしたブルックナー像を際立たせているのが、ブーレーズの音楽性。ブーレーズ(総音列の巨匠)とブルックナー(ワグネリアン)というと、相容れないようにも感じられるのだけれど、音への鋭い視点を持つブーレーズなればこそ、ブルックナーをよりピュアな形ですくい上げていて、その一音一音を明晰に響かせて得られる研ぎ澄まされた感覚は、ある種、ブルックナーのスケール感を越えてさえいるのかもしれない。長大な8番の交響曲を、まるで音塊によるオブジェクトのように扱うブーレーズ。そこから見えて来る、ブルックナーの様々な表情。2楽章のスケルツォ(track.2)の、シンプルなフレーズがリズミカルに繰り返されるあたりは、フィリップ・グラスを聴くような感覚があり、そこはかとなしにポップにすら思えて来る。3楽章のアダージョ(track.3)の甘美な美しさは、ワーグナーの楽劇を思い起こさせつつ、ブーレーズの澄み切った視点で捉えると、ブルックナーに至るシューベルト、モーツァルト、あるいはさらに古いルネサンスの音楽すら浮かび上がるようで、音楽史の深みそのものを感じ、印象的。そこからの終楽章(track.4)は、それまで構築されて来た音楽がゆっくりと解体してゆくようで、どこか抽象的にすら聴こえて、もはや宇宙を見据えるような壮大さとミステリアスさが降り注ぐ。
ブーレーズのドライにスコアを見つめる指向が、ブルックナーのありのままを音にすることで、ブルックナーのイメージ、時代感覚を超越したとてつもない音楽を生み出す?しかし、それこそがまたブルックナーであって、改めてこの19世紀の鬼才の際立った存在感に圧倒される。そうしたブーレーズに応える、ウィーン・フィルの演奏もまた際立っていて... このオーケストラならではの雰囲気は抑えつつ、その繊細さを以ってブルックナーのマッシヴな音楽と向き合うことで、まるでガラス細工のような透明感と精緻さを引き出す。そんなブーレーズ、ウィーン・フィルによるブルックナーの8番の交響曲を前にしてしまうと、大いに眩惑させられる。「ブルックナー」、「ロマン主義」、「19世紀」、そうしたクラシックの定番の、自分がこれまで立っていた地平が失われて、広大な宇宙に投げ出されてしまったような心地がして来る。けれど、この宇宙遊泳が快感!そんな体験をもたらしてくれるブルックナーはモダンだ!いや、コンテンポラリーか?

BRUCKNER: SYMPHONY No. 8
BOULEZ/WIENER PHILHARMONIKER


ブルックナー : 交響曲 第8番 ハ短調 〔ハース版〕

ピエール・ブーレーズ/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

Deutsche Grammophon/459 678-2




nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:音楽

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

Facebook コメント

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。